第76話 広告の効果
「ぜんっぜん、普及しないなぁ……」
窓の外は秋晴れの涼しい昼下がり。こんなピクニック日和にも関わらず部屋で報告書とにらみ合っていた私は、そう呟いて頭を抱えた。
大量購入した除虫菊の粉から作成した蚊取り線香の効果も確認し、あとはどんどん植えてもらおうと無料配布を始めたのだが……ただ家の周りに撒いてくれるだけでいいのに、全然もらってくれないのだ。
アヴォン村やルロワ村など、村の女衆に顔見知りの多い村は少しずつ栽培を始めてくれているのだが……知らないところはサッパリである。
おにい様が言っていた信用がないとは、こういうことだったのか……。そう実感して、私はため息をついた。
その一方で、資金調達の方はとても順調だった。ダウンコートの販売は婦人用に加えこの秋冬物から紳士用もスタートし、さらに喫茶室の収益の方も、うなぎのぼりである。
両者の違いは……そう、宣伝だ。ダウンコートや喫茶室が人気を博しているのは、全てはガリア社交界きってのインフルエンサー、マリヴォンヌ大伯母さまのおかげなのである。
かといってここエルゼスの庶民には、大伯母さまの力は通じない。庶民には庶民の世界があり、独自のネットワークがあるためだ。だからその需要に合わせた広告塔が、必要になってくるのだが。
とはいえ、あまり派手なキャンペーンをやったら教会に目をつけられそうだからなぁ……ん、教会?
「そうだ、庶民に多大な影響力を持ってるといえば……教会じゃん!」
私は思わずそう口にして立ち上がると、兄の執務室へと向かった。
*****
──翌日。
「ほらこれ、昨日頼まれた、ここエルゼス教区で力を持ってる祭司の調査資料だよ」
「ありがとうございます!」
私は礼を言って資料を受け取ると、じっくりと目を通した。
残念ながらこの片田舎で流行に対する影響力を持っているのは、断然領主より教会だ。教会のオススメは絶対という敬虔な信者は、ここガリアでは田舎になるほど多い傾向にある。
さらに今後疫病対策を進めていくと、疫病が魔族の呪いであるというフィリウス教とどうしても対立しがちになるだろう。そしたら異端審問一直線。下手したら即破門だってありうるのだ。
だが地元の教会からの報告さえなければ、遠い本山まで情報が届くことはめったにない。つまり地元の偉い人さえしっかり味方につけておけば、ひとまず安心ということなのだ。
兄に渡された調査票には、二人ぶんの情報が載っていた。
【エルゼス教区担当司教】
本名、エヴァンドロ・ダ・シルヴァ。
年齢、五十七歳。
エルゼス教区にある全教会の統括を担当する司教。ピエヴェール教会の司祭を兼ねる。
過去に複数の法王を輩出している有力な枢機卿一族であるシルヴァ家の長男に生まれ、当初はフィリウス教の総本山で順調に出世を続けていた。だが三年前、その素行の不良を糾弾され失脚。紛争地帯であるエルゼス教区担当の司教として左遷された。
家族構成は、正妻とは死別。成人済みである二人の息子を本国に残している。現在はピエヴェールの司教館で、平民の妾三人と共に住んでいる。放蕩を好む人柄。
【エルゼス教区担当助祭】
本名、バレリオ・ファルケ。
年齢、四十二歳。
エルゼス教区の助祭で、エルゼスではエヴァンドロ司教に次ぐ地位を持つ。
法力を失い平民落ちしたカタロニア法国の元貴族の家系出身だが、民の救済に熱心に取り組む姿勢から、平民としては異例の出世を遂げた。教会の活動に熱心でない司教に代わり、実務の一切を取り仕切る。
独身。真面目で清廉な人柄。
「エルゼスで他の祭司の行動を抑えられる権力を持っているのは、この二人くらいだね。階級が高い司教と、実権を握る助祭なんだけど……どっちにする?」
「……司教の方ですね」
「あ、やっぱり?」
「俗物の方が御しやすいですから」
「あはは、直球だなぁ! まあ助祭は民の救済に熱心とは言っても教会ありきのことだから、いくら真剣に説明しても教義に反することに乗ってくれる可能性は低いしね」
「そうですね。対して司教の方でしたら袖の下でなんとかなるのではと思いますが、いかがでしょうか」
「いけると思うよ。ただけっこうな名家の出みたいだからね……生半可な額じゃ済まないことは、覚悟しといた方がいい」
「そうですね……」
単純に賄賂を贈ると言ってもどんどん要求がエスカレートしてくる可能性があるし、それを上回るお金を他から積まれたら、簡単に裏切られるだろう。お金なんかよりも魅力のある、他にはないものを提案できればいいんだけれど。
「とりあえず司教のご趣味などを詳しく知りたいので、晩餐にでもお招きできないでしょうか?」
「じゃあもうすぐ当主が代替わりする予定だからとご挨拶を兼ねて招待できないか、おじい様に頼んでみるよ」
「お願いします!」




