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オンファロスに連れ戻されたリュステウスは、町を危険に陥れた罪で投獄された。
詳しい罰則については女神、神殿騎士、預言官の三者で改めて決めるらしい。あらゆる共同体から追放するか、処刑かの二択になる、と処女神アテナは推測していた。
なのでリュステウスと話す機会は限られている。例のことについて、聞きに出すためには急がなくてはならなかった。
「……何の用だ」
衛兵を同行させて、俺は牢の前に立っていた。
鉄格子の向こうにはやつれたリュステウスの姿がある。食事をまともに取っていないのか、少し頬が痩せこけているようにも見えた。
頭を冷やす時間はあったろうに、彼には反省の意志がない。くそ、くそ、と冷たい床に吐き捨てている。
「シビュラの名前について、お伺いしたいのですが」
「娘の名前? そんなものは知らん。あの女が勝手につけただけだ」
「……そうですか」
さすが、苗床なんて口にする男は違う。
他に用件はなかったので、俺は会釈をしてからその場を離れた。……彼のことは、長々と見られたもんじゃない。こっちまで薄暗い気分になりそうだ。
「あ、ユキテル様」
地下に続いていた階段を上がり、待機していたシビュラと合流する。
彼女は適度な期待を込めて、俺のことを見上げていた。――嘘でもいいから明るい報告をしてやりたくなるけど、それは誰のためにもならない。
「シビュラの本名は、知らないってさ。奥さんが勝手につけたって」
「やはり、そうでしたか……」
「あ、あのさ、別にこれで終わりじゃないんだし、もっと色々な人に聞いてみようよ。親戚の人とか、知ってるかもしれないし――」
「ユキテル様」
シビュラは静かにかぶりを振る。悲しむわけでもなく、事実を受け入れた強さと共に。
「他の誰かが知っている可能性は低いと思います。親戚は皆、お父様の味方でしたし……母方の親族とは一度も会ったことがありませんから」
「……いいの? 諦めて」
「悔しいと言えば悔しいですよ。でも、私はここにいますから。自分の成すべきことを定めて、生きることが出来ますから。……それだけで、母も喜んでくれるに違いありません」
「そっか」
なら、この話はここで終わりだ。個人的に未練はあるけれど、本人が切り上げると言うなら従うしかない。
騎士の案内に従って外へと出る。見慣れた神殿前の広場があって、高く上がった噴水が俺達のことを歓迎していた。
「――ユキテル様、代わりに一つ、お願いがあるのですが」
「? 何?」
「私に名前、つけてもらえませんか?」
まさかの提案に、開いた口が塞がらない。
しかし彼女は本気のご様子。小悪魔じみた、いつもの顔だった。
「シビュラ、の方で親しまれてますから、名乗るかどうかは分かりませんけど……ユキテル様と出会った記念にも、貴方様のつけた名前が欲しいです」
「ええ……」
それに記念って、こっちは十分もらってるんですが。お風呂とか添い寝とかオッパイとか。
シビュラは俺から視線を逸らさない。何を根拠にしているのか不明だが、素晴らしいネーミングセンスを持っていると確信しているようだ。
困る。本当に困る。こっちの人達が、どんな感覚で名前を付けるのかも分からないし。
「う、うーん」
どうせなら、ちょっとした意味を持たせてやるのがいいだろうか? ギリシャ神話の異世界だし、神様と縁のありそうな名前とか。
ひたすら首を捻って、なけなしのアイディアを絞り出す。
「……い、いや、ごめん、少し時間を置いてからでもいいかな? 他の人にも相談した方がいいだろうし……」
「それは駄目です。ほら、私達は対等なんですよね? 私は個人としてユキテル様にお願いしてるんですから、個人の範囲で答えてください!」
「んな無茶な……」
それでもシビュラは聞く耳もたず。大きな瞳でじっと見つめてくる。
そんな時だった。
「あ、いたいた。シビュラー!」
「あれ、ヘルミオネさん? どうかなさったんですか?」
「生徒会のことで、手伝ってほしいことがあるのよ。来てくれない?」
「むう、仕方ないですね……ユキテル様、今日中に絶対決めて下さいよ!?」
「い、いや、だから――」
まるで風のように、シビュラはヘルミオネの元に去ってしまった。




