第二章 出会いと再会と ー前編ー
森に囲まれた小高い丘の上に人間の村が有った。
多少畑も有るが食料調達は狩猟採集が主だった。
背後に強力な力の気配を感じた反ぐれ者が振り返った。
「御主が噂に聞く討伐の為に創られし者か」
討手である討伐員は無言のまま近くの樹から剣を取り出した。
「名は?」
反ぐれ者の問いには答えず、一瞬の寄り身で懐に入ると剣を横に薙ぎ払った。
反ぐれ者が後ろに飛び退く。
討手は間髪を入れずに間合いを詰めて剣を斬り上げた。
反ぐれ者が更に後ろに跳ぶ。
反ぐれ者の手の中に剣が生まれた。
討手の様に物質に含まれている元素を武器の形にしたのではなく、無から有を創り出したのだ。
生み出す能力を持っているのは異界の上層部の中でも最上位に居る極一部の者だけだ。
此の反ぐれ者は元は上層部の一員なのだ。
討手の振り下ろした剣を反ぐれ者が受け止めた。
力は互角で鍔迫り合いに成った。
反ぐれ者が腹立ちとも驚きとも付かない表情を浮かべる。
互いの剣を押し合って一旦離れると再度激突した。
互いに打ち合っては離れる。
何合目だろうか。
何だけ刻を費やしたであろうか。
既に夜になってから大分経った。
然して東の空が白み始めた。
普通の異界の者なら疾っくに疲弊して動けなくなっている所だ。
だが両者とも一向に疲れた様子を見せなかった。
「吾を倒す為だけに其だけの力を与えられたのに名は授からなかったのか」
互いが後ろに跳んで離れた時、不意に討手が剣を掲げた。
剣が地平線から顔を出した朝日を反射し、光が反ぐれ者の目を射貫いた。
反ぐれ者は眩しさに思わず目を閉じた。
討手が斬り掛かってくる気配を感じた反ぐれ者は咄嗟に身を屈めて地面に手を付いた。
其の途端、地面が大きく揺れたかと思うと大地が割れ、灼熱のマグマが噴き出した。
一瞬で天高く噴煙が噴き上がる。
瞬時に数キロ離れた場所に移動した討手は海上を走る灼熱の火砕流と降り注ぐ火山弾を物ともしないまま辺りの気配を探っていた。
其の時、高さ二十メートルを超える大津波が押し寄せてくるのが見えた。
噴火と同時に異界の者の気配は消えた。
討手は異界へ戻っていった。
朝、季武は六花の数十メートル後方を校門に向かって歩いていた。
ふと見ると昨日の鈴木と言う奴が校門の前に居た。
校門に近付いてくる六花にさり気なく視線を向けている。
声を掛ける為に待っていたのだろう。
六花は可愛いし性格も良い。
何故男共が放っておくのか不思議だった。
鈴木だけは六花の良さに気付いているらしいが他の男と話しているのを見るのは不愉快だ。
「如月さん、おはよう」
鈴木が側に来た六花に声を掛けた。
「あ、鈴木君、昨日はありがとう」
「気にしなくて良いよ。それよ……」
鈴木が更に言葉を続けようとした時、
「六花、行くぞ」
季武が六花の横を通り過ぎながら言った。
「うん!」
六花は慌てて季武に随いて歩き始めた。
い、今、六花って呼ばれた!
六花!
六花、六花、六花……。
六花は季武の声で自分の名前を反芻した。
嬉しい!
六花って名前で良かった!
名前付けてくれたお父さん、ありがとう!
違う名前だったら其の名前で呼ばれてただけでしょ、と突っ込んでくれる友達は残念ながら六花には居ない。
名前呼ばれただけで心臓が破裂しそう!
でも今なら心臓が止まっても幸せなまま死ねる!
「六花」
再び季武に名前を呼ばれて六花は我に返った。
「な、何?」
「お前の猫に付いて聞きたいんだが」
「うん、良いよ。何?」
わざわざ話し掛けてくれたって事は嘘吐いた事は許してくれたって思って良いのかな。
休み時間も季武は普通に話し掛けてきた。
やはり怒ってないらしい。
六花は安心した。
六花と話しているのを見た女子の一人が季武に声を掛けたが完全に無視された。
六花の慌てた様子を見て季武は漸く最低限の返事をした。
其を見ていた女子達は又季武に近付いてこなくなった。
季武君と話せるのは嬉しいけど女子の視線が痛い……。
季武はシマに付いて色々質問してきた。
「季武君、猫、好きなんだね。昨日もわざわざシマを見る為にビデオ通話してきたし」
「そうじゃない。お前の猫だから知りたいんだ」
六花の心臓が飛び跳ねた。
頬が赤く染まったのが分かった。
誤解しちゃダメ!
私に興味があるって言った訳じゃないんだし。
皆も分かっていると思うが其でも季武の言葉を聞いた女子達の目が吊り上がったのが分かった。
これだけ露骨に態度を変えられた上にこんな言葉聞いたら誰だって怒るよね。
六花は胸の中で溜息を吐いた。
嫌がらせをされる頻度は高くなったが季武には知られたくないらしい。
隣に座っている季武に気付かれずに出来る事は限られるので余り酷い目には遭わずに済んでいた。
今までも避けられていたのだから何も変わらないだろうと思っていたのだが、自分に対して悪意が向けられていると言う事実は予想以上に六花の心を抉った。
六花が学校から帰る途中、不意に物音がした。
建物の角からだ。
其処は細い横道に成っている。
まさか、鬼?
六花はポケットの中のスマホを握り締めた。
季武が鬼を見たら直ぐ連絡出来る様に緊急連絡用のアプリを入れてくれた。
ホーム画面のアイコンをタップするだけで良いと言われている。
押すと季武のスマホに連絡が行くそうだ。
GPSで位置を特定出来るから取り敢えず押せと言われていた。
後は電源さえ切らなければ良いらしい。
六花が怖々路地を覗くと長い黒髪の人が膝を突いていた。
華奢な体付きからして女性の様だ。
「大丈夫ですか!?」
六花が声を掛けながら近寄った。
其の人が驚いた表情で振り向いた。
あ!
この前の女の子だ!
以前、横断歩道で擦れ違った少女だ。
「平気。躓いただけだから」
女の子が答えた。
六花が手を差し出すと女の子は其の手を取った。
彼女の手が冷たかったからか一瞬、背筋がゾクッとした。
女の子は六花の手から顔へ、ゆっくりと視線を上げた。
其から、そろそろと立ち上がった。
立った瞬間、女の子がよろけて六花に倒れ込んできた。
六花は慌てて抱き留めた。
同性とは言え頬と頬が触れそうになるくらい近付いた所為か心拍が跳ね上がった。
「だ、大丈夫? 具合悪いの?」
「何でも無い。有難う」
女の子はそう言って体勢を立て直した。
「ね、この前、落とし物しなかった?」
六花が訊ねた。
「……若しかして小さい巾着?」
「やっぱり!」
六花は鞄からハンカチを取り出して開いた。
古い布だから他の物と擦れて痛まない様にハンカチに包んでおいたのだ。
「拾ったとき追い掛けたんだけど見失っちゃって……。そこの交番に届けようと思ってたんだけど、つい忘れちゃってて。ごめんね」
「交番に行こうなんて思い付かなかったから持っててくれて良かった。有難う」
女の子は石と巾着を受け取った。
「わたし、八田五馬って言うの」
女の子が自己紹介した。
「私は如月六花」
六花も名乗りながら内心で首を傾げた。
八田……五馬?
なんか聞き覚えがあるような……。
「何処の学校?」
五馬の問いに六花が学校の名前を言った。
「何年? わたし、其処に転入するの。知ってる人が居たら心強いから」
「三年だよ」
「良かった、同じ学年だね。学校で会ったら宜しくね」
「うん!」
六花は笑顔で頷いた。
翌日、六花は屋上の階段室の横で季武の隣に座り昼食を食べていた。
「ね、鬼退治って人間には絶対無理なの?」
「え?」
季武が弁当箱から顔を上げた。
「渡辺綱とか、源頼光とか、昔話で鬼退治した人、出てくるけど」
「其、俺達」
季武が事も無げに答えた。
「え!……〝達〟って、頼光四天王全員? もしかして頼光さんも?」
季武が頷いた。
「なんで京都で活躍してたのに東京に来てるの? 東京に鬼が出るようになったから?」
「鬼は大昔から世界中に居る。俺達の任地は元々此処だから。彼の時は酒呑童子が出たから一時的に頼光様が都に派遣されたんだ。俺達は直属の部下だから随いてっただけだ」
「そうだったんだ……」
季武に拠ると頼光も四天王も名前は人間界用に付けたもので本当の名前は人間には発音出来ないそうだ。
「なんで頼光さんだけ貴族だったの?」
「綱も一応貴族だった」
「あ、ごめん」
「気にしなくて良い。どうせ頼光様と同じで貴族に暗示を掛けて息子だと思わせただけだ」
季武はどうでも良さそうに答えた。
貴族に成り済ます必要が有ったので貴族で且つ武官の役職に就いていた源満仲に暗示を掛けて頼光を長男だと思わせたのだ。
「貴族の振りをしたのは貴族じゃないと入れない場所が有ったから。最初は頼光様だけだったんだが散位じゃなかったから忙しくて手が回らなくなったんだ」
散位とは官位は有るが官職に就いてない者である。
官職には限りが有ったから官位を持っているからと言って官職に就けるとは限らなかったのだ。
異界の者は意識して姿を現さない限り人間の目には映らないのだが、当時は修行で隠形の者が〝見える〟能力を身に着けた人間が大勢居た。
内裏など貴族でなければ入れない様な場所には修行を積んで〝見える〟人間が多かったから貴族――と言うか人間――の振りをするしかなかったのだ。
六花が季武達に鬼から助けて貰った時も彼らは隠形だった。
だから他の人達には鬼だけではなく季武達も見えてなかったのだ。
「じゃあ、季武君って、卜部季武本人?」
季武が頷いた。
酒呑童子がホントにいて頼光四天王がそれを討伐したのが実話だったなんて!
てことは土蜘蛛とかの話もホントなんだ。
なんか凄い秘密を知ってしまった気がする……。
まぁ鬼が居る時点で酒呑童子も実在したのではないかと思っていたが。
「じゃあ、鬼から助けてくれたとき一緒にいたのは……」
「貞光」
「碓井貞光さん!? 頼光四天王の!?」
季武が再び頷いた。
すごい!
信じられない!
頼光四天王に鬼から助けてもらっちゃった!
夢みたい……。
こんな幸運が自分の身に起きるなんて。
これが夢なら醒めないで……。
「此のオレンジの、何?」
季武が、感動している六花に訊ねた。
「あ、カボチャのニョッキ」
「美味い」
「ホント!?」
六花は更に舞い上がった。
「じゃあ、また作ってくるね!」
そうだ!
「ね、季武君は嫌いなものある? 好きなものは?」
六花と季武が食べ物の話をしている内に昼休みは終わってしまった。
次の時間は体育だった。
ロッカーから取り出そうとして体操服が切られているのに気付いた。
また……。
季武君に知られないようにしなきゃ。
既に一度、破いてしまったからと言って親に買って貰っている。
其の時、母と一緒に買いに行って値段を見た。
中学生の小遣いで買うのは躊躇われる金額だった。
運動部でもないのに又破けたと言ったら親に怪しまれるだろう。
増してや其が何度も続けば嫌がらせをされているとバレてしまう。
親も怒るだろうし季武に知られたら彼も腹を立てるだろう。
其は避けたかった。
体操服をロッカーの奥に押し込むと授業を休む口実を考え始めた。
放課後、六花が帰り支度をしていると、
「お前、何で体育休んでたんだ?」
季武が訊ねてきた。
「あ、体調が……」
「昼休みは元気だっただろ」
「あの、女の子の身体の……」
「そうか」
季武は納得して自分の鞄を手にした。
また季武君に嘘吐いちゃった……。
季武君、ごめんなさい。
心の中で季武に手を合わせる。
六花は罪悪感で胸が痛んだ。
折角あの後も普通に話してくれてるのに、また嘘吐くなんて……。
でも嫌がらせって知ったら怒りそうだし……。
向こうも季武を怒らせたくないらしく、彼に気付かれない様な嫌がらせをしてくる。
だから六花が季武に隠せばバレない。
自分に対してではなくても他人が誰かに怒るのは嫌だし季武にも腹を立てて欲しくなかった。
私が我慢すれば済むんだし……。
季武と仲良くしている以上、妬まれるのは仕方ない。
「貞光と待ち合わせしてるんだ。中央公園まで一緒に帰らないか?」
六花は其の誘いに一も二もなく頷いた。
季武に嘘を吐いてしまった後ろめたさは有ったものの一緒に下校出来るのは嬉しかった。
季武と六花は校門を出て並んで歩きながら中央公園へ向かった。
「お前、鬼が怖いんだろ」
季武が訊ねた。
「うん」
「俺は平気なのか? 俺も同じ異界の者だぞ」
「季武君は良い人だって分かってるから」
「若し俺が鬼みたいな姿に成ったら?」
「そうなっても中身は変わらないでしょ」
六花が当然の様に言った。
口先だけではない。
六花は本当に鬼の様な姿に成っても今までと同じ態度で接してくれる。
分かってはいたが其でも嫌われなくて安心した。
「ホントはそう言う姿なの? 茨木童子も女の人に化けてたって言うし」
六花が疑問を口にした。
「一条戻橋で綱を騙した鬼なら茨木童子じゃなくて宇治の橋姫だ。茨木童子は男だからな。後世の創作で色々混同されてるんだ」
「そうなんだ」
「俺は生まれた時から此の姿だ。見た目は変えられるが」
「どう言う意味?」
「人間と同じ外見って事だ。顔や体型を変える事は出来るし、定住してる時は少しずつ年を取った見た目に変えてるが」
討伐員は人間と同じ見た目をしている。
違う姿に成れないからこそ意識を失っても外見が変化しないので人間では無いと発覚する心配が無い。
「そうなんだ」
六花は興味深そうに季武を見ていたが其の瞳に恐怖や嫌悪は浮かんでいなかった。
季武の言う事を素直に受け入れている。
「其じゃ、俺は此処で」
中央公園の前で季武が別れを告げると、
「気を付けてね」
と六花が言った。
其の言葉に心からの気遣いを感じて季武は六花に微笑み掛けた。
其の途端、六花の顔が真っ赤に成った。
「又明日な」
季武は片手を上げて六花と別れた。
「六花! 六花! チャーハンが焦げてるわよ!」
母の声で六花は我に返った。
「あっ!」
六花は慌てて火を止めた。
六花は母親と一緒に台所で夕食と明日の分の弁当を作っていた。
フライパンを覗き込んで被害状況を確かめた。
これくらいなら焦げた部分を自分用に回せば何とかなりそう。
今日は失敗ばかりしていた。
理由は分かっている。
季武の笑顔だ。
今まで多少機嫌良さそうな笑みを浮かべる事はあっても、まともに六花に向かって微笑んでくれた事は無かった。
季武の笑顔の破壊力は凄まじかった。
あの笑顔の為なら何でも出来る。
また微笑ってくれるかな。
何をすれば良い?
どうしたら、もう一度あんな風に微笑ってくれるの?
「六花! お鍋が吹いてるわよ!」
「きゃーっ!」
其の日の夕食は惨憺たる有様だった。
弁当用の料理で失敗したものを夕食に回し、夕食用で上手く出来たものを弁当用にしたからだ。
「母さん、これ、タイヤみたいな味がするぞ」
父が奇妙な物体を箸で摘まんで言った。
「お父さん、タイヤ食べた事あるんですか?」
母は不機嫌な声で答えると、
「六花、この醤油味の塊は何?」
箸で塊を突きながら冷たい声で訊ねた。
「……多分、肉じゃが、だと……」
六花が消え入りそうな声で答えた。
如月一家が、人間が何処まで悲惨なものを食べられるかの限界に挑戦している時、シマは自分の餌を美味しく平らげていた。
同じ頃、季武は貞光と中央公園のベンチでコンビニ弁当を食べていた。
「今日は空振りか」
季武がそう言うと、
「中央公園で出てくれっと有難てぇんだけどな。火以外は全属性揃ってっし」
と貞光が答えた。
火属性はライターで補っている。
「東口も土以外は何とか成るけどな」
「都会は緑が少ねぇっつーけど、木より土の方が少ねぇよな」
貞光がレジ袋に入れた土を掲げた。
水はペットボトルを持ち歩いていた。
土属性の武器をレジ袋から取り出すのは情けないものを感じる。
桜の花びらが雨の様に降りしきっている。
地面を桜色に染め、ひっきりなしに降り注ぎ、其でも未だ樹には沢山の花が咲いている。
「此方は終わった。今日は帰るぞ」
懐に入ってるスマホから綱の声がした。
「オレ達も帰ろうぜ」
貞光の言葉に頷くと季武は立ち上がった。
夕食を済ませ風呂も宿題や予習、復習も終えると六花はベッドの上のシマの隣に寝転んだ。
「シマ、今日ね、季武君が微笑ってくれたの。すごく嬉しかった」
シマを優しく撫でながら呟く様に言った。
「でも今頃鬼退治に行ってるんだよね。季武君、大丈夫かな。ケガしないと良いけど」
シマは、そっぽを向いたまま大人しく撫でられていた。
お洒落な服装の若い女性が夜道を急いでいた。
「遅くなっちゃった」
肩に掛けた白いバッグが女性の足取りに合せて揺れる。
女性は広い公園の入り口で足を止めた。
近道をするか、安全を取って遠回りするか考えて、早く帰れる方を選んで公園に足を踏み入れた。
道の両側に植わっている木々の枝の下を足早に歩いていると、不意に何かが首に巻き付き其のまま引っ張り上げられ足が宙に浮いた。
苦しさに顔を上げた。
え!?
目の前のものが何か、直ぐには分からなかった。
大きな黒っぽいものに視界を塞がれている。
其が巨大な蜘蛛の顔だと気付いて思わず目を疑った。
樹の上に巨大な蜘蛛が居る。
真正面から見ているから正確な大きさは分からないが顔だけでも横幅が一メートル近くある。
叫ぼうと口を開けたが掠れた声しか出てこなかった。
巨大な蜘蛛が糸を引き寄せる。
蜘蛛の牙が近付いてくるのを見て再び叫ぼうとしたが、やはり声は喉に張り付いて出なかった。
首に巻き付いた糸が絞まり女性は意識を失った。
巨大な蜘蛛は糸を引き寄せて女性の頭を噛み砕こうとした。
が、直前で動きを止め、女性を咥えると何処かへと姿を消した。