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レルネーヨ戦記  作者:
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第四章

「じゃあ、後はお願いね。」

作戦を立てた後で、霞は一階の校長室の角を左折して昇降口をぬけたところにある図工室に向かった。旬の通うスガル小学校は「コ」の字をしていて、一階では、一画目を書き始めるところに図工室があり、一画目の縦の線にあたるところに校長室や職員室、それから一年生の教室がある。そして二画目を書き始めるところに体育館があるのだ。そして霞に「お願い」された旬は一年生の教室の前を通ってつきあたりを右折して、和室や家庭科教室の前の廊下を通って体育館に向かった。

 体育館への扉はこの時間はもう鍵が閉められているはずだけれど、なぜか鍵はかかっていなかった。たぶん、レルネーヨ世界だからだろう。ほんとうに便利な言葉だ。そして便利な世界。

 体育館の扉をあける。すると旬に向かってバスケットボールがボンボンとはねて転がってきた。旬は手にしたほうきとちりとりでそれらをよけた。そしてほうきとちりとりを左手でいっぺんに持って右手でバスケットボールを一個だけつかんだ。

 体育館の舞台の上に十体の人型風船がいた。霞の予想通り、やつらはやっぱり体育館にいた。

旬は体育館の真ん中まで歩くと、バスケットボールをそいつらに向かって投げた。さすがに人型風船たちはゆっくり軌道をえがいたボールをよけた。舞台の上で何にもあたらなかったバスケットボールがボンボンとはねる。

 舞台から降りた人型風船たちは旬をとりかこもうとしていた。一体の人型風船が速やかに体育館の扉と旬の間に立った。退路をふさぐつもりだ。

「このやろー。」

と旬は、扉の方にいた人型風船にとびかかった。そして馬乗りになるとちりとりを人型風船の胸にむけて振り下ろした。

 バスンという音がして、旬のおしりの下で人型風船がはじけた。点と線だけの単純な顔をした風船だった。その手抜きな顔を見て、旬はかわいそうに思った。残った九体の人型風船も旬に襲いかかる。旬は立ち上がって扉の方に逃げた。

 そして家庭科教室の前を走る。振り返ると体育館の狭い扉からおしあいへしあい人型風船たちが出ようとしている。彼らに順番に出るという発想はないらしい。扉のところで押し問答しているところに旬はちりとりを投げつけた。一番先頭にいたキラキラな目をした人型風船がバチンと割れた。その弾みで後に続く人型風船たちが扉から出てきた。

「残り、八体。」

旬は全速力で逃げた。和室の角を右に曲がり一年生の廊下をかけぬける。「へのへのもへじ」顔の人型風船がしつこく旬にせまってくる。旬は右手に持ちかえたほうきで何度も何度もはたいた。もちろん後ろを振り返る暇はない。

保健室の前を通り、誰もいない職員室、机と人型風船の残骸がのこる校長室を抜けて左折。そして昇降口を通って図工室の開いている扉に入り込むと、すぐに旬はわきによけた。そして図工室の机の上に乗って仁王立ちの霞に目で合図する。合図を受けた霞は旬に何かを投げて渡した。

最初に図工室に入ってきたのは「へのへのもへじ」顔の人型風船だった。机の上の霞が足元に置いてあるのこぎりをそいつめがけて投げつけた。

しかし「へのへのもへじ」はのこぎりをサッとよけた。すばやい。そしてそいつがよけたために後ろにいた人型風船がのこぎりの犠牲になった。バチン、バチン。二体が割れた。残り、六体。

次に霞は四本の彫刻刀を右手の指と指の間にはさみ、左手の指にも四本の彫刻刀をはさんだ。彫刻刀がまるで獣のかぎ爪のようになった。そして霞は机の上から「へのへのもへじ」めがけて襲いかかった。三体の人型風船が「へのへのもへじ」に味方する。

残った二体の人型風船は旬の方にむかった。旬は、霞から渡された割り箸の輪ゴム銃の銃口を二体の人型風船に向ける。しかも連発式輪ゴム銃だ。

その輪ゴム銃にひるんだ二体の人型風船、怒りんぼ顔とタコ顔の顔めがけて旬は輪ゴムを放った。バチン、バチンという音をたてて二体の人型風船が割れた。

一方、霞の方も二体の人型風船を彫刻刀で切りさいた。そしてもう一体を両手の彫刻刀をおしつけて割った。バチン。

そいつを割ったはずみで霞はそのまま床に倒れてしまい、彫刻刀を全部床に落としてしまった。霞の上から手ごわい「へのへのもへじ」がおおいかぶさった。

そのときだ。旬は連発式輪ゴム銃の残った輪ゴムを「へのへのもへじ」めがけて放ったのだ。「へのへのもへじ」は輪ゴムが発射された音に気づいたようだったけれど、もう後の祭り。

バチン。という音をたてて、最後までてごわい「へのへのもへじ」は破裂してしまった。とうとう最後の一体の人型風船が割れたのだ。

床には霞が頭をかかえて座り込んでいる。旬は輪ゴム銃の銃口にふぅー、と息をふきかけると、霞の近くによって手を差し伸べた。

「霞、大丈夫?」

「うん。」

霞が旬の方を見ると、そこには旬の右手があった。驚いたような顔をしたけれど、霞はその手をにぎった。そして旬に助けられて立ち上がった。霞の頬がすこし赤い。

「ありがとう。」

「どういたしまして。」

旬は周囲を見渡した。図工室の床に輪ゴムや彫刻刀や風船の残骸が散乱している。

「片付けとか、しなくていいのかな?」

「しなくても平気だよ。もとの世界に戻れば元通りになっているから。」

旬が残念そうな顔をする。

「それって『転校生』も元通りになるってこと?」

霞は首を横にふった。

「違う。『転校生』はいなくなるの。机とか、のこぎりとか彫刻刀とかが元にもどるってこと。」

「そうなんだ。」

今度は霞が旬の腕をつかんだ。そしてぐいっと引っ張る。

「四年二組がどうなっているか見に行こうよ。」

霞は満面の笑顔だった。それを見て、旬は、ああこれってけっこう楽しかったんだ。と思った。


 四年二組の教室の前の廊下には最初に霞が割った人型風船の残骸があった。旬はそれを拾いあげる。ただのゴムの風船だ。

「これが学級崩壊の原因なんだね。」

旬が霞にそれを手渡す。

「まあ、それは原因が形になっただけなんだけどね。」

霞の言葉に旬が首をかしげた。

「どういうこと?」

「学級崩壊の原因に何があったかなんて、誰にもわからないの。もしかしたら先生が単にだめな先生だったからかもしれないし、児童の家庭に何らかの事情があったのかもしれない。もしくはささいな教室の出来事が学級崩壊の原因になったかもしれない。でもその原因がみんなこの人型風船になっちゃうの。それでバチンって割れちゃうの。」

旬には霞の言っていることが良く分からなかった。

「それなら問題解決でいいんじゃない?」

霞は首を横にふった。

「いけないの。それじゃあ問題解決にならない。だって原因が何なのかわからなくなっちゃうから。」

「そうか。」

旬にはそれしか言うことはできなかった。霞は四年二組の教室に入り、扉に近い席に腰かけた。旬も後に続いて適当な席に腰かけた。去年まで座っていた四年生の椅子だけれど、少し小さかった。

「そういえばさ、どうやって元の世界に帰るの?」

旬が聞いた。

「さっきのコースを逆さにたどって走れば帰れるよ。」

霞が答えた。蛍光灯だけが光る、暗い教室の中、霞と旬はだまって教室の前の黒板を見つめていた。すると

「あっ。」

と旬がすっとんきょうな声をあげた。

「どうしたの?」

「霞、これを見てよ。」

と旬が自分が座っている机を指差した。霞が立ち上がって旬の座っている席に近づく。

「見てよ、これ。」

旬が指差すところ、机の上には黒いマジックで「へのへのもへじ」が描かれていた。


 二人は六年一組の廊下の前まで戻った。そして走った。五年生の前を通り資料室前で左折して階段を降り、四年二組の前を通って三年生、二年生の前をかけぬける。そして右折して階段を降りて校長室の前で風船の残骸にすべりそうになりながら、最後の一直線の廊下をかけぬける。そして昇降口についたとき、

「またね。」

という霞の声が聞こえて、旬の意識が飛んだ。


「おい、しっかりしろ。大丈夫か?」

声が聞こえる。霞の声じゃない。男性の野太い声だ。目をあけるとそこにはひげもじゃの顔があった。

「木村、何やってるんだ?」

それは四年生まで担任だったクマゴン先生だった。本名は確か、そう、熊谷先生だった。

「もう下校しなくちゃいけない時間だぞ。」

「あ、はい。わかりました。」

旬はたちあがった。ここは昇降口だ。ランドセルもちゃんと背中にある。

「クマゴン先生、今何時ですか?」

熊谷先生は腕の時計を見た。

「四時三十五分だ。」

下校の放送が流れてから五分しかたっていない。そんなわけはない。少なくとも一時間は霞と一緒に人型風船と戦っていた。

「嘘だあ。」

と旬が言うと、熊谷先生はひげをもさもさ動かして笑った。

「嘘なものか、四時三十五分だ。何を寝ぼているんだ?つかれているんだろ。まあ、さっさと早く帰るんだな。」

そう言うと熊谷先生は職員室の方へ歩いていった。

 校庭に出た。校舎の壁についた大時計も四時三十五分を指していた。校庭のわきをとぼとぼ歩いて校門を出ると直人が待っていた。

「うっす。」

「あれ?」

旬が驚く。

「体育倉庫にボールをしまったら、昇降口から旬が出てくるのが見えたから待ってたんだよ。」

それは早すぎる。あれから、それしか時間がたっていないなんてことはない。霞のことも、人型風船のこともみんな幻だったのだろうか?もしくは夢だったのか?

「何、ぼけっとしてんだよ。帰るぞ。」

そう言うと直人は走り出した。正直言って旬はもう走りたくなかった。

「あっ。」

と旬がすっとんきょうな声をあげた。

直人がふりかえる。

「どうした?」

「算数のプリント、忘れた。」

「何やってんだよ。」

その時、校門が閉められた。

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