episode1
「見えないものは信じないって主義は嫌いじゃあないね。とても賢い姿勢だ。神も悪魔も己の運命に介入なんかしてこない、己の運命は己が切り開くものである。実にポジティブな考え方じゃないか。実際私もこんなナリをしていて何だが、それに賛同する方だしね。しかしだな、目に見えないものは存在しないという考え方はちょっと違う。世界は目に見えるものだけで構築されているわけではないんだよ。神も悪魔も信じなくて良い。だけどこれだけは確かなことだ。不気味だろう?」
そこで一旦言葉を区切り、『それ』は首を傾げた。
「そうとも、不気味であること極まりないね。でも考えてみたまえ。目に見えずとも、この世には、善意も悪意も愛も無関心もライクもヘイトも存在していて、そのへんで溢れ返っているじゃないか」
『それ』は静かに右手を上げる。その手に握られているのは紛れも無い拳銃だった。
リアリティなど欠片もないような景色の中で、ただただ鋭く、銃声が響き渡る。
「ちと、溢れ返りすぎている。そういった目に見えないが存在するものが徒党を組み、力を増大させて、人々を毒し始めている。それが現代の実状だ。まったくもって好ましくない。人々は平穏な暮らしを送るべきであるし、私もそれを願っている。だから私は銃をとった」
淡々と。言葉を紡ぎながらも『それ』は、引き金を容赦なく引き続ける。薬莢が次々と床へと転げ落ち、銃弾は紛れも無く何かに命中しているものの、一見して傍目では、『それ』が『何』を狙撃しているのかなど分かるはずもない。
嵐のような銃声が止み、静寂が部屋を満たした時。『それ』は銃を下ろし、部屋の隅で丸くなっている青年を見た。青年はしばらくの間、呆けたような顔で宙を眺めていたが、やがて瞬きを数回繰り返してから、『それ』の存在に気付き、声を上げた。
「……だ、誰」
「正義の神父様だよ」
「誰、だって」
「……やれやれ。見て分からんかね」
『それ』は呆れたように首を振り、あからさまに溜息を吐いてみせる。青年は困惑したように目の前の『それ』を見つめるが。
見て分かるわけがなかった。青年の前の『それ』はどう見ても規格外の不審者であり、それ以外に言い表せるような言葉など、彼は持ち合わせていなかったのだから。
ピンク色のファンシーなうさぎの着ぐるみを被った、不審な男。身に纏った漆黒の神父服とはまったく合わない、オレンジ色のゴム製サンダルを履いている。
ただでさえ怪しい容姿をしているのに、そんな男が銃まで引っさげて立っているのだ。今日まで引きニートとして生活をしてきた青年にとって『それ』はまさに規格外であった。
「分からな、い……っす」
「所謂、現代のニーズに沿った正義の味方だと認識してくれればいい。今し方、君の『無気力』を征伐したところだよ」
「は?」
「外に出て働きなさい。いつまでも親の脛を齧っていちゃ駄目だ」
まったくまともじゃない奴にまともな台詞を吐かれた青年は、思わず目を白黒させた。しかしそんな青年の様子にも気付かず、『それ』は満足気に言う。
「じゃあな、少年。これでも読んでおけ」
紙の束を青年に投げ渡して、『それ』は颯爽と部屋を去って行った。
われに返った青年はふと、寄こされた紙の束に視線を落とす。それは、リクルート系雑誌だった。
「……仕事すっか」
夢から醒めたかのような気分で、青年は呟いた。