第05話 のーぱんつ・のーらいふ
髪もすっかり乾いたので、私は新しい服に着替えようとバスローブに手をかけた。本来上級貴族の子女は服一枚脱ぐのすら侍女にやらせるのだが、人手不足の我が家では、半分くらいは手伝うのが暗黙の了解となっている。
バスローブを脱ぐと、下は素っ裸である。脱いだものを傍らの椅子に引っ掛けると、リゼットが膝下まであるキャミソールのような下着を差し出した。手を頭上に上げると、ずぼっと下着を被せられる。もぞもぞと穴から首、そして両手を出すと、まるで幼児に戻ったような気分だ。
だが大変なのは、これからだ。下穿きとして足首まである六段フリルのペチコートを穿き、さらにその上に亜麻布のワンピースを被る。首から腰までの背中を二本のリボンで互い違いに編み上げると、端をちょうちょ結びにしたら着替えの完了である。
……子どもじゃなくても一人で着られる気がしない。貧乏なのに普段着でこれなのだから、貴族は大変だ。
さて、お気づきだろうか。ここまでお風呂上りから普段着に着替えるまでを実況してきた訳だが、ある工程がないことを。意図的に省いたわけではない。そう、パンツがないのである。
パンツがないと言っても、女子がズボンを穿く文化がないという意味ではない。まさかの、のーぱんつ。つまりショーツが存在しないのである!
なぜ今まであまり違和感なく過ごしていたのかというと、布オムツをつけていたからだ。だが病人用の寝巻から平服に着替えるとともに、オムツがなくなった今。スカートの下に何もないのが、これほどまでに心許ないとは……!
こんなことなら、まだ布オムツでも巻いてた方がマシである。フロルとしての今までの人生で平気だったのが、信じられないくらいだ。
とはいえ日本人にとっても、実はショーツの歴史はかなり浅い。明治までの日本人が着物の下に穿いていたのはお腰という巻スカートだけで、今穿いているペチコートと仕組みは同じだ。そういや西洋でも捲れやすい骨入りふんわりスカートが流行しドロワーズ着用が普及する十八世紀頃までは、穿いてないのが普通だったらしい。
そりゃあ嫌でもめくれないよう足首まで長いスカートしか穿けない訳である。しかし一度穿き慣れた記憶があると、スカートの下がペチコートだけではなんとも心許なく、落ち着かないのだ。
他に用事があるリゼットを見送ってから、私は衣裳部屋を漁った。お目当ては小さくて着られなくなったワンピースと、裁縫道具である。
自室に戻り椅子に腰かけると、チマチマと手縫いの糸を解き布地に戻していく。貴族だが貧乏なうちにとって、新しい布地はかなりの高級品だ。それにデリケートな部分を被う下着には、何度も洗濯されて繊維が柔らかくなっているくらいがちょうど良いのである。
充分な生地と、布をほぐして撚り直した糸を用意して、そこで私ははたと気付いた。
ゴム紐ないじゃん!
それに布地のストレッチ性なんて皆無だし、家庭科レベルの裁縫技術では思ったようなものがなかなかできず。考えあぐねた結果、長さ一メートル幅三十センチほどの細い長方形の布の一端に、真ん中で垂直──つまりT字になるようにリボンを縫い付けた。
「できた!」
私はたっぷりのスカートをなんとか腰までたくし上げると、さっきの布地のリボンを縫い付けた側を腰に当てた。リボンの両端をウエストに回しおヘソのあたりで結んだら、股下から布地を前に持ってきて、布地をリボンに挟み込む。余った布地をきれいに広げて前に垂らしたら、医療用の下着、T字帯の完成だ!
うん、これはあくまでT字帯です。
間違っても越中ナントカではないです。
そこ重要です。
例えペラ布一枚でも、あるとないとでは安心感が段違いである。
「よしっ、いい感じ!」
私はスカートを整え鏡の前でくるりと一回りすると、満足そうに微笑んだのだった。




