第六章
旬は五年生になって運営委員会に入った。五年二組の運営委員希望者が多かったのでじゃんけんで決ったのだ。運営委員会というのはスガル小学校の四年生以上から一クラスにつき二人ずつ代表を出して学芸会とか運動会とかの運営を児童みずからやる委員会のことだ。
といっても学芸会も運動会も二学期にあるから、とりあえず今の仕事は六月にやる校内RPG大会の準備しかない。
毎週水曜日の放課後に理科実験室で運営委員会を開くのだけど六年生がなかなか参加しなかった。今年の六年生の人数は多く、全部で四クラスある。だから本当は八人来るはずなんだけれど、毎週ある運営委員会には三人しか来なかった。
みんな塾に行っているのだという。塾があるなら運営委員会なんてやらなければいい話なんだけれど、やっぱり受験で内申点とかが有利になるから運営委員会をやっている人もいるのだという。変な話だ。
六年生がほとんどいないので仕事はほとんど五年生がやることになる。まだ右も左もわからない四年生にまかしてもいられない。
でも校内RPG大会はほとんどのルールや運営のやりかたは去年のを参考にすればいいのでそんなに大変なわけでもない。
とりあえず六年一組が武器屋、二組が道具屋、三組が防具屋、四組が薬屋をやることになった。六年生はそれぞれの組が一つずつ店を出してアイテムを売ったり買ったりするのだ。そして五年生はモンスター役だ。
二年生から四年生は勇者役で、希望者は魔法使い役をすることもできる。希望者といっても魔法使い役はほとんど女の子がやることになっている。なぜかは知らないけれどそれがスガル小の伝統であった。そして一年生は先生につれられて見学だ。
そして、勇者や魔法使い、そしてモンスターが戦いの時に使うサイコロは各自が図工の時間に作ることになっている。
だから運営委員会が用意するのは、武器や防具などのアイテムとこの大会だけで使うことができるお金、スガル札だけである。これらは工作用紙を切って、剣や盾の形に切って色紙をはって、武器なら攻撃を「+5」とか、防具なら「−5」とか書いていく。スガル札なら全体のバランスを崩さないように児童の人数に合わせて紙に金額を書いて、枚数も決める。なかなかたいへんな作業だ。
といっても毎回アイテムは回収するので、だいたいは去年のを使えばいい。でも中には児童の落書きで「+3」の武器が「+8」になっていたりするので、新しいものも作らなければならない。でもこれが楽しい。そして今回のボス・モンスターは旬がやることになっている。だから旬はとびっきり強いアイテムを持っていていいことになっていた。そのアイテムはもちろん自分で作って良い。これがやりたくて運営委員会をやる五年生が大勢いる。
では、なぜ旬がボス・モンスターになったかといえば、やっぱり体格がでかいから、だろう。こういうのは形から入るのだ。
旬は毎週水曜日、楽しんで運営委員会に参加していた。武器や防具を作ることができる委員会なんて他には無い。楽しいったらありゃしない。男の子の運営委員は主に剣や盾、女の子の運営委員は色紙で花をつくって薬草を作っていた。
工作用紙を斧の形に切っていると、六年生の女の子が赤いランドセルを持って立ち上がった。
「あの、先生。塾があるので帰ってもいいでしょうか?」
すると運営委員会担当のおばさん先生は少しむっとした口調で言った。
「いいですけど、なんで塾を別の日にできなかったの?」
それを聞いて女の子はしゅんとなった。
「水曜日は算数の日って決っていたんです。ごめんなさい。」
ごめんなさい、と言っても担当のおばさん先生は許さなかった。
「なら、委員会の日は水曜日ってわかっているんだから運営委員会をやらなければ良かったでしょ?」
とさらに追いつめる。
旬は、それを言ったらおしまいだ、と思った。女の子とおばさん先生はにらみあっている。運営委員会は二人が体全体から発している緊張感でぴんぴんにはりつめている。
なんとなく作業をしている委員たちの雰囲気もきまずくなってきた。女の子はランドセルを持って立ち尽くしている。先生は両脇に手をおいて女の子をにらみつけている。どっちもひかない。どっちも動かない。
だから周囲の運営委員たちも思わず手を止めてしまった。四年生も作業の手をとめてどうしたらいいものか、どぎまぎしている。気にもとめない旬だけが自分用の武器、カスミの剣とカスミの盾の製作を続けていた。
にらみあいはしばらく続き、女の子が泣き出した。どうしようもないから仕方なく泣きました、という感じの泣き方だった。旬は胸のあたりにしょっぱいものを感じた。
女の子が泣くとおばさん先生も少しひるんだようだった。両脇においた手を胸の前で組んで
「泣かないの。じゃあ、もうしょうがない。帰っていいから。」
とあきらめたように言った。
「はい。わかりました。」
と女の子は言って、ランドセルを背負うと扉を開けて教室を出て行った。そのとき旬は、女の子がぺろりと舌を出したような気がした。四年生の中にもその赤い舌を見た子がいるみたいで、びっくりしてその子の赤いランドセルと先生との顔とを見比べていた。
もちろん先生は気づいていない。気づいていたら大変なことになっていただろう。でも気づいていない。でも、おばさん先生がその赤い舌に気づいている世界といない今の世界、その二つの世界に大した違いがあるのだろうか?もし違うとしたら何が違うのだろうか?
六年生の女の子が帰って、残った四年生と五年生、そして二人の六年生の運営委員たちは作業を続けた。ほとんど六年生がいないからでも、あの舌を出して帰った女の子がいないからでもない。残った運営委員会の中では不思議な感情で満ちていた。まじめだからではない。それが楽しいからでもない。ましてや悲しいからでもない。不思議な集中力で、残った十四人は作業を続けていった。おしゃべりをする者はもう誰もいなかった。
午後四時三十分になって、運営委員会は作業を終えた。やらなくてはいけない作業はほとんど終わっていた。
帰りの仕度を終わって旬は昇降口に向かった。そこにはいつぞやの灰色の髪をした女の子がいた。
「旬、久しぶり。今日は一緒に走る?」
旬は首を横にふった。
「走らない。今はそういう気分じゃないんだ。」
「そう、なんだ。」
霞は少し悲しそうな表情を、一瞬だけ、気づかれないようにほんの一瞬だけした。でも旬はそれを見逃さなかった。
「今度走ろうよ。」
旬はぽつりとつぶやいた。
「え?今なんて言ったの?」
「今度一緒に走ろうよ。いつになるかはわからないけど。」
それを聞いて霞は笑った。
「うん、走ろう、一緒に。」




