6話 ハムル
目を開けると、俺は部屋にいた。
ベッドで寝ている。
少し体を動かそうとした瞬間、肩に激痛が走った。
そうだった。
俺はあの人型狼に噛まれた。
思い出した。
あれからどうなったんだろう。
すると、部屋に看護師っぽい女性が入ってきた。
俺とは目を合わせず、近寄ってきては包帯で巻かれていた肩を見て
「ここには今、治療魔法士が出払っていておりません。このまま王都にお戻りになるそうです。」
そう言って部屋を出ようとした。
「すいません。ここはどこですか?」
俺は聞いた。
「ここはファレンの医療所です。勇者様は怪我をされてこちらに運ばれ、ギレイ副団長様達はそのままチェニへ。勇者様は足手まといと判断され、王都に帰る団員と共に帰城される、との事のようです。」
話したくもない。
そんな感情が露骨にわかる話し方でぶっきらぼうに話して部屋を出て言った。
事情はなんとなく察知した。
足手まとい
それはそうだ。
戦ったことなどないから。
そしてここはファレンという街。ギレイも言っていた。
もうすぐファレンだと。
俺はそこに運ばれて、置いて行かれたんだろう。
そしてここまで来ておいて、また帰される。
肩がズキズキする。
考えるのはもう止そう。疲れた。
そして俺は久しぶりのベッドで寝た。
次の日。
肩の痛みは全然引かないが、俺はまた馬車に乗せられて王都シナウに向けて出発した。
誰も何も話さない。
ただ馬車に乗せられ、野営を1週間ほどして王都シナウに戻った。
ギレイの隊が余程早かったのだろう。
俺はシナウの城内、結局またあの牢に連れられた。
ただ、その牢に聖職者が来て、俺にヒールという魔法をかけた。
呆れた顔で、嫌々やっているのがわかる。
俺の肩はあっという間に治った。
聖職者の俺への視線よりも、ヒールという魔法、魔法を初めて体感した気がした。
聖職者と入れ違うように、数人の騎士と、一人の囚人らしき人が階段から降りてきた。
豹だ。
顔が小顔の豹。二足歩行。
獣人。
今まで暗がりだったし気が付かなかったが、俺の隣の牢に入れられた。
その夜。
見張りは相変わらず階段横でボーっとしている。
俺は石畳の天井をずっと眺めていると、隣の豹男が小声で話しかけてきた。
「おい、兄ちゃん。起きてるか?」
俺は返事をしなかった。
「兄ちゃん、あれだろ?噂の勇者様だろ?シーフの。」
また、シーフか。
話したくもない。
シーフって言葉を聞くだけで気分が悪くなってしまう。
「俺もシーフなんだよ。」
何?と思った。
「嘘じゃないぜ。俺も自分の国で水晶触れて。シーフの横に斥候って書いてあっても、盗人とか泥棒なんて何一つ書いてなかっただろう?」
合っている。俺と同じだ。
「俺はその場で捕まりそうになったが、元々獣人というか、足の速さには自信があったからな。逃げたんだけどよ。信頼できる同じ仲間の獣人に騙されて、結局ドーヴァで捕まっちまってさ。」
「シーフは簡単に人を騙すなんて言われてるけど、俺は素直に仲間を信じたら捕まっちまうって、そう思ったら笑えてくるよなぁ。」
「笑えるのか?」
俺は思わず答えた。
「なんだ、ちゃんと聞いてくれてたのか。まぁ、でも、勇者様も苦労したんだろう?いきなり犯罪者扱いだからな。」
「ああ。民衆の前で大きな奴隷紋刻まれて…。」
「俺は逃げてる途中だったから、その話は知らないんだけどな。」
「知らなくて良いよ。話したくも思い出したくもない。」
「勇者様、名前、聞かせてくれねぇか?」
「…、ユーマだ。」
「勇者ユーマか。俺はハムルだ。よろしくな。
まぁ、よろしくって言ってもよ、俺は明日教会の水晶にもう一度ステータスの確認をされたら、明後日は処刑だよ。」
言葉が出なかった。
「俺は兄貴みたいになりたかった。兄貴もステータスが発現してさ。強くて優しくて。でもある日、人間に騙されて兄貴も犯罪者扱いされて奴隷になって。
俺を売った獣人の仲間が、お前の兄貴はドーヴァにいるっていうから一緒に行こうって言ってくれて。それでドーヴァに潜り込んだら売られてたって話さ。」
「お兄さんみたいになりたかったから、水晶に手を出したのか?」
「ああ。今思えば、後悔しかねぇけどよ。天国から地獄だぜ。ステータスが出たって喜んだらシーフだからな。」
「俺は…、信じてもらえないかもしれないけど、違う世界から転移されてきたんだ。
俺がいた世界には、争いも何もない平和な世界だった。
突然こっちに転移されて、水晶でシーフにされて、体に大きな奴隷紋を施されて、魔物と戦えと言われて大怪我負って、それでまたこの牢獄戻りだ。」
「俺も大概だが、ユーマも大変だな。争いのない世界か。羨ましいな。」
「今となれば、ここにいるのが夢であって欲しいとさえ、もう思えない。魔物に殺されれば良かったって。本当は殺されるのなんて怖くて嫌なのに。でも死にたいと思ってしまう。俺は勇者でも何でもない。ただの、本当にただの人間なのに。」
「じゃあこの世界の事も、戦う事も、シーフが何なのかってのもわからねぇのか?」
「ああ。ゴブリン倒すのに必死だったよ。」
俺は薄ら笑いをした。
少し会話が途切れたと思ったら
「なぁ、ユーマ。俺は逃げてる時に感じたんだが、シーフはまず俊敏性が大事だと思う。実際俺は足が元々早かったんだが、シーフになっただけで、前より急に足がもっと速くなった。
それと、敏感になった。気配とか、そういうのが。
ユーマは感じたか?」
「いや、魔物と戦ったのも初めてだったから。気配も何も、俺は獣人じゃないからわからない。」
「いや、そうじゃない。そもそもユーマは魔力を自分で感じれるか?」
「魔力?俺はシーフなんだろう?魔法使いじゃないんだし、魔力なんてものある訳ないだろう。」
「そうか。ユーマの世界には魔法とか魔力とか無かった世界なんだな。」
「ああ。絵本とかそういう世界にはあったんだけどな。実際は誰一人使った人間はいなかったよ。」
「今から教えてやる。」
「なんだって?」
「ユーマ。俺は明後日死ぬ。もうこれは変えられねぇ。絶対だ。俺が出来る事は、シーフとしてお前に生きていて欲しいと思った。」
「教えるって、何を?」
「まずはお前の体に、魔力を感じるところからだ。」
「そもそも魔力なんてものが俺にあるのか?」
「ある、はずだ。じゃなければステータスはそもそも発現しない。正確に言えば、この世界に生きてる生き物には少なからず魔力は伴ってる。それが使えるかどうかの違いだけだ。」
言われてみれば、そうかもしれない。
「まずは集中して、体の中の魔気を感じるんだ。」
「魔気?どうやって?」
「そこからかぁ。座って目を閉じて…、腹の下辺りになんか溜まってるというか…。」
「曖昧だな。ちょっとやってみる。」
俺はそう言って、胡坐をかいて目を閉じて見た。
なんかよくわからない。
「何も感じないぞ?」
「魔法とか魔力とか、一回触れたりすると、なんとなくわかるんだけどな。
俺もお前に触れられないし、そもそも手枷に魔力封じがされてるから見せられない。どうしたもんかな。」
「前に掌で風の魔法を使った人を見たのと、そういえばさっき、俺の怪我を聖職者がヒールで治した、くらいだ、俺の魔法体験は。」
「それだ。ヒールだ。そん時何か感じなかったか?」
「うーん。温かかった、とか?」
「そうそう。その温かいってやつが魔力の感覚だ。それを腹ん中で感じれば良い。」
「簡単に言うなぁ。」
まずはさっきの肩に充てられてたヒールの感覚を思い出そう。
それを腹の中に感じるか…、.........あれ?何か感じるものがある。
腹の中が、何かに充てられて温かい感覚というか、中にホッカイロみたいなものがあるというか…。
「これ、かなぁ。」
「おい、早くないか?まだそんなに経ってないぞ。」
これって、いわゆる『気』なんじゃないのか?
魔力とか魔気とか言われたらわからないが、『気』だと思えばなんだかしっくりくる。
「もし本当に、それが魔力だとするなら、今度はそれを体全体に流すようにしてみろ。」
流す感じ…。全然わからないけど、さっき魔力を『気』と思うなら、流す、は血液が全身を流れてる、みたいなイメージを持てば良いのか?
そう思うと、腹の中の気が血管を通って体の細部に至るまで流れてるイメージで…。
体全体が熱くなってきた。
自分でわかる。意識した『気』が身体中を巡っているのが。
「ぷは!」
凄く、疲れる。
「おい、どうだった?」
「出来た気がする。ただ、続かない。」
「良々。充分だ、ユーマ。本当は凄い勇者なんじゃないのか?ユーマが嘘をついてるとは思わないけど、簡単に説明して、それを容易くできるものじゃないぞ。」
「そうなのか?」
「わかっていても何か月もかかったりするものだ。」
「なんだか一気に筋肉痛みたいになったぞ。身体中がだるい。」
「合ってるぞ!それで。俺も最初はそうだった。」
思わずハムルが叫ぶと、警備兵が気付き
「おい、何を話してるんだ!」
そう言って近づいてきた。
「兵隊さんよぉ。俺は明日明後日、どうせ死んじまうんだよ。母親とか父親に早く先に逝っちまって申し訳ねぇ、とか、ここで懺悔しちゃあいけねぇかい?」
「それならもっと静かに言え。」
「すいません。」
ハムルは独り言の体で誤魔化してくれた。
警備兵が所定の位置に行くと、ずっとこちらを見ている。
話せそうにはない。
ハムルは独り言を続けた。
「ああ、おっ母。俺はよぉ、それを毎日続ける事が必要でよぉ。疲れなくなるまでひたすらやれって散々言われたんだよなぁ。そしたらもっと凄くなるって言われてたっけなぁ。」
あ、これはハムルの助言だ。
毎日続けて、疲れなくなるまでやれって事か。何が凄くなる?魔力か。
「おっ父。おっ父にはよぉ、それだけじゃ足りないから、しっかり身体鍛えとけって散々言われてたっけなぁ。」
それは…、筋力トレーニングか。
「もしもよ、おっ父とおっ母の話を聞いてたらよ、俺もっとちゃんとした奴になれたんじゃねぇかなぁって、今頃後悔してるよ。」
警備兵はずっと睨んでいる。
「もっとちゃんと耳を傾けて、ちゃんと聞いてれば、もっと話が聞こえたりよぉ、もっと敏感になれたんじゃねぇかなぁって。」
どういう事だ?
そうか、気配を察知出来るとか言ってたな。魔力を集中すると、そういう事が出来るって事だな?
「おい、うるさいぞ!いつまで言ってるんだ!懺悔なら明日神父を呼んできてやる。」
「へいへい。終わりにしますよ。」
そこからは声が聞こえなくなった。
俺はそこから、ひたすら魔力を感じれる様にしていた。ただ、あっという間に全身が疲れて、俺は気絶したように眠ってしまった。
次の日、俺は目が覚めるとすぐに、
「おい、いるのか?ハムル?」
と隣にいるハムルに小声で話しかけたが返事が無かった。
耳を澄ませても、居る気配を感じない。
俺が寝てる間に連れさられてしまったのか。
身体がまだだるい。
魔力をコントロールできる身体じゃないって事だ。
でも何だか生きる希望みたいなものが俺の中で芽生えた。
それでどうなるってわからない。
でも、やるしかないんだ。
まだ怖いけど、魔物を倒さないといけないんだ。
だったらやらなきゃいけない。
死にたくない。
そう思ったら、俺は身体がだるくても魔力トレーニングをしたくなった。
目を瞑り、腹の中で感じる。
ある。感じる。
今度はそれを全身に流す…
「はぁはぁ。」
息が切れる。
運動不足だ。高校生になってからというもの、バイトばかりで部活にも入れなかったし、元々運動神経は悪くなかったけど、体を鍛えるなんて暇も無かったし考えもしなかった。
足音が聞こえる。誰か降りてきた。
すると、騎士に連れられて、ハムルが歩かされていた。
表情も曇っていて、昨日の元気がないように感じた。
警備兵だけになると俺は小声で
「どうした?」
返事がない。
「何かあったのか?」
「…、俺の、死刑がこの後昼に決まった。あともうすぐだ。」
「なんで?」
「まぁ、シーフだし、獣人だからな。この国はよ、亜人差別が激しいからな。慈悲もねぇって。」
「そんな…」
俺は絶句した。
「ユーマ。死ぬの怖ぇよ。なんでシーフなんだよ。なんで獣人なんだよ。おれがそうなりたいなんて思った事ないのに。」
ハムルが泣いているのが伝わってくる。
「あまりに理不尽だろう。俺が何したって言うんだよ。くそ、くそ、くそ。」
「…、ハムルは悪くない。何も。理不尽だ。何もかも…。」
俺はハムルに励ましの言葉も勇気づける言葉もかけられなかった。
ただ、ハムルが言う通り、この世界が俺達にとって理不尽だと同意する事だけだった。
沈黙の時間がただただ流れた。
後で思えば、本当はハムルにもっといろいろ聞きたかった事があったはずだけど、今はただハムルの想いに寄り添うしかなかった。
ハムルの様に人に手を差し伸べてくれる人が、シーフというだけで死刑。
明日は我が身。
理不尽過ぎる。
悔しいとか、もっと何とも言えない感情があふれ出てくる。
自分の事じゃないのに、自分の事の様に心から思える。
この世界に来て、初めてやさしさに触れた人。
獣人?俺と何一つ変わらないじゃないか?
見た目が違うだけで、心は同じじゃないか?
そう思っていると、階段から複数の足音が聞こえてきた。
聖職者数人と騎士数人だ。
俺の牢を素通りし、隣のハムルの牢の鉄格子の扉が開く音が聞こえた。
鼓動が高鳴る。
これから死刑。
一言も誰も言わず、鉄格子の閉まる音が「ガシャン!」と鳴った。
俺の牢の前に、取り囲まれたハムルがいた。
俺はハムルを鉄格子から見た。
するとハムルは急に
「俺の尊敬する人はセムル!俺は立派に生きたぞ!そう言ってくれ!」
鉄格子の柵を持っている俺の手に手枷されたまま両手で俺の手を握り叫んだ。
ハムルは涙ながらに俺に言って、俺も涙が自然に流れたまま何度も頷いた。
「おい!何してる!」
そう言って騎士達はハムルを抑え鉄格子から引っ張り剥がした。
「おい!やめてやれ…」
俺がそう言った瞬間、俺の奴隷紋が反応し、俺は悶絶し後ろに倒れた。
ハムルも、ハムルを抑えてる騎士達も、そして聖職者達も、俺の奴隷紋の反応と電撃の様な様子を見て、動きが止まり全員が俺を見ていた。
なんとか気絶せず、俺は目線だけハムルを見た。
「ユーマ。お前は絶対生きろよ。」
そう呟いたのが最後、連れ去られて行った。
涙が止まらなかった。
ただただ悲しかった。
何もできない自分に。