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第33話 不可能の色(1)

 ──決戦の朝。

 リゼットに念入りに装いを整えてもらうと、私は大伯母さまから貰った化粧道具を開いた。


 入っているのは円筒形のケースに入った白粉と、二枚貝のコンパクトに塗り付けられた紅である。この国の最高級の白粉は、鉛白という鉛から作られたものが主流だ。鉛中毒が怖くてまだ手を出していなかったのだが、今日だけは特別である。


 ほんの少しの白粉に蜜蝋を加えて練り、うっすらと見えるそばかすにトントンと指で叩くように乗せてゆく。全顔にのっぺり塗らずとも、ベースメイクはこれで充分だろう。


 私はごく細い鉄の棒を点火(イグニオ)の呪文で温めると、長いが伏し目がちに見える睫毛の根本に当てた。ホットビューラーの要領で上向きにしっかりカールをつけると、ゆるく溶かした蜜蝋(ワックス)を薄く塗って固定する。


 意思の強そうな目元ができたら、最後は口紅である。リゼットは鮮やかな紅を水筆で溶くと、私の薄桃色の唇に乗せた。不自然ではない程度に、だがはっきりと。


「よし!」


 私はひとつ気合いを入れると、応接室へと向かった。



 *****



「これはフロランス様、御自らのお出迎え恐悦に存じます。本日はまた一段と艶やかなお姿で……眼福の極みにございます」


 気合いの入ったメイクと笑顔で出迎えた私に、悪巧みの成功を予感したのだろう。機嫌良さげに御世辞を並べ立てるギィに、だが私は完璧な笑顔を貼り付けたまま、ぴしゃりと言い放った。


「おじい様はお会いになりませんわ」


「しかし確かに、お約束頂きまして御座います」


 困ったように片眉を上げるギィに、私は硬直した笑みで告げた。


「おじい様より許可は頂いているわ。わたくしが代理でお話ししますから、応接室へいらして?」



 *****



 ヴァランタンと真向いに座ると、私はリゼットに声をかけた。


「あれを持って来て頂戴」


 リゼットから一輪のバラを受け取ると、私はそのままヴァランタンの眼前に差し出した。


「こちら、お返しするわ」


「これは……青いバラ!? しかもこの感触、造花とは思えない……だが、まさか!」


 受け取った切り花を調べながら驚愕の表情を浮かべる商人に、私は静かに問いかけた。


「青いバラの花言葉はご存じ?」


「生憎と……(いや)しい身分の私めには分かりかねます」


「青いバラの花言葉は……不可能よ」


 その言葉を聞いた瞬間、ギィは見開かれていた目を細めると、複雑そうな笑みを浮かべた。


「なるほど……それが貴女様(あなたさま)のお返事ということでしょうか。しかし」


 何かを言いかける彼の言葉をさえぎるように、私は口を開いた。ここからが本当の勝負である。


「単刀直入に言うわ。借用書を明細にまとめたものを持って来ているのでしょう? それを見せて頂戴」


「ご婦人方がご覧になって面白いものではございませんよ」


「あら、貴族にとって家計の管理は夫人の仕事よ。まさか、商人の妻は家計を知らなくても務まるのかしら?」


「……これは一本取られましたね。どうぞご覧下さい」


「ありがとう」


 手渡された明細に、ざっと目を通す。


「これは……」


 思わず言葉が漏れて、私は慌てて口をつぐんだ。そこに羅列されていた現実は、想像よりもはるかに厳しいものだったからである。ヴァランタン商会からの借金はロシニョル家の私財だけでなく、ここ数年で膨れ上がったエルゼス侯爵領の負債にまで及んでいたのだ。


 とてもじゃないが先日と同額程度の専売権を数本売ったくらいでは、完済できる金額じゃない。いくら高位法術師の血筋目当てとはいえ、たった一人の女を(めと)るためだけにこの金額を帳消しにできるだなんて……ヴァランタンの財力恐るべし。


 さて完済が難しいことは判ったが、だからといって諦めるのは早計だ。未来のさらなる利益を想像できるように仕向けられれば、まだチャンスはあるだろう。


「これらの借金の返済方法について、提案があるの」


「その件でしたら、すでに私どもより侯爵閣下にご提案申し上げております」


「それは存じているわ。代案がある……といえば、分かるかしら?」


「そちらの青いバラの専売権、というお話でしょうか」


「ええ。でもそれだけではないわ」


「ほう……伺いましょう」


 私が視線を送ると、リゼットは今度は銀の大盆を持って進み出た。大盆の上には、選りすぐりの自信作が並んでいる。


 リゼットはテーブルに可愛らしいメレンゲ菓子と香草茶を並べ終えると、私の背後に控えた。


「こちらは……細工物でしょうか?」


「いいえ、これはお菓子よ。どうぞ召し上がって」


 商人は精巧に作られたピンク色のバラをひとつ摘まみ上げると、しげしげとそれを眺めた。


「軽い石膏細工……にしては、艶がございますね。では」


 さくり、と歯を立てて、彼は驚いたように目を開いた。


「これは、メレンゲですね」


「ええ」


「なるほど、菓子は味覚で楽しむものと認識しておりましたが、ここまで視覚でも楽しめるものは初めて拝見致しました。見栄えの良いものに目がないご婦人方に、評判となること請け合いでしょう。食べてみると慣れ親しんだ味というものも、意外性がありそうですね。ロシニョル様がこれほど腕の良い菓子職人を抱えていらっしゃるとは驚きました」


「職人ではないわ、私よ」


「はい?」


「この細工、私が作ったの」


「なんと! フロランス様には彫刻の才能もあらせられるとは!」


「いいえ、これは道具があれば誰でも作れるわ。今回貴方に提案したいのは、製法ではないの。お菓子に装飾を施し、映え(ばえ)にこだわるという新しい発想よ」


「発想、でございますか」


「ええ。ただ形のない物に金は出せないというのなら、今回はそのメレンゲ細工の作り方を教えて差し上げるわ。いかがかしら」


「ふむ……」


 ヴァランタンは様々な形をとるメレンゲたちを手に取ると、顎に手を当てて何やら深く考え込んでいる様子である。私は彼から見えないように、膝の上でぎゅっと拳を握った。


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