オネエ淫魔、早々にオネエを卒業する。
表通りに面した、安宿の見た目な割にはかなり高価な(治安が悪い所為)宿屋に泊まることにしたエイスは、早速、拾った塊を綺麗にすることにした。
「ごめんなさい、ここにお風呂はないのかしら?」
「そんなのありゃしないよ。風呂に行きたいなら公共浴場に行きな。まぁ、かなり高いけどね」
宿屋の女将は、鼻で笑いながら言う。
接客態度はすこぶる悪いが、そんなことも言ってられないほどに貧窮しているらしい。
貧しさは心さえも廃れさせるとは、よく言ったものだ。
「桶とタオルなら貸し出せるよ。当然、金は貰うけど」
女将は手を出して金の催促をする。
そう言われてエイスは抱えた塊を見るが……この子の汚れは、桶とタオルなんかでどうこうできるような騒ぎじゃないと判断する。
彼は大きく溜息を吐いて、頷いた。
「分かったワ。ちょっと行ってくる」
「…………チッ。いってらっしゃい」
エイスは宿屋に出た表通りを進む。
路地裏よりはマトモだが、やはりどこか廃れている。
たまにすれ違う者達の目は、鋭くなっていたり、全てを諦めてしまっていたり。
まさに破滅を待つ者達ばかりの街だった。
(ラグナ様が好きそうネ)
エイスはそんな感想を抱きながら、公共浴場に辿り着く。
ぼったくりなんじゃないかと思わんばかりの値段を取られつつ、ほぼ貸切状態の浴場へと足を運んだ。
(…………あら……浴場が片方閉鎖されてるわね)
普通は男女分かれているものだが、片方の入り口には紐が張られて入れないようにされている。
客が少ないというのと、お湯の節水をしているのかもしれない。
どの道、塊はまだ目覚めていないし……エイスが入れなくてはどうにもならないのだから、彼は気にせずに解放されている方の浴場に入った。
(番頭の様子から見るに……衣服を置いておいたら盗まれてしまいそうネ。仕方ないワ)
エイスは眷属の力で使用できるようになった空間保存魔法(分かりやすく言ってしまえばアイテムボックスのようなもの)に衣服を放り込む。
塊が纏っていたボロ布はこのままでいいかと、剥いだ瞬間……エイスは思わず固まった。
「………やだ……あんなにも汚いから……男の子だと思ってたワ」
エイスは子供とはいえレディの服を剥いだことに、若干後悔してしまった……。
◇◇◇◇◇
ふわふわと温かい温もりに、少女は口元を綻ばせる。
ずっと雨風に晒されて、いつ死んでもおかしくなかった。
だから、きっと……自分は死んでしまったのだろうと。
なら、もう少しだけこのまま微睡んでいようと。
柔らかな温もりに頬を寄せる。
「アラ……可愛らしい笑顔ネ」
しかし、少女はその声が聞こえた瞬間、勢いよく起き上がる。
目の前には色気の溢れる男性が立っていて。
少女は警戒するように、彼から距離を取ろうとした。
「あぁ、コラ。落ち着きなさい」
だが、逃げようとする前に少女は捕まえられてその腕の中に閉じ込められる。
そのまま背中をポンポンと優しく叩かれて……赤子扱いされてしまう。
少女は困惑していた。
この世界はとても残酷なことばかりだ。
優しくない人達。
嫌な感情を向けてくる人達。
家畜のように扱う人達。
嫌なことばかりだった。
なのに、この人はとても優しい手つきで触れてくれる。
ほんのりと甘い匂いがして、暖かい。
自分を騙しているのではないだろうかと、不安になる。
「落ち着いたわネ?」
「………………」
ただ少女はちょっと気になっていた。
中性的な顔立ちをしているが、骨格から見てどう見ても男の人だった。
なのに、どうして女の人のような言葉遣いなのだろうと……。
「ワタシの名前はエイス。淫魔ヨ。アナタは?」
「………………」
「…………喋れないのかしら?」
「…………喋れ、る……」
「あら、可愛い声ネ」
エイスに頭を撫でられて、少女は目を見開く。
こんな風に自分に触る人はいなかった。
頭を撫でられたのだって初めてだ。
気づいたら……少女はポロポロと涙を零していた。
「マァ、どうしたの?」
エイスはポロポロと涙を零す少女の目尻を指で拭う。
少女は嗚咽を漏らしながら、呟いた。
「だっ……だって……ひっく……さ…触って…くれる人……ひっく……いな……いなかった……」
「……………マァ……」
エイスはそれを聞いて目を見開く。
あんなにボロボロだったのだ。
やはり、この少女には事情がありそうだ。
「お名前ハ?」
「…………な……」
「…………な?」
「……ない、のです……時々……いみご、とは……呼ばれてましたけ、ど……」
「…………い、忌み子ぉ!?」
エイスは思わず大声を出してしまう。
《忌み子》だなんて……なんて呼び方をするのだろうか?
名前を与えていないことも。そう呼ばれることも。それだけでこの子が周りから疎まれて、嫌われてきたことを理解してしまう。
信じられない気持ちだった。
こんな無垢な少女が。この小さな子供が。一体何をしたというのだろう?
周りの奴らはこの子になんて仕打ちをしてきたのだと、エイスは思わずにはいられなかった。
「……名前……なくて……だから、だから……」
「……………」
ぷるぷると震えながら顔面蒼白になる少女。その怯えようは、名前を呼ばれないことだけに対する恐怖だとは思えない。
無駄に聡いエイスは、察してしまった。この子は、虐待を受けながら生きてきたのだと。
彼はそんな目に遭ってきた少女を深く憐れみながら……そんなことをした者達に殺意を抱く。
その殺意を敏感に感じ取ってしまったらしい少女が、ビクリッ!と身体を震わせた。
エイスはそれに気づき、慌てて彼女を抱き締める。
「アァ、怖がらせたわネ。単にそんな名前で呼んでた奴に腹が立っただけよ」
「でも……」
「名前がないのなら、貴女に相応しい名前をつけまショ?」
エイスはふわりと微笑んで、その美しい金髪を撫でる。
何度も何度も撫でながら、彼は優しく語り続けた。
「貴女にそんな呼び方は相応しくないワ。だって、貴女はとっても可愛いんですもの」
「…………可愛い……?」
「えぇ。煌めく金色の髪に、宝石のような碧眼。肌は白磁のようで……頬と唇はほんのり紅色。こんな可愛らしい女の子、ワタシ、初めて見たワヨ?」
そう……エイスの言葉の通り、少女は絶世の美少女だったのだ。
まだ五、六歳程度だが、それでも将来が期待できるほどに可愛らしかった。
(そうね……金髪碧眼ってなると……あの人を思い出すんだけど)
かつて……自分の主人の花嫁の婚約者だった男。
そして、今は寄生虫の器の名前。
エイスは彼を想像して……それをきっかけに、目の前にいる少女にピッタリの名前を思いついた。
「なら、アナタの名前は〝アリス〟にしまショウ」
「……………アリス……」
「エェ。アナタはアリスよ」
少女……アリスはその名を何度も口にする。
まるで宝物を与えられた子供のように。
ポロポロと涙を零しながら。
嬉しそうに微笑みながら。
「……アリスはアリスなのですっ!」
「エェ、アナタはアリスよ」
「エイスは何で女の人の喋り方なんですか?」
「え〝。」
エイスはいきなりぶっ込んだ質問をされるとは思っていなかったので、目を見開いて固まる。
アリスはこてんっと首を傾げながら、彼に聞く。
「エイスは男の人です。でも、女の人みたいに喋るのです」
「えっと……それは……」
「エイスはカッコいいんですから。ちゃんと喋った方がいいと思うのですよ?」
「…………格好……いい?」
「うんっ!」
アリスは、にぱ〜っ!と笑う。
しかし、エイスは驚きの余り言葉を失っていた。
淫魔族は、雌は色気の溢れる顔立ちと豊満な肉体を。
雄は、漢というほどではないが……ワイルド寄りの整った顔立ちと男らしい肉体を待つ。
そんな中でエイスは雄でありながら、中性的な顔立ちをしていた。
それがコンプレックスで……でもこの本心がバレないように、オネエ言葉を使っていたのだ。
普通の淫魔とは違う方法で、やっていくしかないと思っていたから。
中性的な容姿とオネエ言葉。
それがエイスの個性で……オネエ言葉を使えば、中性的な容姿でだっておかしくないと思っていたから。
「…………オレ……格好いいの?」
しかし、今、エイスのコンプレックスを認めてくれる者がいた。
アリスはエイスの頬を触りながら、ふにゃっと笑う。
「アリスはエイスの顔、好きなのです!」
容姿は淫魔にとって重要なファクターだ。
それを認めてくれる存在は、淫魔にとっても喜ばしい存在で。
エイスは頬を若干赤くしながら……泣きそうな顔で微笑んだ。
「オレも、アリスの顔好きだよ」
「うふふ〜!」
エイスとアリスは互いにぎゅーっと抱き締めあう。
この日、唐突にも。オネエ淫魔はオネエを卒業するのだった──。