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第08話 ロシニョル家の晩餐

「本日の主菜は、狩猟肉(ジビエ)の煮込みでございます」


 食前の祈りが済むタイミングを見計らって、執事のクレマンがメニューを読み上げた。その間、女中のリゼットと従僕のセルジュの若手使用人コンビが、手際よく料理を配膳してゆく。


 この国の文化は地球の中世あたりの欧州によく似ているが、食事はコース料理ではない。みんなでつつく大皿と個人の取り皿というスタイルがとられることが多いのだが、たった二人の食卓では席が離れすぎているためか、それぞれ個別に料理が用意されていた。


 ……っていうか、近くに座れば良いのに!


 二人きりにも関わらず、使っている食卓は十数人は余裕で座れそうな細長い大テーブルである。それを遠い方に挟んでおじい様と向かい合って座った私は、内心呆れながらスプーンを手に取った。まあ気まずかった頃はこの距離に救われてもいたんだけど、ソーシャルディスタンスをとるにもほどがある。


「もう調子は良いのか」


 まだ一口も食べないうちに、さっそく食卓の向こうのおじい様から声がかけられた。


「はい。おじい様の手配して下さった薬湯とお砂糖のおかげで、すっかり本調子に戻りました。ありがとうございます」


 私はテーブルの向こうまで届くように、腹に力を込めて声を張った。そういえば以前は、頑張って話しかけようとする度に「聞こえん!」と言われて嫌になったものだっけ。話すたびにこう大声を出さなくてはいけないようでは、しんどすぎる。やっぱり席は次から断固として近付けてもらおう。


「うむ、それはなにより。他に不自由はないか?」


 大声が初期設定(デフォルト)のおじい様は私が頑張っていることに気付きもしていない様子で、満足そうに頷いた。


 不自由があるとしたら、この席の配置ですね!

 しかし私はせっかくのこのチャンスを、テーブルではなくお風呂の話題に持っていくことにした。


「おかげさまで、不自由はございません。今日は久方ぶりにお湯にも浸かり、生き返った気分です」


「湯に浸かっただと!? せっかく病を退けたというのに、また寿命を縮める気か!」


 目論み通り、おじい様は「お湯」という単語で簡単に釣り上げられた。ガリアによくいるタイプのご老人の例にもれず、おじい様は大のお風呂嫌いである。貴族であっても基本は行水、冬場は身体を拭くだけの日も多く、浴槽に浸かる人は滅多にいないのだ。


「お湯に浸かると病気になるというのは、迷信ですわ。むしろロマーニア王国の最新の研究では、身体を清潔に保つことで病を予防する効果もあると言われているようです」


「だが現にそなたの両親は、毎日湯に浸かった結果亡くなったではないか!」


「湯と病に因果関係はありませんわ。そもそも瘴気病(マル・アリア)は、悪い空気がもたらす魔族の呪いだというではありませんか。お湯に浸かると呪われるというのも、解せないものです」


「ぬう……それはそうだが」


 実は浴槽に浸かると寿命が縮むという迷信は、地球のヨーロッパでもつい最近まで信じているご老人が居たようだ。原因はローマの公衆浴場が、感染症のクラスター発生源になりがちだったからではないかとも言われている。


「しかし体液病(コレー)は、呪いが患者の体液や悪い水で伝染すると言うぞ」


 なおも食い下がる祖父に、私は微笑んだ。


「それは恐らく呪われた方と同じ湯に浸かったことで、悪くなった水に触れて呪いが伝染してしまったのでしょう。しかしひとりひとりに専用のきれいな湯を用意すれば、伝染の心配はないのではないでしょうか」


「うむ……しかし……」


 なおもビビっているおじい様に、私は困ったような顔で畳み掛けた。 


「お湯に浸かると身体の芯から温まって、とっても気持ちがいいのです。わたくし、それを大好きなおじい様にも味わって頂きたくて……ダメでしょうか?」


「ぐぬう……」


 唸り声からしばしの沈黙が降りたあと、おじい様は観念したように口を開いた。


「……一度だけだぞ。食事が冷める。早く食べなさい」


「はい! ありがとうございます。明日さっそく準備致しますわ!」


 私はおじい様に向かって満面の笑みを返すと、まだ温かい煮込みを口に運んだ。


 ひとくち大に切り分けられた肉と野菜を赤葡萄酒でコトコト煮込んだスープには、ほんのり野菜の甘みが溶け出して、ドス赤い見た目に反して優しい味付けである。鶏胸肉に似ているが少し歯応えの強いこの肉は狩猟肉(ジビエ)とのことだが、山鳥とかだろうか?


「クレマン」


「はい」


 私が名を呼ぶと、ブラウンの髪の半分が銀色に染まった老齢の執事が、こちらを向いた。


 ロシニョル家の家令も兼ねるクレマンは祖父よりちょっぴり歳上で、本来なら現役を退いて楽隠居している年齢である。だが彼の背筋は定規が入れられたように真っ直ぐで、その機敏な動作は若者顔負けの現役バリバリだ。


「これは何という鳥の肉かしら?」


「はい、いいえ。これは鳥ではなく、野ウサギでございます」


 えええ、ウサギ!?


 そういやかつての日本でも、仏教で四つ足の獣を食べるのが禁じられていた頃、唯一ウサギだけは食べてOKだったらしい。ウサギは獣じゃなくて鳥だからいいんだよ! という言い訳の名残で、ウサギは1羽2羽と数えるんだとか。でもまさか、肉質までウサギが鳥そっくりだとは思ってもみなかった。


 しかし先に聞いてたらあの可愛いウサギを食べるなんて! と引いていたかもしれないが、知らないうちに食べてしまうと案外大丈夫なものである。おじい様とぽつぽつと雑談しながら食べているうちに、気付けば煮込みは残りわずかとなっていた。


 おっと、ついつい同じものばかり食べてしまってた。主食とおかずは満遍なく食べなきゃね!


 私は薄くスライスされたバゲットに手を伸ばすと、豚肝臓のパテを塗りつけて口に運んだ。以前の私はレバーが苦手だったはずだが、やたら美味しく感じるのはなぜだろう。子供は足りない栄養素を本能的に欲するらしいけど、鉄分が足りてないのだろうか。


 いや、やっぱりエメの調理がいいからかもしれない。肝臓のまったりとして濃厚な旨味はそのままに、共に練られた香味野菜が臭みをすっきりと消している。程好く塩味も効いていて、これでお酒があったら最高だ。


 お酒は暗黙の了解で成人の13歳からとなっているが、法律は特にないので罰せられるわけではない。しかし文献で読む限り、この世界の人体に対するアルコールの影響は、元の世界と特に違う点は見当たらなかった。ローティーンの身体にお酒が毒なのは変わりないだろうから、我慢せねば。


 脳が萎縮したり背が伸びなかったりするだけでなく、子供の飲酒リスクは重大だ。

 お酒は二十歳になってから!


 ──だが。

 食後に香草茶と砂糖、そして蒸留酒の小瓶を目前に並べられて、私はごくりと唾を飲み込んだ。


「飲み方はいかがなさいますか?」


「……お砂糖ひと匙、あと少しお酒を垂らして頂戴」


「かしこまりました」


 注文通りに作られたお茶のカップに顔を近づけると、香り高いお酒の匂いがふわんと漂った。一口ふくむと温かい甘味が、身体の芯から広がっていくようである。うんまあ、このくらい。香りづけくらいならいいよね!


 さっきのパテ、おつまみに最適だったのに。どうせなら同時に出して欲しかったなぁ。私は疲れたアラサーくさいことを考えながらお茶を飲み干すと、おじい様にお休みなさいの挨拶をして、自室へと帰ったのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] > ドス赤い見た目 ドス赤いって表現が面白かったです! 確かにドス黒いとか言いますもんねー。 食べるの一瞬躊躇するくらいめっちゃ赤いんだな!ってすぐ伝わりましたー
[一言] あれは不作だからって農耕やらで使う牛や馬を食うなよ、翌年苦労するぞ、と民衆を教育するのが面倒だから教義にしてみました、という程度の代物らしい
[一言] 中世ヨーロッパで入浴文化がアレだったのはキリスト教の影響が大きいとかなんとか。古代ローマは風呂文化でしたしね。世の中で禁止されたりする事はだいたい偉い人の権益と宗教が絡んできます。 めんど…
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