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一幕 No.12の歌えないナキ 03

 愛車のポンコツ・スナフキンは今朝は機嫌が悪い。

 何度か繰り返してやっとエンジンがかかると、ミラーに下がったロバのぬいぐるみをつついていたウタはぱちぱちと睫毛を震わせた。ステージ用の衣装トランクは、バックシートの下。助手席に座ったウタはいつもの身軽なシミューズドレスに、ナキのモッズコートをかけている。窓を開けると、排気ガスの重ったるいにおいが吹きつけた。中心市街に向かって見通しの悪い狭路を走る。


「スナフキンはナキのにおいがする」

「煙草くさいだけ。……寝てなよ、ウタ」

「うん、寝てる。ナキはやさしいね?」

「ふつうでしょう」


 ラジオの音量を上げる。東京から配信されているチャンネルを受信したもので、一昔前の歌謡曲を流していた。ウタは流れる景色をしばらく物珍しげに見ていたが、そのうちラジオに合わせて鼻歌をうたった。甘やかなソプラノに目を細め、ナキはハンドルを切る。

 遊戯の開始は十二時間後の午後六時。ノアの館で開始のコールが鳴るなり、一回目のベット・タイムになる。十番『運命の輪』も十九番『太陽』も、ベテランのチルドレンだから、始まる前にある程度の情報を集めておくだろう。ナキも、なじみの情報屋へ昨晩のうちに連絡を入れておいた。

 車を走らせながら、これまで集めた情報を頭の中で整理する。

 アギラ=ソンジュは前の東京政府の総帥で、一年前に腹心の部下に告発され、汚職疑惑で失脚。裁判の末、東京追放・タウン行きが決まったらしい。ちなみに、今の東京総帥にはその裏切った部下がついているという。

 タウン行きとは、ただの追放ではなく、遊戯の標的として送還されることを意味する。これは公開処刑と同義で、もっとも屈辱的な刑罰のひとつと、あちらでは考えられているそうだ。海に囲まれた人工島であるタウンは、東京と一本橋でつながっており、公文書上は「ごみ埋め立て地」、住民数は「ゼロ」となっている。とはいえ、実際は街のいたるところにひとが住んでいるし、歓楽街にも毎晩、大勢の客がやってくるのだけども、「何もないし、誰もいない」というのが政府の「ごみ埋め立て地」に対する公式の見解だった。


「おっきいねえ。あれがかもめ橋?」


 朝のまばゆい水面の照り返しがサイドミラーに反射する。窓から顔を出したウタは目を開いて、巨大な鉄骨橋を仰ぐ。東京とタウンとの間にかかる旧かもめ橋。今はゲートが閉まっている橋を横目に、道をくだる。民間の商船が定期的に行き来をしている埠頭は、タウン内部より舗装が行き届いて、少しだけこぎれいな印象を受ける。車を止めると、ナキはドアを開けた。さっと凍てた風が頬をかすめ、ショートボブをかき乱す。


「夜見るのとちがう。ウタ、ノアの館以外にはあんまり行かないし」


 ナキのモッズコートを羽織ったウタも車から出てきて、隣に立った。船着き場よりも河口寄りに、ノアの館をはじめとする歓楽街は立っている。朝のこの時間は、夜の灰色を残したまま、街はまだ眠りについているかのよう。あふ、と小さなあくびをして、ウタはナキの腕に手を回した。絡められた腕とは逆の手で、ナキは地図と目の前の橋とを見比べる。


「襲撃があった場所は橋の右方。ややタウン寄りか」


 逃走車はタウン方向へ向かったと、輸送を担当した職員たちが証言している。囚人の逃亡を受けて、対岸の東京の船着き場では、厳重な検問を行っているものの、今のところアギラ=ソンジュらしい人物は見つかっていないそうだ。

人工島であるタウンに、ほかに逃げ場所はない。つまり彼らはタウンのどこかにまだ身を潜めている。シャーロックもそう予測を立てたからこそ、遊戯の標的にソンジュを選んだのではないか。あるいは、シャーロック自身は標的の居場所にすでに心当たりがあるのか……。


「彼らの目的はなんだろう」

「面白いことを言うね、ナキは。ほかの子は標的をどう殺すかとか、チルドレンをどう出し抜くかで今頃悩んでいるのに」

「だってまず、標的を見つけられなきゃ意味がない」

「情報屋がいるのに?」

「あいつらがくれるのは情報。考えるのはわたし」


 ナキは今はウタが羽織っているコートのポケットに手を突っ込んで、紙に包んだビスケットを取り出した。半分に割って、ウタに差し出す。ふんわりと微笑んだ少女は小鳥のようにナキの手からビスケットを啄んだ。ビスケットは三つあったけれど、一枚ずつ割って、片方を差し出すのを繰り返す。ナキからビスケットをもらうウタはうれしそうだった。


「あっ、ナキ。橋のほうからトラック」


 指をさすウタにつられて、ナキは橋の上を走るブルーのトラックを仰ぐ。今日は月曜。ごみの投棄日だ。三台ほど連なって走るトラックは、ゲートの前で一度止まったあと、タウン内部へ侵入した。ごみの埋め立てに使われているのはタウンの西半分で、歓楽街とは逆方向になる。少女の身体を自分の背にそれとなく押しやって、ナキは目の前を通り過ぎるトラックを見つめた。東京のごみ清掃所の職員は、こちらにはちらとも視線を向けずにハンドルを握っている。


「ねえ、ナキ? ごみの埋め立てっていつからやっているんだろう?」

「五十年以上前――って、昔ダフネが言ってた」


 橋向こうにある巨大都市・東京。タウンで生まれたナキはこの先も足を踏み入れることすらない橋向こうの、不夜の街。対岸に見えるビル群は、タウンのそれとはちがい、清潔な銀色をして、薄曇りの空にそびえていた。



 *



「アギラ=ソンジュねーえ。今、タウン中の情報屋が血まなこになって探してるわよん」


 情報屋・トリッキーは、ルージュをたっぷり刷いた官能的な唇を吊り上げる。

 タウンでもまず見かけない、ウェーブがかった金髪をバレッタで止め、背後の棚からチョコレートと牛乳の瓶を取り出す。指先には、ビジューをほどこしたネイル。はた目には魅力的な美女だが、トリッキーは立派な性別、雄である。

 バー・トリッキーは、シャーロック・タウンの中心にある「適当休」のでたらめな店で、裏の顔は情報屋。もうひとつめくった裏側については、ナキだってわからない。


「目撃情報は?」


 カウンターに腰掛けて、ナキは尋ねた。きのうのうちにナキはいくつかの情報屋にアギラ=ソンジュの捜索を依頼した。今朝までに返ってきた情報はゼロ。トリッキーはバーに足を運んだ客だけに情報を提供する気難しがりで、かつその突飛な外見から毛嫌いしているチルドレンも多いけれど、情報屋としての腕は確かだった。


「今のところはナシ。これは完全に地下に潜ったわね。タウンから逃げる気がないのかも」


 ホイップたっぷりのアイスココアをナキの前に置き、トリッキーはトースターから焦げ目のついた食パンを取り出した。半分に切るとバターを塗って、片方にはきゅうりとチーズ、もう片方にはたまごペーストを塗る。


「はぁい、ナキちゃん。カフェ・トリッキーのスペシャル朝食を召し上がれ……ていうか、その後ろの子ナニ?」


 トリッキーに睨まれて、ナキの背中にくっついていた少女がびくっと肩を跳ね上げる。ウタはシャーロックやナキにはわがまま放題のくせに、外ではひどい人見知りを発揮する。ナキのニットの裾をきつく握り締めて、背中からそぅっとトリッキーをうかがったウタは、「ねえ、ナキ?」とひどくむつかしい問いにぶつかった様子で眉根を寄せた。


「どうしよう? この生き物が、雄か雌かわからない」

「あっらー、失礼ね! 性別は乙女に決まってるでしょうが!」


 ウタのひそひそ話は残念ながら筒抜けだったらしい。カウンターからトリッキーが身を乗り出したので、ウタはぎゅうとナキの腰に腕を回した。


「何なのよナキちゃん、このお嬢様。えらい別嬪だけど、まさかあたしへの愛を忘れて乗り換えたっての?」

「オコガマシイヒト。ナキはウタのものなんだから」

「ああん? 聞き捨てならない台詞を吐いてくれるじゃないの」

「きらい。ナキ以外の生き物はきらい。きたない。みにくい」

「……ナキちゃん。このお嬢ちゃんの躾の方針について、ちょっと問い詰めてもいいかしらん?」


 ナキの背中に逃げ込んだまま、ふううううとウタはトリッキーに向けて威嚇する。わん!とトリッキーが吼えると、またナキの背に隠れた。背中に貼りついたまま離れない少女を見て、ナキは息をつき、トーストをかじる。


「ウタはわたしの妹。チルドレン十五番。『白亜の宝石』って言えばわかる?」

「シャーロックのカナリヤちゃん? へーえ、これがねえ?」

「ふうううううう」

「わん!」


 柘榴石の眸を腫らして睥睨するウタに対して、トリッキーは愉快げだ。見せつけるように、ナキの顎をちょんと指先で持ち上げる。


「それで? 今日はアギラ=ソンジュを探しに来たのん? あたしのかわいいナキちゃんは」

「テレビは見た? 今回の遊戯の標的は、アギラ=ソンジュ」

「あんたも動いてんのね」

「十番『運命の輪』と十九番『太陽』と争ってる。遊戯開始は十時間後。それまでに彼の情報を集めたい。できるだけ多く」

「まあ、すぐにあたしを頼ったあたりは賢明だったと思うわよん」


 にっと唇を吊り上げ、トリッキーは奥の私室にナキたちを招いた。ニットをつかむ指先が強くなる。ナキは仕方なく、ウタの手を握ってやった。そうすると、ましろの頬がふわりと染まり、嬉々として握り返してくる。


(デートみたい)


 とっておきのささめきごとをするように囁くウタに、ナキは瞬きをする。ウタにすれば、この命のかかった遊戯もナキとの「お誕生日デート」に過ぎないのだろう。本当にたいそうなご身分である。


「お嬢さんがた。バー・トリッキーの私室へようこそー?」

「相変わらずひどいね」


 中の惨状を見渡して、ナキは呟いた。


「情報の宝庫と言いなさいな」


 かろうじて見つけた椅子を掘り起こしていると、そこだけ整然としている机に鎮座した旧式のコンピュータをトリッキーが立ち上げる。部屋にはトリッキーが常時使用するメイン・コンピュータのほかに、いくつものサブコンピュータが所狭しと並んでいる。明滅する液晶に気を惹かれたのか、ウタが画面に手をかざして遊び出した。

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