10
「ほらシビュラ、もう終わりにして。危ないよ」
「へ? ――あ、ああ、御免なさい。つい神子様のことで夢中に」
「……それは有り難いし嬉しいけど、周りへの注意が散漫になるのはどうかと思う」
「で、ですよね」
じゃあ、と一言挟んで、シビュラは大胆にも密着してきた。腕と腕を絡める形で。
傍から見れば完全に恋人同士である。女性の象徴でもある胸の感触まで伝わってきて、頭の中が完全にフリーズした。
うむ、柔らかい。あと大きい。
異世界女性の平均サイズがどれぐらいかは知らないけど、個人的には間違いなく巨乳の部類。腕に押しつけられて変形していることも含め、とてつもなく色っぽかった。
「神子様、もしかしてこういうの始めてですか?」
「――うん、まあ、これまで女性経験はないよ」
「ほほう、それは朗報です! 神子様に私の魅力を刷り込み放題、ってわけですね! 勝ったも同然です!」
「もう色々な方向性で勝ってる気がする……」
「本当ですか!? アテナ様がライバルになりそうな気はしてたんですけど、神子様がそう仰るなら私の勝利は揺るぎませんね!」
「言っていいのかな、それ……」
知っている限り、彼女は非常にプライドの高い一面がある。
例えば、自慢の金髪を貶された時。相手もこれまた美女だったのだが、アテナは彼女を蛇の怪物に変えてしまった。後に討伐する話が出た際も、積極的に協力したとか。
今のところ、シビュラの周りに変化はない。
聞き逃してくれたのか、あるいは普通に聞こえていないのか。……頼りがいのありそうな女神だったし、神話で語られているほど短絡的ではないのかもしれない。
「お」
ようやく見えてくる校門。教員らしき人物が、やってくる生徒達と挨拶を交わしている。
やけに目立つ男性教師だった。燃えるような赤い髪と、二メートルはありそうな長身。肩幅も広く、短い袖の下からは鍛え抜かれた筋肉が覗いている。
「よう、やっと来たか」
「?」
彼は俺達を見定めると、生徒の波を掻き分けて近付いてきた。
改めて、見下ろされることに威圧感を覚える。眼光は野獣のように鋭く、一瞬でも気は抜けない。
「おはようございます、先生」
「おうシビュラ、おはようさん。んで、こっちのボウズが新しい神子か。――ふむ」
「……」
シビュラは平然としているが、こっちは気が気じゃいられなかった。右の手首も熱を放っており、いつでも戦闘を開始できると張り切っている。
周囲の生徒達が視線を寄せるぐらいの切迫感。どちらが根を上げるか、根競べにも近い睨み合いが続く。
肩の力を抜いたのは、赤髪の男からだった。
「悪くなさそうな男だな。俺はアキレウス、お前さんの担任教師ってやつだ。よろしくな、ボウズ」
大きな手が、清々しい笑みと一緒に差し出される。
拒む理由もなく握り返すと、アキレウスは嬉しそうに残った手を重ねてきた。差し迫った雰囲気は跡形もなく消え、しっくりと来る陽気な顔付きに上書きされている。
「んじゃあ、さっそく案内させてもらうぜ。シビュラ、ついでだからお前も来い」
「元からそのつもりです。神子様のお世話は私がするので」
「はは、気合入ってんじゃねえか」
踵を返すアキレウス。シビュラに背中を押されて、俺は彼の背中を追い掛けていく。
……しかし、また随分と大御所の名前が出てきたもんだ。彼、ギリシャ神話じゃ最強を争う大英雄だぞ。まあこっちでも同じ扱いかどうかは不明だが、ただ者じゃないのは十分わかる。
そんな人が、クラスの担任。
異世界に来てしまったんだと、改めて実感した。




