第74話 蚊取り線香、それは夏の風物詩
アヴォン村で採取した標本から、感染グループとそうでないグループの違いを比較。そうしてマラリア原虫らしき異物の確認に成功して、私は対策を一歩先に進めることにした。
とはいえまだ蚊が媒介するという証明まではできていないので、領の予算を動かせるほどではない。だが私がヴァランタン商会にプールしている資金を、積極的に投入しようという決め手にはなった。
しかしこの世界でできることは、ごくわずかに限られている。考えられるのは予防と治療だが、まず予防について。
一回の感染でしっかりとした免疫ができないマラリアのワクチンは、現代の地球ですらようやくそれっぽいものが出始めたという段階だ。ならば感染経路を断つのがシンプルだが有効な手段で、やはり蚊の駆除を徹底するしかないだろう。
次に治療薬については……実は入手できる可能性が無くはない。マラリアの古典的な特効薬といえばキニーネだが、これは現代では有効成分を単離した物が利用されている。しかしこのキニーネ、素材であるキナノキの樹皮を煎じて飲む、つまり普通に薬草的な使い方をするだけでも、十分効果を発揮するのだ。
ただ一つ問題があるとすれば、その生息地である。キナノキが発見されたのはアンデス山脈……つまり南米だ。普通の人間の交易ルートでは、手に入れることはまず無理だろう。
だがアンデス原産といえば、ジャガイモだ。つまりジャガイモを実用化している魔族は、キナノキも入手できる可能性が高いということなのだが──魔族の統治時代からエルゼスに住んでいるミアのおばあちゃんが知らなかったから、少なくともジャガイモほどは普及していないのだろうか。
とはいえ魔族の協力を得ることができれば、キニーネ入手は絶望的な話では無さそうだ。ただ現在の国際情勢では、魔族と対話する方が絶望的な話なのかもしれないんだけど……。
そんなことを考えながら、報告書の整理をしていると。リゼットからいつもの商人の来訪を告げられて、私は階下へと向かった。
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「頼んでいたものは見つかったかしら?」
「もちろんでございます。まず、こちらをご覧下さい」
ヴァランタンがそう言って顔を向けると、部屋の隅に控えていた従者が二つの鉢植えを持って進み出た。その鉢植えにはそれぞれ、ひしめくように花が植わっている。
そのまま手元に置かれた鉢植えのうち一つを指し示すと、彼は説明を始めた。
「こちらはタンジーという薬草です。煎じて飲めば、寄生虫の駆除になると言われています。香りをハエなどの虫が嫌うので、窓辺に植えることが多いようです。乾燥させて絨毯の下に敷くなど、ノミやダニの駆除にも使用されています」
タンジーは黄色いくるみボタンのような可愛いお花だったが、顔を近付けるまでもなく、ショウノウのような香りが強烈に漂ってくる。これは確かに、虫除けに効きそうだ。
「次にこちらが、ピレスラムです。乾燥させたものをそのまま吊るして虫除けに使ったり、粉末にしてノミ取り粉として使用されます」
ピレスラムは白く細長い花びらの中央に黄色くフカフカの花芯がある、素朴だが可憐な花だ。ってこの菊っぽい花に細長い茎……ミヤコの実家の花壇で見たことがある。蚊取り線香の原料にもなる除虫菊に、見た目も香りもそっくりだ!
それに、粉末にしたものがノミとり粉になるという利用法も、あちらで聞いたものと一致している。その粉を燃やしたら蚊除けになると発見したことから始まったのが、日本の夏でおなじみの蚊取り線香らしい──そう、ミヤコの母が言っていたことを、私は思い出した。
そういや合成物質が出回るまで日本中でさかんに栽培されていたけど、原産地は日本じゃないんだったっけ。
植えておくだけというタンジーも魅力的だが、もしピレスラムから蚊取り線香を作り出せたらバッチリだ。最悪勘違いだったとしても、ノミ取り粉として使えば無駄にはならないだろう。
ノミといえば、あの悪名高いペストのキャリアだ。いずれあるかもしれないペストの大流行に備えて、ノミの駆除もやっておいて損はない。
「これらの花、栽培難度はどれくらいかしら?」
「どちらも簡単な部類です。種を撒いてやるだけで、雑草のごとく生育します。さらにエルゼスのような寒い地域でも育つ、強い品種となっております」
「なるほど……今回、種はどのくらい持ってきているの?」
「ひと袋三モディウス入りで、共に五袋ずつご用意しました」
「それ、全て頂くわ。あとピレスラムの方はもっと欲しいから、近隣に在庫があれば全て持ってきてもらえる? あとピレスラムから作ったノミ取り粉もあれば、在庫の総量を教えてちょうだい。できるだけ買い取るから」
「かしこまりました。が、急に防虫効果のある薬草を大量にご所望など……どうかなさったのですか?」
「それは、ええと……虫が嫌いだからよ」
「まさかフロランス様に限って、その程度の理由ではないでしょう」
「ちょっとそれ、どういう意味よ」
繊細ぶるなと言われた気がして、私はギィにじと目で返す。すると彼は困ったように笑って、すぐさま謝罪を口にした。
「お気に障ったようでしたら申し訳ございません。ただ貴女様はそのように個人的な理由で散財なさるお方ではないと、存じ上げておりますゆえ」
「……まあ、誰にだって苦手なものくらいあるわよ」
実はこれ、言い訳のための方便ではない。マラリア原虫らしき姿を確認したその時から、『蚊』はまぎれもなく……親の仇なのだ。
「では、その件はよろしくね」
「かしこまりました。追加分も早急に持ってこさせるよう手配致しましょう」
さて、除虫菊を植えて育つまでには少し時間がかかるから、他にやっておくことといえば……。貴族が使う天蓋つきベッドを、どうリーズナブルに改造して庶民にまで普及させるかの検討かな。
あの天蓋ってやつ、ずっとただの貴族的オシャレアイテムだと思っていたのだが……要は蚊帳としての役目も持っていたのだ。それを知ってからは、どんなに暑くても蚊の飛ぶ季節は毎日レースを下ろして眠るようになった。もう二度とあんな苦しい思いをしたくはないもんね……。
最終的な目標としては、ルウィン川の治水──つまり沼地や湿地を整備して蚊の一大発生源自体を潰すことなんだけど……領の工事予算を動かすには、もう少しおにい様や領民たちの信用が必要だろう。
──そのためにも、まずは出来ることから少しずつ実績を積んでいこう。
私はそう再確認すると、ピレスラムの花をそっと撫でた。




