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第1話 「ここは夢の国だよ」

「花を買ってください」


 ひどく耳障りな、ひび割れた帝国語だった。

 若干の遅延のあと、右耳のイヤーバッズから流暢な機械音声が日本語で繰り返す。


 露天から(ただよ)うスパイスの刺激臭と、獣臭、汗ばむ体臭の中で、ふわりと花の香が混じりこんだ。

 声の主は、橙色(だいだいいろ)の麻布をインドのサリーのようにして体に巻き付けた少女だった。

 黒檀色(こくたんいろ)の肌。感情を映さない金色の瞳。


 少女はバザールの路地の人ごみの中、花籠を抱えて立ち尽くしていた。垢じみた雰囲気の中で、籠の中の花々の花弁だけが、妙に鮮やかで多色だ。

 まるで難民支援を求めるポスターから抜け出してきたかのような、絵に描いたような「現地人」の少女。

 ただし、少女の右耳の突端は地球人にはあり得ない尖り方をしており、顔の造形も何系とも言い難い無国籍さがあった。


「……ああ」


 思わずスラックスのポケットを探り、突っ込んだ現地通貨を取り出そうとしてしまったのは、まだこの街の流儀に慣れていなかったからか。

 それとも少女の左耳が欠損しているのを見てしまったからかもしれない。


「×××」


 俺の手の動きに呼応するように、少女の後景で存在を消していた老婆がぬっと顔を突き出してきて呟いた。

 いや、くたびれて見えるだけで、老婆ではないのかもしれない。現地では、これで親子ということもあるだろう。

 しかし、老婆の呟きに最新の同時通訳機能を備えたはずのイヤーバッズは反応しなかった。


「×××。金貨一枚」


 老婆は背後から少女の肩を抱き、もろとも一歩踏み込んできてもう一度呟いた。

 そして、こちらの顔を覗き込んでニッと笑った。

 イヤーバッズから「金貨一枚」という日本語だけが繰り返される。前段の言葉はノイズとして処理されてしまったようだ。

 ポケットを探る手を止めた。

 現地の金銭感覚にはまだ馴染んでいないが、花束が金貨一枚もするはずがないことはわかる。


「失せろ。△×○×」


 傍らに立っていた宇田川うたがわ次長が、俺を押しのけるようにして割って入り、帝国語で呟いた。後半は聞き取れなかった。

 おそらく辞書に登録されていないスラングなのだろう。

 宇田川次長は右手を突き出すと、老婆の面前で握りしめた拳を開いた。現地の銅貨が数枚、路地の石畳に跳ねて散らばる。

 少女と老婆は弾かれたように這いつくばり、銅貨を拾い始めた。俺は宇田川次長にぐいと手を引かれ、その場を後にした。


 * * *


 レベル2。通称「日本租界」。


 レベル1の検問を抜けた先に広がるこの街は日本ではない。それどころか、地球ですらない。

 バザールを行き交う人々を眺めると、否応なしにその事実を突きつけられる。

 耳の尖ったエルフ。肌が黒いのはダークエルフ。上背高く肌が緑色なのがオーク。小柄で髭を生やしたドワーフ。毛皮に覆われた獣人も多い。

 その他、角があったり、鱗があったり、輪郭がぼやけていたり。特撮映画の撮影現場のような度を超した多様性に幻惑される。


 宇田川次長と俺はその人ごみを縫うように進む。ワイシャツにスラックス、ネクタイを締めて小脇にジャケットを抱えた日本人二人組は、さぞや浮いて見えるのだろう。

 時刻は午後6時を回ったところ。一日が25時間11分あるこの世界でも、夕刻と言っていいはずの時間。

 沈みかけた第一太陽は空を赤く染めつつあるが、それを追う第二太陽はまだ強い日差しを投げかけ、街並みはまだ明るく、地面には二重の影が落ちていた。


「加藤君。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたな。まだスラングまでは覚えていないかね」


 宇田川次長は路地を歩きながら、面白がるように言った。


「すみません」


「×××は処女、という意味だよ。まあビジネスでは使わん言葉だ」


「はあ」


「スタンドアロンのイヤーバッズも万能ではない。もう少しレベル1を離れるとBluetoothですら結構な頻度で止まる。

 今日は君と私、アンカーが二人もいるから、調子はいいようだが。

 まあ、機器なしで意味くらいとれるようにしておいた方がいい。外国語でのコミュニケーションは苦手な方かね?」


「前の会社では国内勤務だけでした」


「そうか。君は子会社からかき集められた口だったな」


 思い出したように肩を(すく)めると、宇田川次長は言葉を継いだ。


「だが、心配はいらない。私はロシアもモロッコも赴任したことがあるけどね。その時とは雲泥の差だ。

 ここでは言葉に馴染むのが早い。……要するにアダプテーション(変異)なんだろうね。君もレベル2に常駐し始めたらあっという間にペラペラ現地語を喋れるようになるよ。

 むしろ、馴染み過ぎないように注意が必要だ」


 そう言って、几帳面に畳んだハンカチで額の汗をぬぐうと、宇田川次長は縁の分厚い眼鏡をくいと上げた。


「今日の挨拶回りで見ただろう?坂崎さかざき参事官。アレは少々ローカライズが進み過ぎている。ああはならないことだ」


 現地連絡調整室長の坂崎参事官。はち切れそうなスーツを無理やり着こなしたあの緑色の肌の官僚は、どう見ても日本人のコスプレをした現地人に見えた。

 だが見た目の異様さもさることながら、宇田川次長が珍しく媚びるような謙りを見せていたことも印象的だった。


「現地連絡調整室というのは重要な部署なんですか?」


「重要だな。現地連絡調整室は、内閣府の異界特区管理本部がこのレベル2に置いた唯一の出先機関で、坂崎参事官はそのトップだ」


 宇田川次長が言葉を切ったその瞬間に、ちょうど通りすがった店のネオン看板に光が灯った。

 見れば豹頭の現地人がコンセントを差し込んだところだった。現地様式の漆喰塗りの建物に取り付けられたネオン看板は日本語だ。「無料案内所」と書かれている。

 いつの間にかバザールの外れ、歓楽街に差し掛かっていたようだ。じめりとした空気の粘度が上がった気がする。

 宇田川次長は再び口を開いた。


「レベル2はわが国の国策たる異界進出の最前線だ。こちらの世界は、異物であり、矛盾である我々転移者に同化を迫ってくる。

 だから我々は、ゲートを押さえ、拠点を築くわけだ。

 ほぼほぼ日本化したレベル1と、その周辺部であるレベル2であれば、日本のポスチュレート(公理)を持ち込める。人を技術を送り込める。

 そうすれば、都合の良い資源を探してきて日本に持ち帰ることだってできる」


 いかにもヤシマ・コーポレーションのエリート商社マンといった語り口だった。

 ヤシマに転籍出向する以前とは、周囲の人間のタイプががらりと変わった。少なくとも、真顔で「わが国」などという言葉を使う人間はいなかったと思う。

 出向、研修、出張、OJT。もう1年ほど経つが、いまだ小さな違和感はつきまとう。


「……まるでゲームのようですね」


 俺は曖昧に相槌を打った。宇田川次長が続ける。


「ワンサイドゲームだよ。

 この日本租界がある限り、我々はここを開発できる。

 しかし、現地人が日本に渡ってくることはない。現地人が筑波に集落を作るなんて、世論が許すわけがない。

 火の玉がはじけ、ドラゴンがはばたき、エルフやオークが闊歩する。そんなものはね、それこそゲームの中だけで十分だ」


 脳裏になぜか、先ほどの花売りの少女の顔が浮かんだ。

 ゲームのような世界で展開するゲームのようなビジネス。だが、住んでいる人間はゲームのキャラクターには見えない。

 宇田川次長が(ささや)くように俺に告げた。


「加藤君。ここは夢の国だよ。現実を夢に持ち込むことはできるけど、夢を現実に持ち込むことはできない。その心配はない」


 そこで着信音が鳴った。宇田川次長はスマートフォンを取り出すと、画面を見て顔を顰めた。


「ほらな。現実は持ち込める。……3時間前の着信だな。今日も電波は絶不調だ」


「折り返した方が良いのでは?」


「いや、すぐそこだ。店についてからにしよう。確かWi-fiもあったはずだ」



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