第九話 「護送対象の正体」
夜が明け、アデル渓谷の朝日は砦の崩れた塔から差し込み、昨夜の激戦の痕跡を照らしていた。
馬車の横に座り込んでいた三姉妹は、夜通しの見張りと戦闘の疲れで、うとうとと船を漕いでいた。
カインは、ルナたちが眠っている間に周囲を警戒し、夜襲がないことを確認していた。
彼の目には、昨夜のルナの魔法が焼き付いている。
(……あんな魔法、見たことがない。まだ若いが、あれほど強力な魔法を使いこなすとは)
カインは、ルナたちがただの駆け出し冒険者ではないことを確信した。
その時、馬車の扉が静かに開いた。
ルナ、フィオナ、ミリアは、同時に目を覚まし、身構える。
馬車から降りてきたのは、薄い茶色の髪をした、可憐な少女だった。
彼女は豪華なドレスを着ており、その身のこなしには気品が漂っている。
ルナたちは、その少女が護送対象の「重要人物」であることを悟った。
少女はルナたちの前に歩み寄り、深々と頭を下げた。
「昨夜は、わたくしのために戦ってくださり、ありがとうございました」
その声は透き通るように美しく、しかしどこか儚さを感じさせた。
ミリアは、その少女の美しさに目を奪われ、言葉を失う。
「……あなたは、一体……?」
ルナが代表して尋ねる。
少女は顔を上げ、ルナをまっすぐに見つめた。
「わたくしは、エリス・エルムリア。……王国の第二王女でございます」
その言葉に、ルナ、フィオナ、ミリアは、息をのんだ。
カインは、ルナたちの驚きを予想していたかのように、静かに口を開いた。
「彼女は、先王の娘。つまりは王家の血筋だ。反乱を企む貴族派は、彼女を誘拐し、王位継承の正当性を主張するつもりだった」
「そんな……」
フィオナが呟く。自分たちが護衛していたのが、王女だったとは。
「なぜ、そんな大切な任務を、私たちのような駆け出し冒険者に……」
ルナの疑問に、エリス王女は微笑んだ。
「わたくしは、王都の陰謀に巻き込まれることを避けるために、あえて人目に付かない冒険者の方々を護衛に選んだのです。……それに、あなた方は特別な力を持っている。わたくしはそう信じていました」
エリス王女の言葉は、ルナたちの胸に響いた。
その日の朝食は、少し豪華になった。
エリス王女が持参していた、王都の菓子パンや乾燥肉を、一行は分け合って食べた。
ミリアは、王女と同じテーブルを囲んでいることに緊張しながら、パンを一口食べる。
「おいしい……」
エリス王女は、そんなミリアの様子を見て、くすくすと笑った。
「そうでしょう? これは、王都でも有名なパン屋さんのものなのよ」
二人の間には、少しずつだが、友情が芽生え始めていた。
一方、ルナは、カインと今後の作戦について話し合っていた。
「ダリオたちが、王女の正体を知っていたとなると、おそらくこの先の道も危険だ」ルナが言う。「護衛の人数も少ない。このまま進むのは得策ではないわ」
「……ああ。君の言う通りだ」カインも同意する。「だが、王都にはもうすぐ着く。ここからなら、一日で着くだろう」
「それでも、油断はできない」
ルナは、地図を広げ、カインに見せる。
「この道は、王都に続く唯一の街道。しかし、この先は、狭い峡谷になっていて、敵に待ち伏せされる可能性が高い。……いっそのこと、このまま王都に向かわず、一度別の街を経由して、援軍を呼ぶ方が安全ではないかしら」
カインは、ルナの言葉に耳を傾け、深く考えた。
「……だが、時間がない。王都では、反乱貴族派が動き始めている。一刻も早く王女を王都に送り届けなければ、手遅れになる」
その時、フィオナが二人の会話に割って入った。
「あたしは、ルナ姉の言うことに賛成だ。危険な賭けはしない方がいい。……それに、一度別の街に行けば、あいつらの追跡を巻けるかもしれない」
「……フィオナの言うことも一理あるな」カインはうなずく。「わかった。君たちの案に乗ろう。だが、王都への最短ルートは外せない。どうすればいい?」
ルナは、再び地図を広げ、ある一点を指差した。
「……ここよ。この先にある街〈バルミナ〉。そこには、王都の騎士団の支部があるはず。そこで援軍を呼ぶの」
カインは、ルナの案に感心した。
「さすがだな。〈バルミナ〉なら、この街道から少し離れている。敵もまさか、そちらに向かうとは思わないだろう」
ルナたちは、バルミナの街に向かうことを決めた。
しかし、その決断が、新たな敵との出会いを生むことになるとは、まだ誰も知らなかった。
街道を外れ、森の中を進むこと数時間。
一行は、バルミナの街へと続く、古い街道へと入った。
その時、前方から、馬車の轍が数多く付いているのを見つける。
「……誰か、先にこの道を通ったみたいね」
フィオナが警戒しながら呟く。
ルナは、轍をよく見ると、それが新しいものであることに気付いた。
「……さっきの戦闘で、ダリオたちが別のルートから撤退したのかもしれない」
カインは、ルナの言葉にうなずいた。
しばらく進むと、街道の真ん中に、巨大な岩が置かれていた。
岩の横には、人影が複数見える。
「……敵か!?」
カインが剣を抜き、身構える。
しかし、その人影は、彼らが想像していたような敵ではなかった。
そこに立っていたのは、数名の冒険者たち。
彼らは皆、豪華な装備を身に着け、その雰囲気からは、ただの冒険者ではないことがうかがえる。
そのうちの一人、銀髪の青年が、カインたちに歩み寄ってきた。
「おやおや、こんな場所で珍しいお客さんだ」
青年の背後には、金色の盾を背負った男と、魔法の杖を持った少女が立っている。
カインは、その青年を見て、顔色を変えた。
「……レオン。まさか、お前がこんな場所にいるとはな」
青年は、レオンという名らしい。
「久しぶりだな、カイン。……まさか、お前が王女の護衛をしているとは、な」
レオンの言葉に、ルナたちは再び息をのんだ。
レオンは、エリス王女の護送の件を、知っていたのだ。
レオンは、にこやかに微笑みながら、カインに言った。
「悪いが、その王女は、俺たちがいただく。……お前は、もう役立たずなんだからな」
その言葉は、カインの胸に突き刺さる。
ルナは、レオンという青年が、カインの過去を知っていることを察した。
「……あなたたちも、反乱貴族派の人間なのね」
ルナの言葉に、レオンは肩をすくめる。
「さあな。だが、俺たちの目的は、王女だ。……邪魔をするなら、容赦はしない」
レオンは、後ろに立っていた金色の盾を持つ男に合図を送る。
男は、巨大な盾を地面に突き刺し、身構えた。
そこに現れたのは、第二の敵。
ルナたちは、この依頼が想像以上に、複雑で危険なものであることを、ようやく知ることになった。