京都
「これ速達ですと、横浜には、いつ着きますか?」
「そうですね。明日中には着くと思います。」
駅前の郵便局で、昨日まで、地獄で暮らしていた元ツレに、地獄を出て自由になれる通行手形を送った私は、上司に失敗に終わった営業の報告をする様な気持ちで、思い切って、元ツレに電話をかけました。
「あ、もしもし、美砂子です。お待ちかねの物、今、送りました。明日には届くと思います。それから・・・」
しかし、その手に汗を握ったスリルとサスペンスの糸電話は留守電にメッセージを残すだけの取り越し苦労で終わってしまいました。でも、まだ、地獄にいる元ツレの声を聞かずに済んで、ほんのちょっぴり、ほっとしていました。それは、その時、これも、ほんのちょっぴりなんですが、元ツレの事を、可哀そうに思っていたので、何か、同情しそうで怖かったからです。でも、元ツレって言う言い方も、ちょっと、可笑しいですよね。
平日の正午前、電話に出れなくても仕方がない時間帯。
私は、そんな自分に都合の良い理由を見つけて、自分を納得させながら、周りを眺めました。目の前にはローソクの真似をした白亜の塔が聳え立って、その下を草色のバスと大勢の生きた人間が、何処へ行くともなく右往左往していました。
それは、二十年ぶりに見た懐かしい風景。それは、私と同じように何も変わっていませんでした。そう思うと、その時、少し気持ちが楽になりました。
京都に着いて、初めに行く所は決まっていました。そこは、京都駅から歩いても行ける距離なので、私は、アプリのナビを頼りに歩き出しました。で、ふと、気がついたら、七条大橋を東へと渡っていました。眼下には、底が見えるほど浅い鴨川が流れ、遠くには北山の稜線が広がっていました。
思わず、私は、こう叫んでしまいました。
「京都だ! 京都だよ! 京都!」
横を歩いていた女学生が変な目で私を見たのは言うまでもありません。
空を見上げたら、私を解放してくれた、あの印鑑の様な突き抜けるける様な青い空。
私は、両手を広げて、また、深く深く深呼吸しました。
博物館、三十三間堂、そんな懐かしい風景に気を取られて歩いている内に、ふと、気がついたら私は古めかしい木造の町家とアパートが立ち並ぶ路地を歩いていました。
スマートフォンに目を落とすと、目的地はもうすぐそこでした。
と、前を見ると二階建てのアパートが見えて来ました。
それは、外に二階へと続く階段がある木造の古めかしいアパートでした。と、その前に、一人の赤い服を着た女の子がしゃがんでいるのが見えて来ました。
近づいて良く見ると、その女の子は、アパートの前にある、お地蔵様の祠の前で、真っ黒な猫に餌をあげていました。年の頃なら三つか四つでしょうか。
スマートフォンに目を落とすと目的地はここでした。
「ふーん、こんなとこなんだ。でも、昔とは変わってるんだろうな。」
私は辺りを見回してその女の子の横にしゃがみ込んみました。
「この猫、可愛いね。」
女の子は、私の声が聞こえなかったのか、黙ったままでした。そして、餌を良く見ると何の魚なのかわからない煮干しでした。
髪は、今時、珍しいおかっぱ頭。色は、私の地毛と同じく少し茶色がかっていました。着ている赤い服は、まるで「魔法使いサリー」でサリーちゃんが着ている様に大きく赤いボタンが付いたノスタルジックなもの。
「おかっぱ頭で、この服で、猫の餌は、煮干し・・・。何かレトロ・・・。まあ、最近、昭和レト
ロが流行ってるし、それに、ここ
は、京都だもんね。」
私は、目の当たりにしている、まるで昭和の時代にタイムスリップした様なこの光景を、そこが、京都と言う理由をつけて、納得させていました。まあ、「魔法使いサリー」を知っている私も、かなりレトロですが。
元ツレの電話の時の様に、自分に起こった都合の悪い事に対して、自分に都合が良い理由をつけて納得するのが、私の得意技なんです。
そして、それから、ただ、ぼんやりとその女の子と夢中で煮干しを食べている、その真っ黒な猫を見つめていました。
と、突然、女の子は立ち上がってアパートの階段を駆け上がっていきました。そして、2階の踊り場から下に向かって誰かに手招きしました。
「誰を呼んでるんだろ?」
周りを見渡しても、誰もいません。
「えっ!? 私?」
あっけに取られた私は、立ち上がって、その女の子の手招きに引き寄せられるかの様に、そのアパートに吸い込まれていきました。
不思議なんですが、それから先の記憶が飛んでいるんです。
次に気がついたら、私は、伏見のお稲荷さんの幾千もの朱色の鳥居の中にいたんです。
「あれ、いったい、何だったんだろう・・・」
と、前方に、ここ伏見稲荷さんの観光スポットのおもかる石が見えて来ました。
「せっかくだし。占ってみようっと!」
と、私は、気分を取り直して、それからの人生を占ってみる事にしました。私は、気分を取り直す事には慣れているんです。
だって、地獄では気分を取り直す事が出来ないと生きて行けませでしたから。
この「おもかる石」は、ソフトボールのボールより少し大きいこの石を、願いを込めて持ちあげた時に、自分が予想よりも軽かったら願いごとが叶って、予想よりも重かったら叶わないと言われています。
「願いごとだよね? えーと、何だっけかな?思いつかん!」
多分、ここに並んいるで人の中で一番、願い事はあるはずだったんですが、その時、一つも思い付きませんでした。
「ごめんなさい!」
気弱な私は、後ろで並んでいる人に気を使って、願い事が無いままに思わず持ち上げてしまいました。
「重!」
と、その瞬間、また、記憶が飛んだんです。
次に、気がついたら、そこは、満開の桜が咲いた高瀬川の畔でした。もう、その時は、直ぐには気分を取り直しす事も出来なくなっていて、都合の良い理由も見つかりませんでした。