第十二章
黒い旬を退治してから弁太への嫌がらせはぷっつりと途切れた。そして結局、犯人はわからずじまいだった。でも弁太は以前の弁太には戻らなかった。どこか元気がなく、やたらと落ち着いた少年になっていた。いいことかもしれない。
しかし、旬には何も変化が起こらなかった。生活においても、心においても。
でも旬の心の中にはとても気になることが、生まれはじめていた。それは霞のことだ。なぜこの学校の児童じゃない霞がいつも下校時間にこの学校にいるのだろうか、霞はどんな食べ物が好きでどんな食べ物が嫌いなのか、どんなテレビ番組を見て、どんな芸能人が好きなのか?どんな本を読んで、どんな音楽を聴くのか、といったもやもやとした疑問だった。
そんな疑問をかかえながら、季節はめぐり、初夏になって、校内RPG大会の季節になった。
校内RPG大会はスガル小学校の三大行事の一つである。他の運動会と学芸会は保護者も見学に来て参加するけれど、校内RPG大会は生徒だけで行う行事だ。
もちろん学校の行事だから校内RPG大会は単なる遊びじゃない。勉強の意味もちゃんとある。六年生は武器屋、防具屋や薬屋などの出店をすることによって商売のやり方や客との接し方を学ぶ。そして二年生から五年生は計算のやり方をサイコロとアイテムで決められた攻撃から学んでいく。そしていろんな学年がまざることで低学年と高学年の交流も自然とできてくる。
大会が近づくにつれて運営委員会の仕事も忙しくなった。旬も、なぜか無くなってしまったカスミの剣とカスミの盾を作り直した。その作業をしていると、旬はあちらの世界で出会った黒い旬のことを思い出した。模造刀で黒い旬を切りつけたときの感触をまだ手が覚えている。
六年生はまだ運営委員会に来ない。あの舌を出した女の子もあれから運営委員会に来なくなった。それでも五年生を中心に準備は進んでいく。運営委員会のおばさん先生は
「今までこんなことは無かったんだけど。」
と嘆いていた。時代が確実に変わっているんだ。そりゃ人間も変わるさ。旬はそんなことを思った。
六年生が来ようが来まいが校内RPG大会は着々と近づいていく。そういえば最近、霞と会っていない。旬は毎日の生活に物足りなさを感じていた。
そうして校内RPG大会が金曜日の午前九時から始まった。校内が活気に包まれた。ずっと欠席していた六年生の運営委員会も、赤い舌を出した女の子も今日だけはちゃんと参加している。
六年一組が武器屋を二年二組で開き、二組が道具屋を四年二組で開いている。三組が防具屋を自分の教室で、四組が薬屋を五年三組で開いている。
二年生から四年生がサイコロとメモ帳と鉛筆を持って校舎中に散らばった。二年生は支給されたアイテムを持って、三年生以上は去年からのアイテムを引き継いで持っている。五年生も去年からのアイテムを引き継いでモンスター役になって下級生を待ち構える。
旬の胸には「ボス」と書かれた名札がかけられている。今日は彼がボス・モンスターだ。つまり学校一番のワルである。午前九時にゲームが始まってすぐ、果敢にも彼に挑戦した二年生の男子は、二回目にサイコロをふった時点で全ての生命力を失ってしまった。
ほとんど何もできずに校内RPG大会から退かなければならなくなった二年生の男の子は、ふがいなさで泣き出した。旬の前でびんびんと泣きじゃくっている。旬は困ってしまって
「泣かないでよ。」
と言ってなぐさめるけれど、それで泣き止むのなら最初から泣いていない。他の児童は、不思議そうに泣いている男の子と旬とを見比べている。旗から見れば体格の大きい五年生が二年生を泣かしている図にしか見えない。まわりの視線があんまりにも苦しいので、旬は、その男の子に説明してあげた。保健室で一時間休んでいればゲームに復活できること。でもアイテムやスガル札は全て没収されるということ。男の子は泣きながら、ふむふむと聞いてうなずいている。
やがて、その男の子は泣き止んだ。どうやらもうゲームに参加できないと思っていたらしい。二年生にはよくあるかんちがいだ。しょうがない、というかこれも何かの縁なので旬はその男の子を保健室に連れて行くことにした。
道すがら、魔法使いという役に合わせて黒いひらひらの服を着てきた女の子の軍団や十人くらいでパーティーを組んで五年生数名と戦っている三年生を見かけた。自分が少しでも手がけている大会をみんなが楽しんでいるのを見て旬はうれしかった。
保健室の先生にその二年生を引き渡して旬は校舎を歩いてまわった。六年生がやっている店はけっこう下級生のたまり場になっていて繁盛していた。ふだん話せないお兄さん、お姉さんと話せるのが楽しいんだろう。二年二組の前の廊下を歩いていると、運営委員会の腕章をつけた六年生の男子が旬のところにやってきた。運営委員なんだろうだけど見たことのない顔だった。
「運営委員の木村君、だよね?」
その男の子に呼びかけられた。
「はい、そうです。なんですか?」
「うちの武器屋でおつりがたりなくなっちゃったんだ。頼むけど、スガル札を持ってきてきれないかな?」
それを聞いて少し旬はムッとした。
「運営委員なんですから自分でとってきてくださいよ。」
その六年生は頭をかいて廊下の窓から空を見上げた。
「ほら、俺、けっこう委員会休んじゃったから、先生に顔合わせづらいんだよ。お願い、頼むよ。」
「どうしてもですか?」
「どうしても。頼むよ。」
と上級生に手を合わせられたので、しぶしぶ旬はスガル札を取りに理科実験室に向かった。
その途中で旬は大勢の四年生に囲まれた。その中の一人は紙粘土を丸めて赤く塗っただけの「炎の玉」を右手に握っていた。
旬はカスミの剣と盾とを持っていた黒い自分のことを思い出した。とてつもなく嫌な予感がした。そして校舎のはじにいたために周りに味方になってくれそうな友だちのモンスターを見つけることはできなかった。
「じゃあ、僕からサイコロを振るよ。」
戦闘開始。
「やったあ。」
と言ったのは四年生のうちの一人だ。悪い予感のとおりに旬は四年生軍団に負けて生命力を全て失い、アイテムもスガル札も身ぐるみはがされた。四年生たちは戦利品を山分けし、きゃっきゃと喜びながら四年生の教室に向かった。旬は体中の羽根をむしり取られた鳥のようだった。これは運が悪かったんだと嘆くしかない。
しょんぼりしながら向かった理科実験室には五年生の女の子が一人で座っていた。四年生まで同じクラスだった女の子だ。
「どうしたの木村君?」
「あ、六年一組がおつりのスガル札が欲しいって。」
女の子はけげんそうに旬の顔を見る。
「六年生の人に頼まれたの?」
「そういうこと。」
「わかった。ちょっと待ってて。」
そう言うと女の子は五スガル札を十枚と、一スガル札を三十枚、クッキーのケースから取り出して旬に渡した。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
おつりをもらった旬は二年二組に戻って、廊下で立っているさっきの六年生の運営委員にその八十スガル札を渡した。
「ありがとう。じゃ、またね。」
そう言うとその六年生は自分の教室に戻っていった。
教室の中からさっきの六年生のこんな声が聞こえてきた。
「ほら、おつり用のお金、持ってきてやったぞ」
それに続く「ありがとう」「よ、殿様」「待ってたぞ」「よくやった」という六年生たちの声。
旬はなんだかとても疲れたので保健室に戻って回復を待たずに、校内をうろうろすることに決めた。ボスのいないRPG大会もいいかもしれない。充分遊んだし、何より来年は六年生なんだからアイテムやお金をためたって、来年に引き継がれないからがんばってもしょうがない。校舎をうろちょろしていると直人に出会った。
「ちょろいよ、下級生なんて。おかげでスガル札がこんなにたまっちゃったよ。」
直人はけっこうな数の下級生を倒したそうだ。かわいそうに。今頃、倒された下級生たちは保健室で暇そうにしていることだろう。
歩いているのも疲れた旬は、五年二組の自分の教室に、読みかけの本が置いてあることに気づいた。あれでも読んで大会が終わるのを待つとするか。
教室の扉を開けると中には誰もいなかった。教室の扉を閉める。隣は六年四組の薬屋だけれどやけに静かだ。薬草はみんな最初に買ってしまうからだろう。
机の引き出しから読みかけの本を取り出して読む。文字は追っているけれどなかなか集中できない。話の流れがわからない。
旬は本を置いた。そして教卓と黒板の間に立つ。いつもとは違う教室の風景をじっと見る。そして先生用の机を見た。旬は先生用の机の後ろの戸棚の扉が少しだけ開いていることに気づいた。
そこには確かトランクがあったはずだ。あの「チン毛君」事件がずっと昔のことのような気がする。旬は先生用の机の後ろに入り、戸棚の扉を開けた。前よりも軽やかに開けることができた。中からトランクを引き出す。しかしトランクにはやはり鍵がかかっている。旬はすみずみまで調べてみる。するとトランクのすみから灰色の糸のようなものが飛び出しているのに気づいた。いや、糸にしては細すぎる。それはたぶん髪の毛だった。長い長い、灰色の髪の毛。




