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「っ!?」
人質を確保したまま、リュステウスは背後の三頭犬へと向きを変えた。が、止まらない。ケルベロスは大きく口を開け、親子を喰い千切ろうとしている。
シビュラはあえなく巻き込まれ――
「な……」
てはいなかった。
噛みつく直前、ケルベロスの大きさが変わる。前回の大型犬を下回り、暴走前のオルトロスと変わらない大きさにまで。一撃で人間をかみ殺せるサイズではない。
リュステウスの隙を作るには、十分だった。
「百腕巨神!」
「が、ぁ!?」
巨大な腕は、指先だけでリュステウスの自由を奪う。ナイフを持っていた右手を捻り、シビュラが脱出する機会を作る。
無事、彼女は父親の手から解放された。
「ユキテル様っ!」
「っと」
半泣きの状態で、彼女は抱きついてきた。
見上げてくる視線は、何だか非難がましい。きっと置き去りにしたこと、そこまで人質として考慮しなかったことを怒っているんだろう。御免なさい。
元の大きさに戻っていくケルベロスの向こうからは、ヘルミオネもやってくる。
詰みだ。
「さてリュステウスさん、どうしますか? このまま抵抗する気なら、俺達で相手になりますけど」
「く、くく……」
「?」
鳴る地響き。
神殿前に群がっていたであろうゴーレムが、その器ごとリュステウスの頭上に吸い込まれていく。
「私は勝者となるべき資格がある。これまでどれだけのモノを捨て、裏切ってきたと思う? その負債に比例するだけの力を、私は手に入れる資格がある!」
「――」
「悪いのは貴様だ小僧! 私が積み重ねてきた労力を否定し、神殿の長になるだと!? ふざけるな! 私は――」
「これで全部決まってたんですか?」
「なに……!?」
「これから先、貴方が長になる可能性だってあったかもしれないのに。こんなことをしたら、可能性が完全に潰れますよ? 良かったんですか?」
「っ――」
怒りの咆哮が全員に届いた、その直後。
リュステウスの背後に、五十メートルはある上半身だけのゴーレムが出現した。
「殺してやるっ! 貴様も娘も、犬もガキも、殺してやる……!」
「そうですか」
自分の声から、感情が消えていくのを自覚する。
危機感を覚えたのか、後ろにいるシビュラは一歩ずつ離れ始めた。ヘルミオネは幼馴染の傍に近付き、その手を強く握っている。
『支援は必要かね? 少年』
「いえ、俺一人でやります。向こうも――」
石と石の摩擦音を出しながら、ゆっくりと上がっていく岩の拳。巨神の拳よりも大きいが、そんなものは勝敗を左右しない。
必要なのは、
「屈辱でしょうからね」
落ちてくる岩の塊を、逃げることなく打ち砕く。
直後に始まる再生。しかし見向きもせず、超ド級のゴーレムの身体を駆け上がる。途中、表面からは大迷宮で遭遇したのと同サイズの個体が出現するが、足止めの役も果たせない。
「っ……!」
ショートカットも兼ねて跳躍した正面、頭部が見えた。
破裂する。
百腕巨神の総攻撃を受けて、ゴーレムの頭部は風船よろしく破裂した。持ち前の再生力も間に合わない、文字通りの木端微塵。
残念ながら核の姿はなく、俺は攻撃を続行する。
もっとも敵の動きは止まったままだ。一方的な展開が待ち受けているに過ぎない。
削る、削る、削る。
巨神の連打でひたすら削り飛ばしていく。再生など許さない。圧倒的な力の差を見せつけて、抵抗する意志を根こそぎ奪ってやる。
「ふ――!」
ようやく顔を見せる、人間の頭部ほどはあろう球体。
刹那のうちに、砕け散る。
核を失ったゴーレムは、途端に崩れ始めていた。巨体の真下にいたリュステウスは、絶望の声を上げながら逃げ回るだけ。次の一手はないらしい。
地面に両足をついて、ホッと胸を撫で下ろす。
リュステウスは全速力で離れていくが、その後ろを元に戻ったケルベロスが追っていく。
十秒も立たない間に、逃亡者は巨大な前足で抑えつけられた。
「がっ!?」
『動くな、人間。加減を間違えれば潰してしまうかもしれんぞ』
「ひっ……」
身動きが取れないリュステウス。ケルベロスはたっぷり悪意を込めて、口の端を釣り上げていた。
半壊気味の神殿からは人の声が聞こえてくる。アテナが送り込んだ神殿騎士だろう。……特別と言っていたが、今日はバーゲンセールか何からしい。
加護の一つである千里眼を用いた予測は大当たり。しばらくすると、甲冑に身を包んだ男達がやってきていた。
「ご苦労様です、神子様。この男はこちらで預かろうと思いますが……宜しいですか?」
「俺は構いませんよ。ケルベロスさんは?」
『右に同じだ』
騎士に包囲されてから、リュステウスは解放された。といっても、数秒後には同じ扱いしか待っていないが。
彼が連れられていく、その直前。負けを認めていない双眸が俺を射抜く。本当、負け犬の遠吠えとしか思えなかった。
呆れてものが言えないとは、こういうのを言うんだろう。




