五輪選考人質事件
『国際オリンピック委員会はここに謹んで発表いたします。2020年に第32回オリンピック競技大会の開催都市に決定したのは……』
言いさして、IOC会長が開催都市名の入った封筒をピリピリと開く。
そのたった7秒間ですら待ちきれないように、会場が緊張で張り詰めていく。
IOC会長は冷静に、中に入っていた五輪マークが印刷されたカードを、くるりと観衆に向けた。
「TOKYO 2020」
その瞬間、大歓声を上げて、日本招致団が沸き立った。
抱き合って喜ぶ者。漢泣きで顔を覆う者。
2011年から始まった東京オリンピック招致団の努力は、この瞬間に報われた。
――この時点では誰も知る由もなかった。このオリンピック最終選考会が、六大陸戦争の引き金となることを……。
――というか、一体誰が気付けるというのか。
筋肉の祭典オリンピックの前哨戦に、魔力マッチョの祭典、魔リンピックが開催されるなどと。
□□□
事件は、調印式後の記者会見で起こった。
日本国総理と東京都知事、IOC会長がはためく五輪旗のもとで晴れやかな顔をして並んでいる。
彼らは、記者たちの質問にも安堵の滲んだ声で一人ずつ答えていった。
だが、一人の記者の質問には全員が困惑した表情を浮かべる。
その記者は不気味な声でこう言った。
「質問があります。『五輪マークはヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸と、その相互の結合、連帯を意味している』と聞きました。ですが、アトランティス大陸の名が挙げられていません。アトランティス大陸は相互友好の対象に認められていないんでしょうか?」
記者の顔は、至極真面目だった。だからこそ、たちが悪い。
列席している他の記者たちは突拍子のない質問に失笑をもらした。
的外れな質問には慣れている会長も、この質問には乾いた笑いしかでてこない。
「オリンピックは現実に存在する大陸にのみ参加が認められます。そして、アトランティス大陸は現実に存在しないのです」
これで察してくれ、と言わんばかりの苦笑だった。
会長は、質問した記者はジョークで場の雰囲気を湧かせようとして失敗したと考えたのだ。
笑って流してやるのが年長者のたしなみだと、IOC会長は考えていた。
会場内の雰囲気も同じだ。若者の些細な失敗は、このめでたい席では穏便に済ませてしまおうと、温かい雰囲気が漂っている。
ところが、くだんの記者は冷ややかな声で答えた。
「なるほど、アトランティスはこの世にいないと……そうおっしゃるか。われらアトランティスの存在を否定すると」
ゆらりとした怒気が記者を包む。
おいこれヤバいんじゃねぇか? と会場はざわざわした。
好意を蹴られただけでも空気が冷えるのに、記者の頭はアレなのかもしれない。
彼は、オカルトでしか語られないアトランティス大陸を現実にあるものと考えており、自分がそのアトランティス人だと主張している。そんな馬鹿な話があるものか。
誰だ、こいつを会場にいれたガードマンは! そいつに責任とらせろー。今年一年アルパカ着ぐるみの刑にしてやる!
臨席者たちの頭を過激な思考が駆け巡る。
それでもIOC会長は、引きつった笑顔を纏いながらも、場の雰囲気を穏やかなものにしようと考えを巡らせた。
大丈夫だ。いかに思考がアレでも、彼のボディチェックは済ませてある。飛びかかってくることはあるまい。私はガードマンが来るまで、ベルギージョークでうまくかわし続ければいい。ゲルマン魂をここで魅せずにどこで魅せる!
深呼吸し、気を静めるIOC会長に反し、自称アトランティス人は更に憤激していた。
彼の身体を取り巻く怒気は、ますます気炎をあげ、オーロラのように目に見えるほどだった。
……臨席者の一人は気付いた。なんかホントにオーラが見えるんですけど?
今度は二、三人が眼鏡をこすりだした。
驚いたことに、コンタクトを外しても謎のオーラが見えた。
あー、こりゃだめだと更に三十人が目頭を押さえた。
ガードマンより眼科医が必要かもしれない。全員の目がおかしくなった。
もはや、自称アトランティス人は、今や纏うオーラを隠そうともしない。
弾劾するようにIOC会長に指を突きつけ、厳かに宣言した。
「戦争だ! われらの存在を否定する傲慢な五大陸に、われらは宣戦布告する」
明らかにこれは冗談の範囲を超えていた。IOC会長は目でガードマンに合図した。
――彼をどうにかしてくれ。
ガードマンが飛びかかる寸前、アトランティス人(?)は一際強いオーラに包まれる。
その指先から目を焼くような光が飛び出し、IOC会長に向かって飛んだ。
咄嗟に机の下に隠れるIOC会長たち。光はIOC会長の背後を貫いてそのまま壁を貫通した。
恐る恐る、IOC会長が背後の壁を見上げる。
そこに掛けられていた五輪の旗が、無残にも大穴を開けられてしょんぼりと垂れ下がっていた。
アトランティス人はニヤリと笑った。
「動くな。両手を上げろ! 魔法で黒焦げになりたくなかったらな!」
動くなって言いつつ、両手上げさせるとかどっちやねん……。
――IOC会長以下、会場の紳士淑女は震えながら両手を上げて、抵抗をあきらめた。
ただでさえ、前代未聞の魔法による人質事件。
解決は胡散臭い連中に任せられることになった。――国連超常現象局。
オカルト的国際紛争を解決するための部署だ。
対策本部のチームリーダーに任命された、青いショートウェーブの髪の女性――アメリアは、おっとりと手に頬をあてて小首をかしげた。
「確かに私がお引き受けしますけど~、チームメンバーの人選は私に任せてくださいね~」
上司である局長が尋ねる。
「誰を任じるつもりだね?」
「そうですね~。UFO馬鹿と一人UMA動物園と、あと炎の羊飼いは外せないかしら~」
(なんだ、そのユニーク過ぎるニックネームは……!?)
上役の眉間が引きつる。しかし、彼は頷くだけに留めた。
この部下は扱いづらいが、武勲は局内一である。口を挟むより、好きにやらせようと判断した。
「それじゃあ、彼らを招集しますので~、一日時間を頂きますね~。まずはUFO馬鹿の所在確認かしら~。あの子すぐどこかに行っちゃうから~」
ぽえぽえしたアメリアの言葉に、局長は疲れたように頷いた。