第三章 再会と復活と ー中編ー
昼休み、季武と六花は屋上に居た。
「金時さんって金太郎のモデルってホント?」
「そう言われてるな」
「じゃあ金時さんは鉞使ってるの?」
「ああ」
「鉞って大きい斧って聞いたけど、だから金太郎は斧持ってるの?」
「お伽噺が出来た経緯は分からんが、金時の得物――得意な武器は鉞だな」
「季武君は弓と刀、使ってたよね」
六花は始めて季武と会った時を思い出しながら言った。
「皆得意な武器は有るが基本的には何でも使えるから」
「貞光さんは長い刀使ってたね」
「あれは大太刀だな」
そう言われてみれば季武の使っていた刀と比べるとかなり長かった。
あれが大太刀って言うんだ。
放課後、季武と六花は中央公園に来た。
「こ、こんにちは!」
六花は頼光に会うなり深くお辞儀した。
「その、ご足労頂いたのは私のせいみたいで……」
「いや、悪いのは此の馬鹿共だから気にしなくて良い。何時も世話に成ってるしな」
「六花は何もしてませんけど……」
「季武に弁当作ってるじゃん」
「そうそう、季武だけ愛妻弁当って狡いよな」
「愛……」
六花は真っ赤になった。
「何が愛妻弁当だ! 今は女性に食事を作って貰う時代じゃないって保昌が言っ……!」
「保昌って、藤原保昌さんですか!? 一緒に酒呑童子討伐に行ったっていう……」
頼光の呆気に取られた表情を見て話を遮ってしまったと気付き慌てて、
「すみません!」
と頭を下げた。
頼光は苦笑しながら髪を掻き上げた。
「いや、良いんだ。六花ちゃんなら知ってて当然だからな」
「『御伽草紙』読んでるもんな」
「読んでなくても六花ちゃんなら知ってたんじゃね」
「伝説に関しては俺達より詳しいからな」
何時の間にか背後に回っていた綱と金時が囁きあっているのが聞こえた。
六花は赤くなって俯いた。
大ファンだと本人達に知られてるのはかなり恥ずかしい。
「兎に角良い加減自分達で作れる様に成れ! 今は電気で米が炊けると聞いたぞ。火を使わないなら火事には成らんだろ」
頼光は確認するように六花を見た。
「はい、レンジで温めるだけのものもありますし」
其の答えに頼光が六花の背後を睨み付けた。
「幾ら何でも米だけってのは……」
「おかずだって食いたいですよ。な」
綱が同意を求めると他の三人が頷いた。
六花が言ったのは米の事だけではないのだが恐らく分かってて言ってるのだろう。
コンビニで弁当を買ってるのだから知らない筈が無い。
手料理が食べたい四天王と、作りに行きたい六花の思惑が一致した結果、全員レトルト食品の事は頼光に黙っていた。
頼光も流石に米だけ食ってろとは言えずに仕方なさそうに話題を変えた。
「何か聞きたい事は有るか?」
と何故か六花に向かって訊ねた。
「いえ、その、ご迷惑でしょうし」
「迷惑なのは其奴らだ」
頼光が四人を睨んだ。
四人が一様に視線を逸らした。
定期連絡というのは嘘で、口下手な季武では六花の誤解を解けないだろうと金時が仲直りの為に画策したのだ。
頼光に会えると聞けば六花は必ず食いつくし「一緒に帰ろう」と誘われたなら嫌われた訳ではないと分かるだろう。
頼光には現時点で唯一の人間の協力者だからと言って助力を仰いだ。
必須な訳ではないが事情を知っている人間の協力者が居た方が何かと動き易い。
頼光も都に住んでいた時は人間の協力者が何人か居たので有用性は理解していた。
頼光が再度六花に質問は無いかと訊ねた。
「えっと……安倍晴明さんは人間だったんですか?」
「ああ」
「お母さんが狐だって言う話は……」
「当時から有ったが彼は晴明を妬んだ者が流した嘘だな。彼は只の人間だ。我々に彼の能力が有れば反ぐれ者捜索も楽なんだが……」
「頼光様達には無いって事ですか?」
「あの手の技術は人間にしか習得出来ない特殊技能だな」
「人間だけ……ですか」
「恐らく寿命が有って、其の限られた時間を修行に使うからこそ引き替えに得られる技術なんだろう。我々には寿命は無いからな。引き替えに出来るものが無いんだ」
六花が感心した様に頷いた。
「他には?」
「え!? いえ、もう十分です!」
「もう帰って良いか?」
頼光が四天王に訊ねた。
貞光が「特に報告する事は無い」と答えると頼光は異界へ帰っていった。
頼光が居なくなると四人の緊張が目に見えて解けた。
泣く子も黙る四天王でも頼光様は怖いんだ……。
然し「何も無い」と言われて直ぐに帰ったという事は六花が居なければもっと早く帰れたのだ。
私のせいで余計な時間取らせちゃったみたい。
「六花ちゃんさぁ、もっと図々しくなっても大丈夫だよ」
肩を落とした六花の様子を見た金時が言った。
「季武には、はっきり言わねぇと通じねぇからな」
「え?」
金時と貞光の言葉に六花は顔を上げた。
「此奴何も言わねぇから何考えてんのか分かんねぇだろ」
「そう言う時はズバッと聞いて大丈夫だからね。俺達には傷付くとかそう言う感情は無いから言葉を選ぶ必要も無いよ」
「季武がイナちゃん嫌うとか有り得ないもんな」
貞光、金時、綱が次々に言った。
如何いう事なのか今一つ理解出来ずに季武を見たが彼はそっぽを向いていた。
良く分からないが綱の言葉を否定しないという事は嫌われてはいないと思って良いのだろうか。
困惑している様子の六花を見て季武以外の三人が溜息を吐いた。
清志は小学校からの帰り道、一人で歩いていた。
「痛っ!」
突然左手に痛みを感じて顔を顰めた。
指先から血が出ていた。
周囲にケガをしそうな物は何も無い。
少し風が吹いてるから何かが飛んできて切れたのだろう。
昨日は転んで膝をケガして今日は手か……。
昨日、立ち上がる時に手を貸してくれたお姉さんには気後れしてしまって礼が言えなかった。
そんな事を思いながら手を見て、指先から流れ出す赤い液体に目を奪われた。
惹き付けられる様に指を舐めた。
刹那、衝撃に目を見開いた。
美味しいなんてものではなかった。
今まで食べた何んなものにも勝る味だった。
口の中に不思議な味と香りが広がり身体中に染み渡っていく。
こんなに美味しいものが在るなんて!
此以上旨いものなど此の世に無いと思った。
清志は血を舐めるのに夢中で自分を見ている者の存在には気付いていなかった。
昼休み、季武と六花は何時も通り屋上に居た。
「それで土曜日に五馬ちゃんが家に来るの」
季武は弁当を食べながら六花の話を聞いていた。
五馬と仲良くなるまで六花が季武と話していたのは昔の話が殆どだった。
民話という言葉など無かった時代からお伽噺を聞くのが好きで古老の昔話を喜んでいた。
年寄りの長話にうんざりした他の者達が席を立ってもイナだけは熱心に聞いていた。
其くらい好きな昔話をせずに友達の話ばかりしているのだから、やはり自分から人を遠ざけていたのではなく周りが六花を避けているのだ。
六花は友達が欲しかったのだろう。
季武は人の感情の機微に疎いから率直に聞いても大丈夫か分からなかったので貞光達に訊ねてみたら「デリケートな問題だから質問する時は気を付けろ」と忠告された。
『友達がいない』と言う言葉に傷付く人間は多いし、特に思春期の子は繊細だから単刀直入に切り込んだりするなと釘を刺された。
然し性格的にイナが遣らかすとは思えないと言う点では他の三人の見解は一致していた。
だが遣らかすとは思えないからこそ仲間外れにされそうな理由を誰も思い付けなかった。
民話研究会のメンバーは普通に接しているとなると尚更だ。
唯、イジメを受けてる子を庇った為に代わりにイジメられる様に成った可能性が有るとは言っていた。
実際、村の嫌われ者を助けた所為で一緒に村八分にされた事が有るから十分考えられる。
放課後、季武は六花に一緒に帰らないかと誘った。
六花は直ぐに承諾した。
「貞光達が中央公園に来るって言ってたから寄ってくか?」
「私がいたら邪魔にならない?」
「聞かれて困る話はしない」
其を聞いて季武の言葉に甘える事にした。
頼光だけではなく頼光四天王も六花にとってはアイドルだ。
「こんにちは」
六花は三人にお辞儀した。
「六花ちゃん、季武が何時頃人間界に来たか知りたがってたよね」
「え?」
綱の言葉に六花は戸惑った。
確かに季武に聞いたがそんなに強く知りたがっている様に見えたのだろうか?
六花は季武を見上げた。
「馬鹿、其、六花ちゃんじゃねぇだろ」
貞光が綱の頭を小突いた。
「あ、昔のイナちゃんか」
「お前ぇ、良い加減其の適当なとこ何とかしろ」
「遣る事が杜撰過ぎるんだよ」
「で、でも、四天王のリーダーですからいざとなったら頼りになるんですよね!」
六花がフォローする様に言った。
「リーダーじゃないぞ」
季武が即座に否定した。
「え……」
「綱だけ貴族だったから物語とかではそう言う事になってるんだろうね」
「頼光様の義理の兄弟の養子に成ったかんな。四人の中で一番身分が高かったってだけだ」
金時と貞光が補足した。
「それだけなんですか? 大江山の仕返しに来た茨木童子を倒したり、頼光様と北山の土蜘蛛退治したり……」
「其、おれ達も居たんだよね」
「何故か綱しか出てこねぇんだよな」
金時と貞光が不満げに顔を見合わせた。
「『羅生門』や『土蜘蛛』は役者の人数の関係だろ。能舞台は狭いから大勢は出せないってだけだと思うぞ。歌舞伎では四人とも出てるんだし」
季武が言った。
『羅生門』は映画の方ではなく謡曲(能楽)の方である。
謡曲に綱が羅生門で鬼と戦う話があり、其も『羅生門』と言う題名なのだ。
話の内容は『平家物語』の「剣」の舞台を一条戻橋から羅生門に変えた話なのだが偶に鬼が大江山の仕返しに来た茨木童子に成っている事が有る。
「土蜘蛛退治の話は幾つかあるだろ」
季武が六花の方を向いて言った。
有名なのは『平家物語』の「剣」に載っている頼光が病気で寝込んでいる時に怪僧(に化けた土蜘蛛)に襲われた話と、『土蜘蛛草紙』の頼光と綱が髑髏が空を飛んでいったのを見て追い掛けたら土蜘蛛が居たと言うものである。
「都での大規模な土蜘蛛討伐は一度だけだ」
「じゃあ、頼光様が病気で寝込んでた方が実話って事?」
「いや、両方作り話。土蜘蛛討伐はしたが、髑髏が空を飛んでるのを見た訳じゃないし、頼光様は寝込んだ事は無い」
「おれ達、病気はしないからね」
「仮に罹るとしても頼光様は罹んねぇよな。頑丈だし」
貞光が言った。
「其に土蜘蛛の死骸を串刺しにして河原に晒したりもしてない」
「晒しても人間には見えないからね」
六花は首を傾げた。
「如何した?」
「今『平家物語』の土蜘蛛の話が創作だって言ってたでしょ。でも綱さんを攫った鬼は橋姫だって……」
「橋姫の話は本当だよ」
金時が言った。
「空中で腕切った話もな」
季武が呆れ顔で付け加えた。
「普通、飛んでる時に斬んねぇだろ」
「山まで行ったら帰るの大変じゃん。歩いて帰らないといけない時代だったんだぞ」
「愛宕山から堀川までなんて大した距離じゃないだろ。人間だって精々三時間半だぞ。俺達なら一時間も掛からないだろ」
「神社の屋根壊してんじゃねぇよ」
「夜中に呼び出された播磨守も迷惑だったと思うぞ」
確か安倍晴明が呼ばれたと書いて有ったから播磨守とは晴明の事だろう。
「其で播磨守に七晩、部屋に籠もる様に言われたんだけど、六晩目に妻の振りした鬼に騙されて扉を開けたんだよね」
平安時代版オレオレ詐欺……。
「其で妻に、自分の声が分からなかったって激怒されて家を追い出されたんだよな」
「したら別の女ん家に転がり込んで妻、更に激怒」
「俺、彼見たとき人間の女って鬼より怖いと思ったわ」
綱が腕組みで頷きながら言った。
「お前の所為だろ!」
「普通行かねぇだろ! 怒った妻おいて他の女の所なんか!」
「其処謝る所だろ!」
金時、貞光、季武が次々と突っ込んだ。
……あれ?
「声真似したのって義理のお母さんじゃ……」
「『平家物語』とかではそう成ってるけど本当は妻だよ」
綱が言った。
そう言われてみれば義理の母が綱を騙して中に入れさせる時「生まれたばかりの頃から大切に育ててきたのに」と語ったと書いて有った。
だが綱に赤ん坊の頃は無いのだからそんな話をする筈が無いし、されたとしても引っ掛かる訳がない。
それにしても、奥さんがいたのに他の女性の所にも通ってたんだ……。
綱さんは貴族だったから複数の奥さんがいても不思議では……。
「あ!」
六花が大声を上げた。
四人の視線が六花に集まる。
「もしかして、都立高校や会社員がダメって……」
「ご名答。女が居るからね」
金時が苦笑した。
「今まで幾度綱の修羅場に巻き込まれたか……」
季武が冷たい目で綱を見た。
どうやら三人が容赦なかったのは其の所為らしい。
「都立高は共学だけだからね」
「国立は……」
「近くに国立の男子校が有っから」
貞光がお見通しだと言いたげに綱を見た。
「それじゃあ、綱さんが行ってる私立の高校って……」
六花は以前、季武が綱が通っている高校と言って指差した方角を思い出した。
私立の男子校で制服が学ラン。
「すごい……」
東京どころか全国に一万前後ある高校の中で十位以内という超難関校だ。
頼光四天王ってホントに文武両道なんだ。
「試験は受けてないぞ」
感動していた六花に季武が冷水を浴びせた。
「バラすなよ。折角尊敬の眼差しで見てくれてたのに」
「実力じゃない事で尊敬されて嬉しいのか」
「試験受けられれば余裕だったぞ。中高一貫校だから高校入試が無かっただけじゃん」
「誤魔化しはしないんじゃ……」
「其は記録の辻褄合わせが大変な部分だけだよ。生徒一人増やすくらいなら大した手間じゃないからね」
「特に私立はな」
「俺達が遣る訳じゃねぇしな」
どうやら資金調達や手続きの工作担当の者が居る様だ。
クラスメイトが皆季武が前から居たと思い込んでいるのも其の担当者が暗示を掛けたのだろう。
「学費はちゃんと納めてるしね」
お金の誤魔化しは駄目だけど入試の狡はOKと言うのも理解に苦しむが、学校に通っているのは鬼の情報収集が目的だから疑いの目で見られなければ其で良い様だ。
清志は足早に家に向かっていた。
未だ小学生だから遅くまで遊んでいると親に怒られる。
然し友達と遊んでると如何しても時間を忘れてしまう。
もう日は疾っくに沈み、空のオレンジ色の部分も西に向かってどんどん小さくなり藍色の部分が大きく天空を覆っていた。
星も瞬き始めている。
俯いて歩いていると目の前に誰かが立った。
清志は顔を上げた。
女の人だった。学校の制服を着ている。
彼女は嫌な嗤いを浮かべ、清志に両刃のカミソリを差し出した。
刃に赤黒い液体が付いている。
其が何かは直ぐに分かった。
清志は僅かに躊躇ったものの、誘惑に抗えず受け取ってしまった。
カミソリを舐める。
旨い!
自分の血よりも更に旨かった。
あんなに美味しいものは無いと思っていたのに今日のは其以上だった。
口を閉じたまま舌を動かして味わっていたが、到頭何の味もしなくなってしまった。
清志は残念に思いながら唾液を飲み込んだ。
「美味しかった?」
其の問いに頷いた。
「其は女のだからだよ」
彼女はそう言うと夕闇の中に消えていった。
清志はもう一度味わいたくて手の中に残されたカミソリで自分の指を切った。
自分の血を舐めてみたが先の方が旨かった。
女の血の方が美味しいと言うのは本当らしい。
清志は家に帰ると親の目を盗んでベビーベッドに寝ている妹を見下ろした。
腕など見える所を切ったら直ぐバレる。
色々見ている内に頭に目を付けた。
頭なら髪に隠れて見えないだろう。
清志は妹の頭をカミソリで切った。
妹が泣き出す。
母親が飛んできた。
「清志! 何したの!」
「何もしてないよ。急に泣き出したんだ」
母親は妹を抱き上げてあやし始めた。
清志は母に背を向けるとカミソリを舐めた。
――!
昨日のより、今日のより、遥かに旨かった。
もっと舐めたかったが母が付きっ切りであやしているので諦めた。
放課後、六花は季武と一緒に下校していた。
「お前、又体育休んでたな。若しかして何かの病でも患ってるのか?」
季武が心配そうに訊ねてきた。
「え、違うよ。お……」
女の子の身体の事で、と言おうとして前回其の口実を使ってから未だ一ヶ月経っていない事を思い出した。
然し一週間以上は経過している。
初めて会った時は夫婦に成ったと言っていた。
最低一度は結婚していた事が有るなら女性の身体の事を知ってる筈だ。
「お腹、ちょっと痛くて……」
「大丈夫か? 保健室には? 病院に行った方が良いんじゃないのか?」
「そこまでじゃないよ」
六花は慌てて手を振った。
「そうか……。今日は一緒に帰れないんだが一人で平気か?」
体育を休んだくらいで大袈裟過ぎるのではないかと考えてから、前世で季武を庇って死んだと言う話を思い出した。
もしかして、それで負い目を感じてるのかな。
だとしたら此以上心配掛ける訳にはいかない。
次の体育までに体操服を用意する必要が有る。
明日にでも買いに行くしかない。
六花は心の中で溜息を吐いた。
お小遣い、全部無くなっちゃうな……。