第62話 溶解法で塩作り
「これは領主さまのお姫さま! わしがこのアヴォン村の長で、エンゾと申します」
帽子を取って頭を下げる男に、私はあえて座ったまま小さくうなずいて、名乗りを返した。
「わたくしはロシニョル家のフロランスよ。エンゾ、馳走になっているわ」
親より年上のおじさん相手に偉そうにするのはどうにも気が引けるけど、領主の権威を保つためにはこれくらいやらなきゃダメらしい。最初は内心びくびくだったが、ようやく少し慣れてきたところだ。
「もったいのうお言葉にございます! 村の子供らをお救いくだすったとのことですが、実はここ数日、あのならず者どもは村の様子をうかがっとるようでして……警戒しとったところです。被害が出る前に食い止めて頂きまして、本当に有難てぇことでございます!」
「間に合って良かったわ」
「このお礼は、後日必ずや……」
「いいえ、領民を守るのは我々の義務だもの。あ、でも……少し村のことについて聞きたいのだけれど、いいかしら?」
「ええ、何なりと」
「では単刀直入に聞くけれど、この村では塩はどのように入手しているの?」
内陸部の中でもかなり海から遠い場所に位置しているここエルゼスでは、塩の入手は交易に頼らざるをえない状況だ。それも海沿いの街から運河を通じてどんどん船で輸送できるタイプの街とは違い、ここエルゼスに貨物船が運航できるクラスの河川は、下流が魔族の支配域にあたるルウィン川しかないのである。
そのため輸送にコストのかかる陸路で運ばれた塩は、どうしても高価になりがちだ。そのため希望する村には塩購入の補助金を出しているのだが、なんと先住民の村には補助を申請した記録がない。以前それに気付いてから、ずっと気になっていたのである。
「塩でしたら、岩塩を使うとります」
「岩塩ですって!?」
村長の言葉を聞いて、私は思わず声を上げた。確かに領内のあちこちで岩塩は産出するが、人間が食べられるような純度のものではなかったはずだ。移民の村でも家畜に舐めさせるために置かれているのは見かけたことがあるのだが……。
「私が知っているのは純度の低いものなのだけど……人が食べられるような物が出る場所があるの!?」
「いいえ、そのままでは食べられません」
「では、どのように……」
「岩塩の鉱脈を大きゅう割りまして、そこに水を通します。水車を使うて何度も何度も同じ水を通しとりますと、やがて濃い塩水になりまして。それを天日で干してやりますと、食べられる塩になるというわけです」
「それは……溶解法じゃない!」
「へえ、わしらはその名は存じとりませなんだが、さすが領主さまのお姫さま、ようご存知で」
「以前、異国の本でちょっとね……盲点だったわ」
私は半笑いで誤魔化してから、顎に手をあてた。そういえば現代日本で売られている岩塩は、この溶解法で作られている物が結構多いとお店の人に聞いたことがある。ヒマラヤのピンク岩塩のように、そのまま食べられるものの方がレアなのだ。
現代技術のなせる技かと思っていたら、まさかここエルゼスですでに実用化されていたなんて……。
もし完全に塩を自前で用意できるようになれば、代金として支払われている小麦の流出をかなり抑えることができるはずだ。芋といい塩といい、これは想定以上に大きな収穫だろう。
私はごくりと唾を飲み込むと、意を決して口を開いた。
「貴方達にとって、それがどれほど大切なものなのかは、分かってる。それでも、お願いしたいことがあるの。……貴方達が行っている製塩法を教えて。そしてこの種芋を、移民の村にも分けてもらえないかしら。もちろん対価は十分に用意させてもらうわ」
私は椅子から立ち上がると、深く頭を下げた。
「どうか……お願いします」
「なっ……」
驚愕の表情を浮かべて、その場にいた村人達が凍り付く。だがその静寂を破るように音をたてて立ち上がり、ガエタンが叫んだ。
「姫様! 姫様が平民に頭など下げないで下さい!」
「でもガエタン! そんなことを言っている場合ではないでしょ!? ここ数年の凶作で、移民の村がどれだけ被害を受けているか、貴方も分かっているでしょう!」
「しかし貴女は、我らが主、ロシニョル家の姫君にあらせられるのです! 領民に頭を下げるなど、あってはなりません!」
「それは……」
ガエタンの言い分も、痛切なほどによく分かる。支配者階級の威厳とは、それほどに大事なものなのだ。主家の姫が頭を下げるなど、臣下である彼にとっても屈辱に他ならないのだろう。
しかし種芋が農家にとってどれほど大切なものかを考えると、ここは私が頭を下げなければ──
だがガエタンは、そこで思いもよらない行動に出た。私と村長の間に分け入ったかと思うと……低く頭を下げたのである。
「どうかその芋とやらを、我らにお分け下さい。お願い申します!」
「ガエタン! あなた……」
「この芋とやらを分けて頂き助かるのは、姫様ではなく我ら開拓の民です。ならば姫様ではなく、頭を下げるべきは我らです」
彼はこちらを向いて珍しく少しだけ微笑んだあと、すぐに村人へ向き直り、再び頭を下げた。
「何卒、お願い申し上げます。我等をお救い下さい!」
「こ、これは騎士さま、どうぞ頭をお上げ下さい! ……かつてわしらの祖先は、逃げるあても無うまま魔族のものとなったこの地に取り残され……やがて餓えにおそわれました。そのとき当時の領主だった魔人から与えられたのが、この芋だったそうです」
「そう、魔人の領主が……」
「はい。しかしこのエルゼスが、再び人族のものとなったとき……背信者たるわしらを教会の粛清から守り、入信をとりなし、農地を取り上げることもなく……しかも平等な領民とまで言って下すったのは、他ならぬロシニョル家のお館さま、そして今は亡き大奥さまでございます。わしらエルゼスの民は、みな心よりご恩を感じておるのです」
村長はそう言って、こちらも深く頭を下げた。
「今こそ、そのご恩を返すときでしょう。お望みとあらば種芋を提供することに、異論があろうはずもございません」
「ありがとう、村長。私に決定権はないから戻って会議に諮ってからとなるけれど、すぐに正式な使者を立てることになると思うわ」
「はい。他の先住民の村にも連絡しまして、なるだけの種芋を集めましょう。製塩についても、いつでもお教え致します」
「ありがとう。でもどうか無理はしないで。種芋はこちらで増やしてゆくから、自分たちに必要な分はしっかり確保しておくようにね」
私はさらに詳細を煮詰めてから、ようやく席を立った。さすがにそろそろ帰らないと兄を心配させてしまうだろう。
スマホの便利さを懐かしく感じながら村長の家を出ると、カミルとミアが祖母に連れられて立っていた。私はミアにまた遊びに来ると約束してから、城への帰途についたのだった。




