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『――やはり、主殿では?』
おかしな声だった。
いくつもの音が重なって、残響を作っている。青銅が打ち鳴らされているような、あまり人間らしい感じがしない声。
記憶の中には、一つだけ心当たりがある。
「け、ケルベロス……!?」
『おお、我を覚えておいでですか!』
ズン、と地響きと変わらない足音が響く。
これまでは伏せていたんだろう。その巨体はゆっくりと起き上がって、いくつかの疑念に答えてくれた。
まず、音が重なっていたこと。
彼には三つの頭があった。いずれも厳めしく、人懐っこさは微塵もない。こんなのに睨まれでもしたら、悲鳴を上げて逃げ出すのが正常な反応だ。
「でか……」
冥府の番犬・ケルベロス。
三つの頭を持つことでお馴染みの彼は、ゴーレムなど比較にならない巨体の持ち主だった。頭の位置は地面から十メートル近く離れている。全長については言うまでもない。
六つ三組の視線には敵意がなかった。あるのは敬愛の念で、直前の言葉を思い起こさせる。
『……我が主にしては、小さい。というか若い』
「えっと、俺はゼウス様の加護を持ってるだけの一般人です。貴方のご主人――ゼウス様のお兄さん、ハーデスさんとは無関係です」
『加護を持つ者に一般人などおらぬがな。――しかしそうか、道理で雰囲気を間違えるわけだ。許せ、少年』
「あ、いえいえ、こちらこそ」
『いやいや、我の方こそ』
謝罪合戦が始まった。
そんなことをしている間に、ヘルミオネが連れてきた応援もケルベロスの存在に気付く。
速やかに攻撃の準備を整える彼らだが、空気は必然的に弛緩していった。俺がケルベロスと親しげに話しているため、危機的な状況ではないと察したのだろう。
「ど、どゆこと?」
まったくだ。
自分でもよく分からないまま、三頭犬との話を続ける。言葉が通じるのなら、人狼やゴーレムについての情報を引き出せる筈だ。
「一つお伺いしたいことがあるのですが……」
『何だ? 我の浅知恵で良ければ答えよう』
「人狼が地上に出てきたり、さっきも下層にいるらしいゴーレムが出てきたんです。理由をご存知ですか?」
『うむ、我の所為だ』
三つの頭が同時に頷く。ヘルミオネ達も少しだけ、攻撃意欲を取り戻していた。
俺は落ち着くようジェスチャーを送る。ケルベロスが意図的に迷宮、地上を荒らしているかは分からないのだから。
『身内を探していてな。上の層へ遊びに行っているんではないかと、捜索の手を広げているのだ』
「人――じゃない、犬探し、ですか。手伝います?」
『おお、それは有り難い。我もこれ以上、不用意に動くのは避けたかったところでな。なにせ魔獣達が脅えて逃げ回ってしまう故』
「まあその巨体ではねえ……ってなわけでヘルミオネ、彼のことは俺に任せてもらっていい?」
「は、はい?」
困惑しているのは彼女だけじゃない。後ろに控えている神子達も、口々に議論を行っている。
「じゃ、そういうことで」
「はあ!?」
同意を待つ必要はあるまい。こちら側にすれば、少し戦意を挫ければ十分。ケルベロスが安全に移動できればいいんだから。
背中を向ける一人と一匹に、神子達の動揺は大きくなる。ヘルミオネだけが冷静で、与えられた選択肢を絞ろうとしていた。
「ああもう!」
連れてきた戦力に別れを告げて、彼女もこっちにやってくる。
重低音の声を響かせ、ケルベロスは挨拶を送っていた。受け取った少女の方も、ぎこちなくではあるが好意的に返す。
残された神子達は、棒立ちしているだけだった。




