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第7話 中継局 後編

 日本租界から東門を出て、レベル1へは向かわずにひたすら東進する。


 レベル分界はゲートからおおむね同心円状に広がっている。

 ゲートからの直線距離で界差の影響が強まっていくからだ。


 企業や官公庁のオフィスがひしめくレベル1。

 レベル1から西に進むと日本租界を入り口に旧帝都が広がる。

 レベル1を中心として、西は旧帝都の街壁をすべて含みこむように真円に近い形状で引かれた円内がレベル2だ。


 したがって、レベル2の東部分はほぼ荒野で、ヤシマのミスリル採掘サイトもこの荒野に存在する。

 他方で、西部分は旧帝都を丸飲みしており、人口密度も高い。

 一口にレベル2といってもその光景は一様ではない。

挿絵(By みてみん)

 東門を抜けて、左手にレベル1を臨みながら更に東進する。

 レベル1の低層ビルとプレハブ群が後景に沈んでいくと、道は(わだち)だけになった。

 ハイラックスの四輪駆動に切り替えても、車体の揺れは収まらない。

 空はどんよりと低く、雨季特有の鉛色の雲が地平線まで蓋をしている。いつ降り出してもおかしくない。

 鉄条網で仕切られ自衛隊が駐留する検問を抜けてレベル3に入ると、景色が変わった気がした。

 日本人が後から引いたレベル分界で植生が切り替わるわけでもないだろうが、より異質さが際立って見える。


 灌木が捻れながら地面に張り付き、葉の色が一本ごとに違う。赤紫、灰緑、鮮やかな青。

 並木のように揃って立つ木の群れが、近づくと一本の木の枝だとわかったりする。

 遠くに、骨のような白い岩稜(がんりょう)が連なっている。

 曇天の下では色彩のコントラストがかえって強い。鮮やかなものだけが浮かび上がり、それ以外は灰色に沈む。

 文明の届かない、異世界の野生。

 この世界からの拒絶をより強く感じる光景だった。


 地球の風景にも荒涼とした場所はあるが、ここは荒涼の文法が違う。

 見ていると、何が普通で何が異常なのか分からなくなってくる。

 おそらくそれ自体が界差というものの正体なのだろう。


 ナイリザは助手席で居眠りをしていた。

 安酒のカップを膝に挟んだまま、揺れに合わせて頭が振り子のように揺れている。

 護衛としてはまるで役に立っていない。


 もっとも、何かが出たときに俺一人とナイリザ込みの二人で生存率に差があるのかは分からない。

 アンカーの巡回が輪番で成立しているということは、この程度の僻地なら滅多なことは起きないということでもある。

 滅多でないことが起きた場合については、あの免責条項がカバーしている。


 三時間ほど走ったところで、第七中継局が見えた。


 電波塔だ。

 高さ十五メートルほどの鉄骨の塔に、通信用のアンテナが据えつけてある。

 基部にはコンクリートブロックの小屋がひとつ。変圧器と蓄電池が収められている。

 日本から持ち込まれた機器類は無骨で、曇天の荒野の中ではなおさら異物じみていた。


 車を降りて、点検表のチェックを始めた。

 蓄電池の残量確認、アンテナの方向、ケーブルの接続状況。

 点検項目は二十ほどあるが、大半は目視と記入だけで終わる。

 異常があっても俺に修理する能力はない。異常を記録して報告する。それだけだ。


 電波塔の中腹まで目を上げたとき、先端近くに何かがぶら下がっているのが見えた。


 羽飾りだ。

 色鮮やかな羽が数枚束ねられ、革紐で塔の支柱に結わえてある。

 風に揺れて、乾いた音を立てている。


「何だ、あれは」


 後ろから欠伸混じりにナイリザが近づいてきた。目を細めて塔の先端を仰ぎ見る。


「ネフナガル・トゥルマ(風鳥羽の飾冠)ね。遠くに飛ぶようにっていうまじない。渡り鳥の羽を使うのよ」


「効果は?」


「お守り程度ね。電波塔に貼ったところで、電波が遠くに飛ぶとは思えないけど」


 誰かが善意で結んだのかもしれない。

 中継局の不調に心を痛めた現地人が、知っている方法で何とかしようとした。

 あるいは単に、目立つ構造物に護符を結ぶ習慣があるだけかもしれない。


 いずれにせよ、撤去する。

 科学と魔法の混合技術パッチワークは危険だ。


 機械が壊れた、補修部品はない、魔法はある。そういうことは現地ではよくある。

 そこで例えば故障したモーターに回転の魔法をかける。動く。電気と魔素が手を携えて仕事をしてくれる。してしまう。

 界差で本来打ち消し合うもの同士が同じように機能する。これが危ういらしい。


 パッチワークを施した機器やその使用者は変異の進行が加速することが判明している。現在は、パッチワークはリスク要因、が常識だ。


 護符一枚で何が起きるとも思えないが、放置すれば前例になる。前例は積み重なる。お守り程度、お守り程度、と重なったものがやがてパッチワークに化けないとも限らない。


「ナイリザ」


「何」


「あれ、取れるか。魔法で」


 半拍の間があった。


「……魔法で?」


「ああ。電波塔をよじ登って外すのは無理だ」


 ナイリザはわずかに眉を動かした。

 それから、何か言いかけて、やめた。


「ちょっと待ってなさい」


 ハイラックスの後部座席に戻り、荷物の奥から細長いナイロン地のケースを引っ張り出してきた。釣り竿か何かのケースに見える。

 側面のファスナーを引き開けると、中から一本の杖が現れた。


 年代物の木杖だった。

 握りの部分は手脂で飴色に変色し、先端には掌大の宝玉が嵌めてある。

 宝玉は曇った翡翠のような色をしていて、一見すると安物にも見えるが、木と石の接合部には繊細な銀細工が施されていた。

 持ち歩いていたのか。後部座席の雑多な荷物に紛れて。


 ナイリザは杖を片手に、電波塔の先端を見据えた。

 眉をしかめ、それから眼鏡を外した。


「持ってて」


 差し出されたそれを受け取った。

 どうやらこれは老眼鏡だったらしい。

 百円ショップで見かけるタイプの、何の変哲もない量産品に見える。


 老眼鏡を外したナイリザの顔は、事務所で見る顔と少し違った。


 何が違うとも言い難い。目元の小皺が消えたわけでもない。

 ただ、視線の焦点が遠くに定まると、酒焼けした気だるさの奥から、別の何かが浮かび上がってくる。

 元宮廷魔術師、という肩書きが、初めて地に足をつけた気がした。


 ナイリザは杖の先端を羽飾りの方向に向けた。

 角度を微かに調整し、握りの位置を変え、顎を引く。

 遠い的を狙う射手のような所作だった。


「ネフヤ」


 呟いた。

 イヤーバッズから「風」と聞こえた。


 ナイリザにも杖にも、何の変化も起きなかった。

 光らない。音もしない。宝玉が輝きもしない。


 遠く、電波塔の先端の方で、空気が破裂するような音がした。

 衝撃波、というほど大袈裟ではないが、鋭い圧の変化が耳朶を掠める。

 見上げると、ずたずたに引き裂かれた羽飾りがひらひらと舞い落ちてきた。

 色鮮やかだった羽が、風にちぎられた紙屑のように散っていく。


 ナイリザは杖を下ろし、何事もなかったかのようにナイロンケースに戻した。


「はい。終わり」


 老眼鏡を返した。ナイリザはそれをかけ直し、瞬きを数回した。

 焦点が手元に戻ったのが分かった。遠くを見ていた目が、また帳簿と伝票を読む目に切り替わる。


「ウタガワは、私に魔法を使わせなかったわ」


 車に戻りながら、ナイリザが言った。

 何気ない口調だったが、目はこちらを見ていなかった。


「そうか」


「近くで魔法を使われると変異が進むっていう話もあるけど。あなたは怖くないの」


「あの羽飾りが取れればそれでいい」


 ナイリザは鼻を鳴らした。嘲笑にも安堵にも聞こえる曖昧な音だった。



 * * *



 帰路の半ばで、雨が来た。

 前触れもなく視界が白くなった。フロントガラスを叩く水量にワイパーが追いつかない。

 轍の道はたちまちぬかるみ、ハイラックスの車体が左右に振られる。

 四駆でなければスタックしていたかもしれない。

 ナイリザは起きていた。


 さすがにこの揺れでは眠れないのだろう。シートベルトを握りしめ、不機嫌そうに前方を睨んでいる。

 雨音が車内を満たす中、俺は前方を見ながら口を開いた。


「魔法を見たのは初めてだ」


「あらそう」


 ナイリザの返事は素っ気ない。

 それでも話を続ける気になったのは、生まれて初めて魔法を見た昂揚感が残っていたからかもしれない。

 あれは何なのか。ちょっとした好奇心はある。


「どんな感じなんだ。魔法を使うってのは」


「は? あなた変異したいの?」


「覚える気も、使う気もない」


「じゃあ聞いてどうするのよ」


「どうにも。ただ、どんな感じか気になっただけだ」


 しばらく沈黙があった。

 雨がフロントガラスを叩く音と、ワイパーの往復だけが車内を満たす。

 ナイリザが窓の外を見たまま、独り言のように話し始めた。


「渦を観測するのよ」


「……渦」


「混沌の渦。私たちもその一部であるような、可能性の渦よ」


 ナイリザは膝の上のワンカップを指先で回した。


「過酷な修行と、厳格な儀礼と、惜しみのない供物。

 ごく一握りの者だけが、一瞬だけ、渦の流れから身を引き剥がして、渦を知覚することができる。

 欲する可能性を観測して、この世に写しとること。それが魔術」


 窓の外は灰色の雨幕に沈んでいた。

 さっきまで見えていた捻れた灌木も白い岩稜も、水に溶けて消えている。


「よく……わからん」


「そうね。私も今、真面目に説明したことを死ぬほど後悔してるとこよ」


 ナイリザはワンカップの封を切った。今日三杯目だ。


 それきり、魔法の話は終わった。

 そういうものか、としか言いようがない。

 渦とか、可能性とか、言葉としては分かるが実感はない。


 だが、あの一瞬——杖を構えたナイリザの横顔と、何も起きなかったのに羽飾りが砕けた——あの感触だけは、理解とは別の場所に残った。


 * * *


 事務所に着いたころには夜九時を回っていた。


 雨は小降りになっていたが、事務所の前の通りには水たまりが光っている。

 ナイリザは車を降りるなり、「お疲れ。貸しひとつ、忘れないでね」とだけ言って、帰っていった。

 結局護衛が必要になるような局面はなく、仕事は居眠りと魔法の一振りだけだったが、確かに一日拘束したのだから文句は言えない。


 デスクについてPCを起動すると、受信トレイにメールが一件入っていた。

 宇田川次長からだった。


 報告書に対する返信。

 産量低下については「注視」、追加調査を「検討」、設備故障の修繕については「予算確認中」。

 三行だった。


 宇田川次長という人間の返信にしては簡素すぎる。

 良くも悪くも業務のすべてをマネジメントしたがるタイプだ。

 そういう人間が報告書に三行で返すというのは、忙しいというより、読んでいないに近い。

 何を確認し、何を検討し、何を注視しているのか。指示がない。


 もっとも、指示がなければ判断の責任は現場に残る。

 報告を上げた。指示を仰いだ。返信には追加調査とある。

 つまり、追加調査をする。


 そういうことだ。


 メールソフトを閉じ、Wordを開く。

 今日の巡回報告書を作成しなければならない。


「第七中継局、異常なし。設備に付着していた現地の工作物を撤去」。


 護符は工作物だ。

 さして効果がないものなら、性状や由来を書く必要もない。

 その撤去を一行書いて、それ以上は書かなかった。


 あの一振りのことは、報告書のどの欄にも収まらない。


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