第53話 親友との再会
「アルベール!」
「アンリ……久しぶりだね」
兄は何故か、先ほどのイヴォンに対するときより少しぎこちなく、アンリに向かって笑いかけた。現代日本風に言えばまさしくリアルが充実しているアンリは、華やかな黄金の髪を持つ文武両道の社交家である。実は彼は兄の幼馴染で、四年前までは親友とも呼べる間柄だった。
葡萄酒の一大産地であるボルゴーニュ領の総領息子である彼とは、父親同士の仲が良かった縁で知り合った。父に連れられて私的な交流を繰り返すうちに、歳の近い息子同士も自然と仲良くなったのである。
その後兄より一年早く社交界にデビューした彼は、そこを人脈や知見を広げられるとても楽しい世界だと語った。兄はそんな彼の話からまだ見ぬ社交界に夢を膨らませ……そして期待は裏切られたのである。
「フロルもまだまだ小さいと思っていたのに、少し見ない間に美しくなったね。見違えたよ」
そうさらりと口にして、彼は屈託のない笑顔を向けた。
「アンリ様、ご無沙汰しております」
何故かまだ緊張を解かない兄の様子が気になりつつも、私はそっと腕を離して……ひとまず無難な挨拶を交わすことにした。
侯爵家嫡男という権力に、豊かな領地のもたらす財力、そして凛々しく整った容姿まで持ったアンリは、まさに無敵の人生だろう。これだけ揃った上に快活で性格も良いというのだから、神様の不公平を感じてしまうというものだ。
そんな彼は、病気療養を理由に領地に引きこもった兄を三度ほど訪ねて来てくれた。だが全く顔を見せない兄に不機嫌な祖父、そしてまだ幼い私……歓迎する者のいない僻地の城へ、その後彼が訪ねて来ることはなかった。
おにい様が緊張しているのは、そんな親友に嫌われてしまっているかもしれないという、恐れのせいだろうか?
「しかし体調が良くなったようで安心したよ。なかなか会うことがかなわなくて、父も僕も心配していたんだ」
「心配かけてごめん。もうかなり良くなったから、これから社交界の方にも少しずつ顔を出して行こうと思うんだ。これからよろしく頼む」
「ああ、こちらこそ!」
私の心配とは裏腹に、和やかに談笑は続いた。数年会っていなかったというのに、二人の会話は近況報告から領地経営の話題にまで及び、かなり盛り上がっているようである。アンリのコミュ力の高さのおかげもありそうだが、やはり元々親友なだけあって、気は合うのかもしれない。
安心した半面ちょっぴり手持ち無沙汰になって、私は改めて周囲に注意を向けた。そしてアンリの一歩後ろにひっそりと立っている、小柄な少女の存在を思い出した。
彼女はさっき兄達と共に挨拶を交わした、アンリの妹である。私よりひとつ歳上だという彼女は、紹介を受けて一瞬眉をひそめたかと思うと、ぎこちなく笑って定型の挨拶を済ませ、すぐに視線を下に落とした。ぼそぼそと型通りに名乗った名前は、確かオレリアさんと言っただろうか。
つり目がちの瞳と徐々に上がりゆく眉尻は兄によく似ていて、意思の強そうな眼差しを象っている。きつく巻かれた蜂蜜色の髪は優雅に結い上げられ、華奢だが存在感のある美少女だ。だが彼女は誰とも目を合わせないように、ぼんやりと誰もいないあたりの床を見つめていた。
先ほどの、お世辞にも愛想が良いとは言い難い挨拶のあと。
「こら、オレリア! ……すまない、誤解を受けやすいんだが、妹はとても内気なんだ。気を悪くしないでやってくれないか?」
「すみません……」
兄の苦言に彼女は小声で謝ったが、その視線は床に落とされたままだった。
兄のことで気を張っていたその時は、私達と関わることを嫌ったゆえの態度かと警戒していたのだが。この感じ……前世に心当たりがあるような。
しばし記憶を探っていると、やがて前世の友人の姿を思い出した。そうだ、あの眉のひそめ方は……おそらく近視である。そういやおにい様が、女性は正式な場では眼鏡をかけられないと言ってたっけ。自分ではなかなか気付けないけれど、焦点を合わせようと目を凝らしている時、実は結構困った顔になってしまうのだ。
テレビやスマホのないこの世界では、近視になる理由の断トツの一位は夜中まで薄暗く揺れる炎を頼りに読書を続けることである。一人ぼっちで暇だったフロルもなかなかの読書量だったが、もしかしたらオレリア嬢も本が好きなのかもしれない。
ミヤコの記憶のせいで同年代で気の合う友人ができるか不安だったが、本音を言うとずっと友達が欲しかったのだ。これはチャンスかもしれない。
ああでも、さっきの顔はやっぱり嫌がられてるのかな? 目が悪いイコール読書家だなんて、飛躍しすぎている気もするし。
でもこのあえて誰とも目が合わないようにしている感じは、眼鏡かけてないときに知り合いと会ったのに気付かなくて、後で無視したって言われないよう目線を外している……あの感じなのではないだろうか。
それにアンリの言う「とても内気」という表現が、フォローのための言い訳ではなく本当のことなのだとしたら。
ああ、悶々と考えているだけではダメだ! せっかく気の合う友達ができるかもしれないチャンスなのに、当たって砕けても失うものなんて無いじゃない。兄達の話が終わる前に、なんとかして声を掛けなければ!
「あっ、あの、オレリア様!」
「えっ、わたくし!? ……でしょうか」
「ご趣味は!?」
何言ってるんだ、私は!
顔を上げた彼女に咄嗟に変なことを口走って、私は内心盛大に頭を抱えた。そういやフロルもミヤコも、言うほどコミュ力が高い方ではない。肝心のオレリア嬢はというと、ポカンと面食らったような顔のまま固まっている。
「どっ、読書、です……」
ややあって、オレリア嬢は小さい声で答えてくれた。
ビンゴおお!
やっぱり勇気を出してみてよかった!
私は心の中だけで、盛大にガッツポーズをとった。
「あの、私も読書が好きなのです。オレリア様はどんな種類の本を読まれるのですか?」
これ以上引かれないように、私は努めて平静を装い、笑みを見せる。
「あ……わりと文字であれば何でも良いんですけど。けど……お恥ずかしいのですが、強いて言うなら最近少し流行り始めた、恋愛ものが……」
そう言うと、彼女は顔を赤らめて恥ずかしそうに俯いた。
「恋愛もの、私もとっても興味がありますの! でも家に物語の本は戦記ものくらいしかなくて……。オレリア様のお薦めを伺ってもよろしいでしょうか?」
「わたくしでよろしければ……あの、フロランス様……いつ頃まで王都に滞在なさいますか?」
「少し短めですけれど、冬が終わるまではこちらに滞在する予定ですわ」
「それでしたら……あの……」
オレリア嬢は胸元でぎゅっと両手を握ると、意を決したように顔を上げた。
「お薦めの本をぜひお貸ししたいのですが、当家の邸にご招待させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ぜひ! ……その、嬉しいです」
オレリア嬢と私が、お互いに照れながら笑い合っていると。
「ああ、そっちもすっかり仲良くなったようだね。オレリアの兄として、僕からも礼を言うよ」
話を終えたらしい兄たちが、こちらの会話に加わった。
「そんな、お礼なんて。わたくしの社交界で初めてのお友達になって下さったオレリア様には、感謝しかございませんわ」
私が「友達」という単語を口にした瞬間、オレリア嬢の顔が朱に染まった。一瞬怒らせてしまったかと慌てたが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「仲良くなったところで、そろそろ僕たちも一曲ぐらい踊ろうか。……一曲お相手願えますか? 我が令嬢」
突然アンリに手を差し出されて、私は思わず伺うように兄を見上げる。すると兄は優しく微笑んで、小さく頷いた。
「行っておいで」




