[1-7.5] 最初の救世主の物語
やがて日が暮れ、暖炉の火が過去の声のようにパチパチと音を立てるころ、弟子が師に尋ねた。
「師よ、教えてください。これらすべては意味があったのでしょうか? 苦しみ、犠牲、闘い、涙……起こったことすべてに意味はあったのですか?」
師は炎を見つめ、古い巻物のさらさらという音に似た声で答えた。
「近くに来て座りなさい。そこの壁にある葡萄の木が見えるか? あれは曲がりくねって育ち、石に絡まり、旱魃に苦しんだ。園丁は見苦しいからと引き抜くこともできた。しかし水をやり続けた。そして今、あれは最も甘い房を実らせている。石を押しのけてまで成長する価値があったか? その葡萄を味わった者たちに聞いてみるがよい。
**意味は、道の偉大さにあるのではなく、一歩一歩の中にある。** 目的にあるのではなく、始まりと終わりの間の息づかいの中にある。種子は自分が木になるかどうかを知らない。しかし、それが土を押しのけるのは、そこに命があるからだ。魂もまた、歩むことがその本性であるからこそ、歩み続けるのだ。」
弟子は口を開いた。
「しかし私たちは、すべてを変える奇跡を待ち望んでいました。天からの火を。しかしあなたは、井戸の水のこと、手のひらで割かれたパンのことについて語られました。」
師は身をかがめ、ひと握りの土を手に取った。
「これが王国だ。星々の中にあるのではなく、このひと握りの中にある。**なぜなら、どんな命も、あるがままに重要なのだから。** 夜鶯のように歌わない小鳥、群れから遅れた羊、からし種ほどの信仰を持つ人間。偉大さを求めるな――小さなものの中の命を探せ。露の一滴の中に、空全体が映し出されている。
旅人は大河を探すあまり、足元の泉を踏みしめることがある。**時に、人生の意味全体を変えようとせず、すでにある命を見つめるだけでよい。** 群れを守る羊飼い、網を修繕する漁師、揺り籠を揺らす母――彼らの手の中に宇宙はある。天は高くにあるのではない。ここにある。日々の糧の中に、まなざしの中に、差し伸べられた手の中に。
この物語は、私たちが稲妻を探したが、夜の中に蛍を見つけたことについて語っている。そしてその光は、道を見つけるのに十分だった。救いが、すべてをなぎ倒す嵐のようにではなく、あなた自身の胸に静かに芽吹く種のように訪れる、ということを。
なぜなら、私はこの世を裁くために来たのではなく、それがすでに聖なるものであることを思い出させるために来たからだ。人生を変えるのではなく、それを祝福するために。その痛みを拒絶するのではなく、涙で洗い流すために。人を神に変えるのではなく、すべての人にすでに神の火花が宿っていることを示すために。」
弟子は尋ねた。
「それだけですか? 大河の代わりの泉? 稲妻の代わりの蛍?」
師は微笑んだ。
「それだけだと? それでは足りないというのか?**神の王国は、女が粉三測にはいれて、全体がふくらむまでおくパン種のようなものである。** 雷鳴を探すのではなく、内側で静かに起こっている発酵に耳を傾けなさい。それはすでに、すべてを変えつつある。」
その時、弟子は悟った。最も偉大な啓示とは、存在の書を書き直すことにあるのではなく、今、目の前に開かれているそのページを読む術にあるのだと。そしてその一ページの中に、永遠のすべてがあるのだと。
夕べがあり、朝があった――それもまた一日であった。




