第86話 斑点病を名に持つ村(3)
隔離区域の視察を終えてグリーンゾーンに戻った私は、防護服を手早く巻き取り専用のカゴに入れる。横で担当者の手伝いを受けて防護服を脱いだスタン卿はようやく緊張がほぐれてきたようで、しみじみと呟いた。
「君は……この村の者たちから本当に慕われているのだな。病床の彼らが君を見る目は、まるで聖女を見ているかのようだった」
「聖女……ですか」
あの、教会が宣伝のために認定する偶像たちのことですね。……と皮肉を言おうとして、私はそっと飲み込んだ。
「恐れ入ります。まだまだ至らぬところの多い、若輩者にございます」
つい不自然に堅すぎる返答をしてしまった私を見て、彼は珍しく軽く吹き出した。
「フッ……君と話をしていると、まだ齢十五の少女ということを忘れてしまいそうだ」
「ええっ!?」
私ってそんなに老けて見えるの!?
正直言ってちょっとショックだった私が思わず抗議めいた声を上げると、彼は慌てたように付け加えた。
「すまない、年かさに見えると言ったのではなくて、君と話をしていると落ち着くと言ったつもりだったのだ」
まあね、中身ははんぶん同年代みたいなものですしね。そりゃあリアルJKよりは波長も合うでしょうよ……ははははは。
私は内心乾いた笑いをもらしながらも、顔には完璧なスマイルを貼り付ける。
「いえ、どうぞお気になさらず」
だがその笑顔を見て、なぜか彼は私が怒っていると受け取ったらしい。
「本当にすまん! 詫びといっては何だが、私に何か言っておきたいことはないか? 今日はお互いに無礼講としよう」
「いえそんな……あ、ありました」
私は反射的に遠慮しようとして、ふと思い立ってある提案をしてみることにした。王弟殿下ではなくスタン卿として話せる、今日がチャンスかもしれない。
「貴方がいつも着けている仮面ですが、あれ、やめてみませんか?」
「いや、それは……」
すぐさま難色を示す彼に、私は微笑んで続けた。
「まずは今日だけでも構いません。今日はこのまま騎士団の駐屯地に戻ってみて下さい。もし嫌だなと感じたら、すぐに着けてもらって大丈夫ですから」
「しかし……」
「もしかして、仮面がないと騎士団の皆さんは貴方が誰か分からないのですか?」
「いや、流石にそれはないと思うのだが……」
「では無理のない範囲でいいので、お願いします」
私がニコニコしながら言い切ると、彼は少し困ったような顔をして、それでも小さくうなずいた。
「分かった……」
実はピエヴェールに隣接して設営されているベルガエ騎士団の駐屯地には、兄に付いて視察に伺ったことがある。そこでの団員の皆さんが彼へと向ける眼差しを思い出すと、これはなんら厳しいお願いではないと私は確信していた。長年彼がその仕事ぶりで築いてきた信頼は、そう簡単に崩れるものじゃないだろう。
その時。
「おひいさま!」
向こうから息せききって駆けてきた低学年くらいの少女が、自分の身の半分以上もある丈の、大きな花束を差し出した。いや花束と呼ぶには素朴なそれは、薄紫の花と大きな葉をたくさん付けた植物がぎっしりと……細く編んだ麦わらで結わえられている。
「これ、どうぞ!」
「まあ、モーブじゃない! もう花の季節は終わったのかと思っていたわ」
「ふつうは先月くらいに終わってるんだけど、たくさんのこってるとこ見つけたの! おひいさまにもあげる」
少女は抱えていた薄紅葵の束のうち一つを掴むと、ずいっと私に差し出した。
「わ、たくさんありがとう!」
私はしゃがんで花の束を受けとると、目線を合わせて彼女の頭を撫でた。すると少女は鼻の頭にあばたの残る顔で、得意気に笑ってみせる。そしてスタン卿の方に向き直ると、残るもう一つの束を差し出した。
「はい、騎士さまにもあげる!」
「……私に?」
「うん!」
一瞬面食らったような顔をした彼は、それでも私をちらりと見てから同じようにしゃがみ込む。そして迷うことなく、地面に片膝をついた。ぎょっとする私を尻目に、殿下は花を受け取り微かに笑う。
「ありがとう……可愛らしい花だな」
まさかこの国の王族をひざまずかせているとは思いもよらないだろう少女は、ニカっと満足そうな笑みを浮かべた。
「いまの季節はちょっぴり固くなってるから、しっかりゆでてから食べてね!」
「何っ、これを食べるのか!?」
驚いたように目を見開く彼に、私は笑って付け加えた。
「モーブは食用に向いた花なのです。夜明けの香草茶ってご存知ですか?」
「ああ、確か、色が変わる香草茶だったかな」
「はい。これはその原料なのですが、お茶にせずともそのままで葉も花も食べられる香草なのですよ」
「なんと、花をそのまま食べるとは……世の中にはまだ知らぬことも多いのだな」
「へえ、騎士さまでも知らないことってあるんだね! あ、あたしまだ母ちゃんのお手伝いあるから行くね」
少女はそれだけ言うと、手を振りながら慌ただしく走り去って行く。手を振り返しつつその姿を見送ってから、殿下は膝の土埃を払って立ち上がった。
「あの子供は、いつ頃からこの村へ?」
「半年ほど前です。今は回復しまして、養父母のもとで暮らしています」
「そうか、養父母と……。屈託のない、良い笑顔だったな」
彼はそうぼそりと呟くと、私の方へと向き直る。
「私はこれまでの遠征先で、色々なものを見てきた。それは人の暗部とも言える、悲惨なものも……。だが今日は、とても実りある一日だったように思う。礼を言う」
その表情は一日で大きく変化したように見えて、私は嬉しくなって微笑んだ。
「いいえ。私も本日スタン卿と過ごせて良かったです」
その後、押し問答の末にオーヴェール城まで送ってもらった私は……素顔のまま帰路につく殿下を見送りながら、彼の今後の多幸を祈ったのだった。




