第34話 不可能の色(2)
ややあって彼は目を上げると、こちらの瞳を見据えて口を開いた。
「確かに、とても魅力的な発想です。しかしお嬢様は甘くていらっしゃる」
彼はそこでやれやれとでも言うように首を振ると、言葉を続けた。
「発想に専売権は認められません。私はこの場ではお断りし、今日見てきたことを当家の職人に伝える……それだけでよいのです」
「そうね、それは承知しているわ。そこで提案したいのは、この発想を実現するための道具よ。その道具があれば、私のような素人でも柔らかい素材に簡単に精巧な細工を施せるようになる、と言ったら?」
「ほう……そのような道具があるのなら、専売権は発生するでしょうね」
「その道具、細工に使えるのはメレンゲだけではないの。今まで頂いてきた貴方の菓子舗の商品たちだけれど、この道具で見映えの改善が見込めるものは多いわよ」
「なるほど、汎用性もある、と」
「その通り」
実はこの国には、まだ現代のようなホイップクリームはない。クリームという存在はあるのだが、固くホイップできるほどまで乳脂肪分の割合が高くないためだ。だがメレンゲや生クリーム以外にも、生地の絞り出しでデザインを工夫できるものは多いのである。
「そちらの道具について、専売権の売却をお望みですか?」
「ええ。できれば活用方法の助言を含めて、色を付けたお値段にして頂きたいわね」
「なるほど……検討致します。ではもうひとつ、青いバラの件につきまして」
「その前に、次の商品を見てもらいたいのだけれど」
私が再び背後のリゼットに合図を送ると、ふたつのガラス瓶と薄く小さくスライスしたパンを乗せた小皿が、眼前のテーブルに並べられた。
「これは新しくエルゼス地方の地場産業として売り出そうと思っているのだけれど、ヴァランタン商会に仲買を引き受けてもらえないかと思っているの」
私はビンのうちひとつの栓を抜くと、中身をひと匙すくってパンに乗せた。透き通ったルビーピンクのジェルは艶めいて、午前中の柔らかな陽光をキラキラと反射している。
「これは、大変透明感もあり色鮮やかな……コンフィチュールでございますか?」
コンフィチュールとは、この国の言葉でジャムという意味である。私はひとつ頷くと、小皿を差し出した。
「ええ。どうぞ、味見なさって」
ギィは小さなパンを手に取ると、まず陽の光に透かして目を細めた。次に口に含んでゆっくりと味わい、そして呟く。
「この鮮やかな色味と風味は、もしや……」
「薄紅葵よ」
「まさか! 果実以外でコンフィチュールを作ることは弊商会でも検討しておりましたが、難航しているはず」
驚きの声を上げる彼に満足しながら、私はもう一つの瓶を差し出した。
「こちらは薔薇の花びらで作ったものよ。これらは香草茶用に乾燥させたものから作っているけれど、生花でも可能だし食用であれば花の種類も問わないわ」
「ほう……つまりロシニョル様は、果実ではなく花からコンフィチュールを作り出す秘伝を持っていらっしゃる、と」
「そうね」
言いながら私はもうひとつのビンの中身を掬うと、白湯の入ったティーカップに落とした。くるくるとかき混ぜるようにジャムを溶かすと、淡いピンクの湯の中で透明の花びらがくるくると舞っている。
「パンに塗って食べるだけでなくて、こうしてお茶に戻して飲んでも良いし、焼菓子に添えても華やぐと思うわ。ヴァランタン商会で取り扱う品として、不足はないと思うのだけれど」
「もちろんでございます。こちら、専売権を当商会にご売却頂けるということでしたら、お代の方、最大限に努力させて頂きます」
「いいえ、花のコンフィチュールについては、専売権の売却ではなく製品を卸す契約でお願いするわ。その代わりと言ってはなんだけど、ヴァランタン商会には優先的に卸すようにさせて頂くわ」
今のエルゼス地方は、かつてないほどの不景気だ。いずれは失業対策用の産業として、軌道に乗せられたらいくらかの雇用が確保できるかもしれない。最初は焼け石に水程度かもしれないが、何事も地道が大切だ。
「なるほど……では、こちらは製造方法を公開する気はない、と」
「そうね」
「弊商会と致しましては、多少の金額を出してでも、専売権の売却を希望したいのですが」
「残念だけど、長い目で見てエルゼスの利益になりそうな方を選ぶわ」
「どうしても?」
「ええ、どうしても。その代わり青いバラの秘伝と専売権は売却してもよろしくてよ。それら2点の専売権とコンフィチュールの販売権を合わせると、概算でいいからおいくらくらいになりそうかしら?」
「そうですね……難しいですが」
彼は少し口ごもったあと、慎重に数字の範囲を示した。
「このくらいでしょうか」




