第40話 おにい様改造計画(1)
ジャン=ルイとの婚約の件でお兄さまを巻き込まないと決めた私は、ここ数日を城の保管庫で過ごしていた。過去五年分の領地の会計資料を漁り、問題点がないかを探すためだ。
私は小学生の頃の記憶を頼りに廃材でそれっぽく自作した算盤を机に置くと、凝り固まった首を回した。正直なところ単純な加減算くらいしか使い方を覚えていなかったが、何百何千とある明細をひたすら足したり引いたりするには、算盤があるとないとじゃ大違いである。
ううむ、失策と言えそうな部分はたくさんあるんだけど……失敗は誰にでもあるものだから、糾弾できるほどのパンチ力はない。王都での滞在中は派手な生活を送っているらしい彼のことだ、実家の仕送りや代官の俸給だけでは足らず、横領でもしでかしてくれてるんじゃないかと期待していたのだけど。
「ちょっとくらい調べたところで、そうそう使える弱点なんて見つかるわけないか……」
行き詰まったところで、そろそろお昼の鐘が鳴る頃合いだ。今日こそはおにい様を昼食に誘ってみよう。
私は腕を上げてひとつ伸びをすると、保管庫を後にした。
*****
私は廊下の真ん中を歩きながら、どこかソワソワとして振り返った。私の背後に少しだけ離れて付き従っているのは、リゼットとセルジュの両名である。二人はそれぞれ、昼食を乗せたお盆をその手に持っていた。
私はおにい様の部屋の前に立つと、扉を叩いた。
「おにい様、ご昼食をお持ちしましたわ」
扉がいつ開いても良いように、私は一歩下がった。今からお昼をご一緒したいとは、あらかじめセルジュに伝えてもらっている。間もなく重い音を立てて扉が開くと、相変わらず猫背の兄が顔をのぞかせた。
「どうぞ……」
許可をもらって入室すると、中は先日と比べて随分と片付いている印象だった。本が山のように積みあがっているのは相変わらずだけど、隅にまとめて綺麗に積み直されている。
私達は向かい合ってテーブルにつくと、昼食のキッシュを摘まんだ。今日のキッシュは炒め玉ねぎの他に細切りの塩蔵肉も入っている、ロートリンジュ風である。
そういえばこの高脚のテーブル用の椅子は、先日は確か一つしかなかったはずだ。それをさっそく二つに増やしてくれている兄の姿を想像して、私は思わず口元を綻ばせた。
このテーブルの上に先日まで陣取っていた囲棋盤は、ローテーブルの方に移動されている。だがそこに肝心なものが欠けていることに気が付いて、私は口を開いた。
「おにい様、あれは囲棋盤ですよね? でも肝心の駒が見当たらないようですが……」
駒がなければ、対戦はおろか一人でできる詰囲棋すらできないではないか。不思議そうな私に、だが兄は余裕の笑みである。
「大丈夫。駒なやあゆんだ」
彼が囲棋盤の方にちらりと視線をやると、途端に木製の盤の上に、無数の小さな炎が燃え上がった。赤と青の二色の炎は、まるで駒のように陣形を描いている。
「炎の駒!?」
「うん。赤い方がぼくの駒なんだけど、今は向こうの考え待ち」
「向こう? 対戦相手がいるのですか!?」
「実はどこの誰かは、いや相手が人間であゆかも定かではないんだけどね。書庫で見つけたときにはもうこの術式が刻まれてたんだ」
「そんな、遠隔で炎を操作するなんて……想像もできませんわ」
「僕も最初はそうだったんだけど、便利だかや他にも応用できないかと思って研究中だよ」
「それは実現出来たら、常識がひっくり返るかもしれませんわ!」
「うん。とはいっても、まだまだ実験段階なんだけど」
そう言って兄は、ぼさぼさの頭をポリポリ掻いた。背中まで伸びた長髪は、無造作に一つに括られただけである。うーん……もうちょっと様子を見てからと思ってたんだけど──
「ねぇおにい様、突然ですがロマーニア式の浴室を復活させましたの。湯浴みなさいます?」
しまった、ちょっと直球すぎたかな……と考える暇もなく、兄は前のめりで声を上げた。
「ゆ、湯浴みだって!? すすすぐに入れうの!?」
おにい様って、こんなにお風呂好きだったかしら!? あまりの食いつきように、私は軽くのけぞりながら答えた。
「え、ええ、お望みならばすぐに準備致しますわ」




