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「必ずオルトロスは連れて帰るから。信じて欲しい」
「……疑うだなんて、絶対にありません。ユキテル様の無事を、ただここで祈っています」
「祈るだなんて、ある意味疑われてるような……」
「もうっ、こんな時に茶化さないで下さいよ。ほら、オルトロスが待ってますよ?」
四つの瞳が睨んでくる。兄には目も向けず、俺だけを凝視している。
直後だった。
オルトロスが、全速力で突撃してきたのは。
「っ!?」
ケルベロスとヘルミオネの横を抜け、ゴーレムごと蹴散らして突貫する巨体。
シビュラを抱きかかえ、俺は急ぎその場を離れる。入れ違う形で神殿の正面が粉砕され、支えの柱も何本かが崩れ去った。
「なんだ今の……」
「恐らく、オルトロスの能力です。強力な魔獣は、加護と似たような固有の力を持つと聞いたことがあります」
「面倒な……」
神殿から少し離れた場所に着地し、シビュラを一旦地面に下ろす。
やはりオルトロスはこちらを見ていた。近くに兄がいるというのに、その隙を狙おうともしない。……最初から、俺だけを狙っているんだ。
早急に案を出さなければならない。あの弾丸じみた突進を、どうやって回避するか。どうやって反撃の一撃を叩き込むか。
記憶にあるオルトロスの情報を引っ張り出す。名前の意味は、速い、あるいは真っ直ぐ。性格はせっかちで冷静さに欠けていた筈だ。
先の突進力はその名から来た能力だろう。攻略に活かせるとしたら、性格の方か。
「シビュラ、昨日のクッキーある?」
「いくら何でも持ってきてませんよ……あの子の注意を引きたいんですか?」
「うん、慌てんぼさんみたいだからね。姿が変わっても、餌で釣れるかと――」
話をしていようと、敵は待ってくれない。
エーテルの光だろうか。全身の毛から淡い光を放出し、加速に備えて身体を低くしている。
来た。
「シビュラ!」
「は、はいっ……!」
さっきと同じように抱き上げて、番犬の一撃を回避する。
対策が浮かぶまでは逃げ回るしかない。シビュラを安全な場所に置きたいが、距離が離せていない現状では危険だ。そもそも、実は彼女を狙っている、なんて可能性も否定できない。
走る、走る、走る。
背後からは絶望的な轟音が途切れずに聞こえてきた。突進の間隔も徐々に短くなっている。時間切れはもう直ぐだ。
「――そうだ、オルトロスの最後って……」
ギリシャ神話において、彼は牛の番をしていた。それを奪いに来た英雄の匂いを嗅ぎ付け、迷うことなく挑んだ結果敗北してしまう。
この戦場において誰が英雄で、誰が牛なのか。
通用するかどうかも分からないのに、逃げながら思案を重ねていく。……どうせ、このままでは二人とも地獄行きだ。ならちょっとぐらい、賭けに出る必要もあるんじゃないか。
「シビュラ、ここで待ってて!」
「え、えええぇぇぇえええ!?」
問答無用。絶句する彼女を降ろし、そのままオルトロスの反対方向へ離脱する。
大気を震わせて走る双頭犬。
「っ――」
彼は、目を瞑るシビュラを襲わなかった。
ケルベロスの言を思い出す。オルトロスが人間に懐くのは、珍しい出来事なのだと。
シビュラは接点があったが、俺の方は彼に触れてすらいない。唸られたりはしなかったが、まあ今の実験で嫌われているのが明らかになった。
「ともあれ……」
あんなに細い身体で申し訳ないが、シビュラが牛ということらしい。
後は迎撃するだけだ。
百腕巨神を構え、猛追する巨体を正面から睨む。




