不思議な歌
「いらっしゃいませ! あっ!」
洋館の古く重たいドアを開けたと同時に、まるでフルートの音の様な、ふんわりとした優しい声がしました。それは、あのウエイトレスさんの声でした。年の頃なら、二十代後半と言った所でしょうか、もし、ひまわり畑に入り込んだら、見えなくなってしまいそうな小柄で可愛らしい感じの女性でした。でも、最後の「あっ!」って言う言葉が、少し気にかかりました。
「おはようございます。」
「おはようございます。今日も待ち合わせですか?」
「い、いえ… 今日は、一人です。」
と、彼女は店内を見渡して、
「丁度、昨日と同じ席が空いてますよ。」
ここから、また、不思議な事が起こり始めました。
実は、この時、もし、昨日の席が空いてたら、お願いしょうと思っていたんです。
「あ、ありがとうございます。では、その席で…」
私の足は、まるで毎日、その席に座っていたかの様に自然とその席に向かっていました。その時、ふと、言葉には言い表せない、何か、懐かしい気持ちになったんです。
「昨日は、あの後、大丈夫でした?」
「えっ?」
「そうとう、お二人とも酔ってらっしゃたようなので…」
「はぁ… それが、あまり覚えてないんです…
何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いいえ、お二人とも、気分良く出て行かれましたよ。叫びながら…」
「叫び… そ、そうですか…」
この時、あの「あっ!」の意味がわかりました。でも、すかさず、彼女がニッコリと微笑んでくれたので救われました。人が、他人に対して思いやりがあるかどうかと言う事は、こんなとっさの行動でわかります。間違いなく、彼女は、思いやりがある女性でした。
「ご注文は、どうされますか?」
「じぁあ、昨日と同じ温かいコーヒーを、お願いします。」
「ホットですね!」
窓の外は、ピンク色の桜の花びらがゆっくりと流れる高瀬川の水面が、朝日を浴びて小さなダイヤモンドの様にキラキラと輝いていました。また、私は、暫くの間、その眩い光をボーと眺めていました。そして、気がついたら、また、あの曲をハミングしていたんです。
「ホット、お待たせいたしました。」
「あ、ありがとうございます。」
「あのー」
「はい?」
「ちょっと、お尋ねしてよろしいですか?」
「はい… 何でしょう?」
「今、歌われていた曲なんですが…」
「はい…」
「昨日も、この席で歌っておられましたよね。」
昨日、彼女は、この席で、私が、この曲を歌っていたのを聴いていたようでした。
「ああ、はい。この曲、子供の頃、母が良く口ずさんでたんす。聴いてる内に、何か、移っちゃったみた
いで…」
「そ、そうなんですか…」
「でも、随分と調べたんですが、いつ頃、誰が歌ってかは、結局、わかりませんでした。で、この曲が、どうかしました?」
「実は… その曲…」
この後、彼女が口にした言葉から、この物語は動き出しました。