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レルネーヨ戦記  作者:
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第三章

「旬、起きなよ、旬。」

と女の子の呼ぶ声がする。目覚めると目の前には霞の顔があった。灰色の髪に囲まれてきれいな霞の顔がぼんやりとある。はじめて霞の顔をまじまじと見たけれど、けっこうかわいい女の子だった。

 旬は体を起こした。どうやら意識を失って倒れたようだった。でも周囲はまだまだ暗い。廊下のガラス窓が黒色のスプレーを塗りたくったように黒い。そのため廊下も暗く、校舎中が青黒い無気味な雰囲気におおわれていた。冷たい空気がひんやりと漂う。

「どうしちゃったの?もう日は沈んだの。」

霞は、立ち上がった旬の体についたほこりをはたいてくれた。女の子におしりをはたかれて変な気になる。そういえば、もう旬はランドセルを背負っていない。いったいランドセルはどこに行ったのだろう。

「大丈夫、もうすぐ電気がつくから。」

そう言う霞の言葉通りに廊下の蛍光灯がパチパチと点灯していった。

「なんなのここは?」

と旬は聞く。おかしい、走り出す前まではまだ太陽はけっこうな高さにあったはずだ。それにまだ日が沈む時間じゃない。霞は旬の髪の手についたほこりをとって廊下に捨てた。

「ここはこのスガル小学校のレルネーヨ世界よ。」

「れるねーよ世界?何それ?」

うーん、と霞がうなる。

「まあ、言ってみれば学校の裏側ってこと。旬、ついて来て、今日の『転校生』を探すから。」

何なんだろう、転校生って?僕も二年前にこの小学校に転校してきた転校生だけれど。

 思い返せば転校する前にいた小学校は工場地帯のどまん中にある小学校で、光化学スモッグがちょくちょく発生して、体育の授業がよく自習になるような小学校だった。それに比べればこのスガル小学校はすごく良い小学校だ。

旬は黙って霞の後をついていく。廊下の窓ガラスも、扉が開いている教室の窓ガラスもみんな黒いスプレーをふきつけられたように黒かった。教室とか廊下の場所はいつもの学校と同じだけれど、いつも見慣れている学校じゃない。とうとう黙っていられなくなった。こんなところに自分を連れてきた女の子、霞という名前の女の子。いったい彼女は何者なのだ?

「霞ってさ、何者なの?」

霞は歩きながらふりかえって笑った。

「お、旬がはじめて私のこと、霞って呼んでくれた。」

旬はあきれた。

「そういうことじゃなくてさ、何で学校がこんなことになっているの?」

霞はなーんだ、と言って前を見て歩きながら答える。

「私たちが下校時間を過ぎてから、決ったコースを走ったからよ。そうすると裏の世界、つまりこのレルネーヨ世界に行けることになっているの。」

「なんで?」

「さあ、知らないわよ。」

それならば、

「そのことは誰から聞いたの?」

「忘れちゃった。どうだったかな、自分で見つけたのかも。」

まったく要領をえない。そうこうしているうちに二人は五年生の教室の前に戻った。

「ここ、僕の教室。」

五年二組の教室を旬が指差すと霞も立ち止まった。

「五年二組なんだ。担任の先生は誰?」

「星月先生。」

四月に新しく旬の担任の先生になった女の先生だ。下の名前を旬はまだ覚えていない。

「そう、星月先生、知らない先生だなあ。」

そうつぶやくと。霞は資料室の前を左折して階段を降りていった。後をついていくと霞は四年二組の前に立っている。そして廊下に放り出されて、横に転がっている机をなおしてその上に腰かけた。霞は赤いスカートをひるがえして足をくむと階段を遅れて降りてきた旬に言う。

「この四年二組の教室の中に『転校生』がいるわ。それもたくさん。」

「転校生ってなにさ。たしか始業式の時に、今年は転校生はいない、って校長先生が言ってたよ。」

それを聞いて霞がふふん、と笑った。

「本当の転校生じゃないわよ。私が言っている『転校生』っていうのはこの学校に正式な方法で転校するんじゃなくて、この学校の児童になりかわって転校してやろうという悪い奴ら。だから、退治するの。」

旬は霞の顔を見つめて、聞く。

「じゃあ、よくわからないけど。その『転校生』を退治するために、霞はこんなことをしているの?」

すると霞は首をひねった。

「違うわ。」

違うのかよ。

「もっと別な理由があったはず。でももう忘れちゃった。じゃあ旬は四年一組からほうきとちりとりもってきて。私は四年三組から持ってくるから。」

「ほうきとちりとり?それで何するの?」

すると霞がきりりとした顔をした。

「それで、戦うのよ。」


 言われたとおりに旬は四年一組の教室に入り、ほうきとちりとりを持ってきた。霞はかわいいけれどよくわからない女の子だ。もしかしたらけっこう頭もいかれているのかもしれない。それに何なんだろう、「戦う」とか、退治するとか。子どもじゃないんだから。

 廊下に出てみると霞も右手にほうきを、左手にちりとりを持っていた。まるで勇者が持つ剣と盾のように。そして二人は四年二組の黒板側の扉の前に集まった。

「じゃあ、開けるわよ。」

「勝手に開けろよ。」

霞は教室の扉を横に開けた。教室のガラス窓はやはり黒く塗られていた。蛍光灯がついていても薄暗い。そして三十ほどある机のうち二十ほどの机になにかもやもやした人型の白い風船が置いてあった。いや椅子に座っていた。球状の風船頭に筒状の胴体がついて、胴体から二本の手と二本の足がついていた。霞がじょうだんのように言った。

「ここにはかなりの『転校生』さんたちが来ているみたいね。」

「なに、あれ?」

旬は少し腰がひけてきた。しげしげと教室を見渡して霞が聞く。

「旬、この四年二組ってクラスは学級崩壊しているの?」

「確か、している。」

「やっぱりね。ここはそんな感じがプンプンする。」

そう霞が言うと、教室中の白い人型風船がいっせいにこちらを向いた。白い人型風船の球の形をした頭にはみんな、子どもがマジックで書いたような顔が描かれていた。目が細長いもの、女の子の絵のように目がキラキラしているもの、目が単なる点のもの、口がさけているもの、タコみたいな口のもの、鼻がないもの、鼻がでかいもの、いろいろな顔があった。それがみんな旬と霞の方を見ている。

「気づかれた。」

「なんか、気持ち悪いぞ。」

するとその二十個ほどの風船がふわりと両手をばんざいして宙に浮んだ。顔の表情はいっさい変わらなかった。霞は扉から離れた。霞に襟をつかまれて旬も扉から離れた。

「やめろ、えりが伸びるだろ。」

それに答えずに霞は、旬の耳元でこうささやいた。

「三年生の教室の前を通って、階段を降りて、校長室まで逃げて。それでそこで待ってて。早く。」

そう言われて旬は逃げ出した。少しふり返ると四年二組の教室の開いた扉から、白い風船が飛び出している。

そのうち幾つかの風船は霞に体当たりをした。霞はそれをちりとりでかわすと、振りかぶったほうきで力いっぱいにたたいた。すると二体の人型風船がバチン、バチンと大きな音をたてて割れた。まるで霞が剣士みたいに見えた。

それを見てかなわないと思ったのか、残った人型風船たちはみんな旬の方に向かってくる。

「裏切り者―!」

そう叫びながら旬は三年生の教室の前を走って逃げた。人型風船のうち早いものは旬の髪をなでるくらいに近づいた。髪がさっと触られるたびに旬はドキリとした。

 そして旬は二年二組の教室の前で右折して階段を降りる。曲がったところで振りかえるとまだ多くの人型風船が追いかけてくる。一番近くにいるのは「へのへのもへじ」顔の人型風船だった。

 たったったっと旬は階段を降りて、踊り場で「へのへのもへじ」顔の人型風船の風船を振り返りざまにほうきではたき、一階の校長室の前まで降りた。後ろを振りかえると、いつのまにか旬は周囲を人型風船に囲まれていた。

「こいつ、このやろ」

旬は必死でほうきをふりまわす。しかしさっきの霞のように人型風船は割れない。コツがいるのか?やけくそまぎれに旬はちりとりを投げつけた。すると一体のとろい人型風船にあたって、そいつがバチンと割れた。ちりとりはカランとかわいた音をたてて壁にぶつかり床に落ちた。

 それを見た人型風船たちがぷくーっとふくれた。二倍に、三倍にもふくれあがった。ほうきではらっても、人型風船はぷくーっとふくれている。

「た、たすけてー」

旬はさけんだ。ちびりそうだった。

 そのときだ。ガッチャーンとものすごい音がしてバチン、バチンといくつもの人型風船が割れた。目の前に机が転がっていた。人型風船が踊り場から放り落とされた机の下敷きになったのだ。

そして旬が踊り場を見ると、そこには霞がほうきをスカートのベルトを通す帯にさして立っている。かっこいい。霞は腰からほうきを抜くとそれを振りかざして飛び上がり、一体の人型風船をバチンと割って、自分で落とした机の手前にすたっと着地した。

それを見て人型風船たちは一年生の教室の方に去っていった。残りの人型風船は十体くらいになっていた。

「だいぶ数を減らすことができたね。」

そう言って霞はほうきをスカートのベルト用の帯にさした。だらりとほうきは垂れ下がった。みっともない。それにしても同じ穂先のばらついたほうきだけれど霞のほうきと旬のほうきでいったい何が違うのだろう。

「まあ、旬のおかげでおとり作戦が成功して良かったよ。」

と言う霞に、旬は

「僕はおとりかよ。」

と不満げに言う。

「おとりでしょ?」

そう言うと霞は右手を旬に差し出した。気づくと旬は校長室の扉の前でへたれこんでいたのだ。旬はその手をとらずに自分の力で立ち上がって、霞に言ってやった。

「机なんて落として。校長先生に怒られてもしらないぞ。」

手を貸そうとした親切を無視されたので霞は口をアヒルのようにとがらせて

「ふん、いいのよ。このレルネーヨ世界には『転校生』以外には私と旬以外に人間は誰もいないの。それに旬のランドセルだってこちらには来ることができなかった。そしてまだいろいろルールがあるの。例えばこの世界でしめられた鍵はなく、どんな鍵もあけることができる。」

と言った。

「なんで?」

「知らないわよ。そういう決まりなの。」

結局、霞は大事なことを何も知らない。

「じゃあ、あの風船の『転校生』って何なのさ?」

「ああ、あれね。あれは四年二組で起こっているという学級崩壊の原因よ。たいていの学校で起こる問題はああいう『転校生』が在校生にのりうつって起こるの。」

そんなこと、初めて聞いた。

「へー、知らなかった。じゃああの『転校生』って何のために学級崩壊とか起こしているの?」

「さあね。」

「『転校生』はなんでいるの?」

「さあね。」

「霞ってさ、何も知らないんだね。」

すると霞はいばって言い返した。

「そうよ。何も知らないの。何も知らないでこのレルネーヨ世界にいて、そして戦っているの。かっこいいでしょ?」

霞の、その自信はいったいどこからやって来るのだ?

「そうかな。」

「そうよ。で、あとの問題は残った十体くらいの『転校生』をどうするか、ね。」

「え、もうどうでもいいじゃん。あんなに減ったんだし。」

霞は首を横にふった。

「だめだめ。一度見つけた『転校生』は全部退治するの。そうしなくちゃ気になって今晩眠れない。」

というわけで旬はまだ霞の『転校生退治』につきあうことになった。

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