第07話 おじい様はチョロいんです
「──という感じで、実はお風呂でしたー! なんていうのはどうかしら!?」
「ちょっ、お嬢様! 冗談おっしゃらないでください! そんなことしてあの大旦那様がどんなお顔をなさるのか、想像したらお腹が……」
お腹を捩らせながら笑いをこらえるリゼットに、さらにネタを被せようと私は口を開いた。そのとき。
「フロランス! そこに誰かおるのか!?」
おじい様をネタに話に花を咲かせていた私達は、ドア外から響いてきた声にびくりと竦み上がった。
「入るぞ!」
「はっ、はい!」
子供の部屋でもちゃんと入室許可を得てから入るおじい様ってば紳士! ……なんて考える暇もなく。私は反射的に返事をして、ベッドから飛び上がるようにして立ち上がった。
目覚めてから祖父が訪ねてきたのは二度目だが、一度目はベッドの上で「良く休め」と一言声を掛けられただけである。秋冬のおじい様は部屋にこもりがちだからと、完全に油断していたようだ。
古くて隙間だらけの木製トビラに防音性なんて皆無である。若い女子二人のおしゃべり声なんて、廊下に筒抜けだっただろう。祖父からすると、てっきりまだ部屋でおとなしくしているとばかり思っていた病み上がりの娘が、廊下まで響くような声音で使用人と談笑していたのだ。これはまずい状況である。
厳めしい祖父は後ろ手にドアを閉めると、室内を確認して声を荒げた。
「今は客人などいないはずとおかしく思ったが、何を大声ではしたなく喋っておるのだ! リゼット! 身分を弁えろと言ったのを忘れたか!?」
かつてガリア随一の豪傑とも謳われた祖父は、ドンっと大きな音を立てて杖を突くと、私たちを上から睨み付けた。その体躯は老いてなお大柄で、半端でない威圧感である。
油断していたとはいえ、予定よりかなり早く見つかってしまったな。だがリゼットに責任は私が取ると宣言している以上、彼女は必ず守らなければ。私は怒りを隠そうともしない元軍人の祖父の前に立ちはだかると、勇気を振り絞るようにして口を開いた。
「おじい様、リゼットは悪くございません! もっとたくさんお話ししたいと、私がリゼットにお願いしたのです」
「我儘を言うな! 貴族が使用人とみだりに親しむべきではないと、あれほど言ったであろう!」
作戦とか色々とまだ検討中だったけど、こうなったら思いきってやるしかない。
「でも……お部屋にずっとひとりでいても、さみしいんですもの……」
そう言って、私は涙をいっぱいに湛えた瞳でおじい様を見上げた。必殺、孫のウルウル攻撃である。だがおじい様は苦々しい顔をすると、一喝した。
「泣くな!」
いつもの私であればここでビクっと肩を震わせて、無理にでも泣くのを我慢してしまっていただろう。しかし私は、あえて声を上げて泣くことを選択した。
「ふっ、ふえええ~ん!」
半分わざと、半分本気──おじい様の顔が怖すぎて──で泣きながら、私はこっそりと祖父の様子を窺った。
「誇り高きロシニョルの娘が、そんな端女のように泣くでない!」
くっくっく、計画通り。
これまでの私であればあの顔はただのしかめっ面に見えていたところだが、今の私の経験からすると、この表情は明らかにうろたえている! ここは根比べ。先に折れた方が敗けだ。
「でもっ……さみしいんですもの……」
私が大粒の涙をぼろぼろとこぼして泣き続けると、しばらく困惑したように黙っていた祖父は、とうとう観念したように吐き捨てた。
「フンっ、勝手にしろ!」
「あ……ありがとうおじいさま! 大好きですわ!」
私は一転して満面の笑みを浮かべると、五年くらいぶりに祖父に抱きついた。我ながらワンパターンだけど、必殺技とは得てしてそういうものである。
必殺技を正面から被弾した祖父は、耳まで真っ赤になりながら慌てたように一歩後ずさった。
「こらっ、離れんか! 侯爵令嬢たる者がはしたないっ!」
ここは素直に引いておくところかな。
「ごめんなさい……」
私がしゅんっとなって手を離すと、祖父は少しばかりきまりが悪そうに、立派な口髭の先をしごいた。
「……客人の目には触れぬようにな」
「はいっ!」
つまり、人前でなければ抱きついても良いということか。チョロいにもほどがあるが、これまでの私の我慢はなんだったのだろうか。
「うむ、よろしい。使用人どもとの会話も、客人の前では控えるのだぞ」
「かしこまりました」
私は満面の笑顔で左腰のスカートを持ち上げると、右手を胸に当てて腰を落とした。完璧な淑女の礼を見て、祖父のまなじりがほんのり下がる。
思った以上にあっけなかったけど、実は大事な銀杯を売ったと聞いたときから想像はついていた。やはりうちのおじい様は、孫のことが嫌いという訳ではないのだ。どう接したらいいのか分からないだけで、素直に甘えられたらひとたまりもないタイプだったのだろう。そして私もまた、本当はずっとこうして祖父に思いっきり甘えたかったのだ。
祖父の言う使用人と親しくするなということは、意地悪でも、階級意識からくる差別でもない。元はと言えば、いつも余計な口出しをしてくる某親族が何度も告げ口してから禁止するようになったのだ。
以前の私は、祖父は自分の体面を守りたいだけなのだとずっと恨みに思っていた。だが真実は、息子と嫁を喪った祖父の「せめて残されたこの子が将来恥をかくことにならないようしっかり育てなければ」という親心だったのかもしれない。
誰かに厳しく接する理由は、嫌いだからとは限らない。子供のままの私では、なかなか気づけなかったことだった。