第31話 デコる、バエる、そしてアガる
「エメ、昨日お願いしていたメレンゲ作りだけど、始めても大丈夫かしら?」
私が早速腕をまくりながら近付くと、エメは大きくうなずいた。
「ええ、準備はできておりますよ!」
エメの前の作業台には、メレンゲの材料と道具が揃えられている。基本のメレンゲの材料は、シンプルに卵白と砂糖のみ。あとは色付け用に用意した、カシスとサフランである。
道具は、太い木を削り出して作ったボウルと木ベラ、そして……謎の小枝をホウキのように束ねたものだけだ。
「ねえエメ……この小枝、何に使うの?」
「何って、卵白の泡立てに決まってるじゃあありませんか」
「え、これ泡立て器!?」
ホウキを握り締めて驚愕する私に、エメは心配そうに口を開いた。
「やっぱりお手伝いした方が……」
「うん、ごめん……作ってるところ見せてもらってもいい?」
「ええ、もちろんですとも!」
エメはボウルに卵白を落とすと、小枝の束でジャカジャカと泡立て始めた。
彼女はそのがっしりとした腕に筋肉の影を浮かび上がらせながら、一心不乱に手を動かし続けている。ハンドミキサーがあれば一瞬でできる卵白の泡立てだが、アナログでやろうとするとかなりの重労働だ。私が自分でやっていたら、泡立てだけで日が暮れていたかもしれない。本当にエメ様々である。
ツノが立つほどの硬さになった卵白に数回に分けて砂糖を混ぜ合わせると、さらにしっかりと泡立ててゆく。ツノがピンと立ってびくともしないほど硬くなったなら、ベースの完成だ。
出来上がったベースを三等分し、カシスの赤とサフランの黄色い汁を加えて混ぜていく。プレーンの白と合わせて計三色のメレンゲ生地が完成すると、私はエメにオーブンの予熱をお願いすることにした。
この国のオーブンは、例えるなら日本ではピザ屋に置いてある大きな石窯である。だがメレンゲを綺麗に仕上げるためには、繊細な温度管理が重要だ。仕上がりの色を重視するメレンゲ菓子は、摂氏百度という低温に余熱したオーブンで、一時間以上かけてゆっくりと焼き上げる。ここで温度が高すぎると、今この国で食べられているメレンゲのように、薄茶色に色づいてしまうのだ。
ところがここで、案の定私は頭を抱えた。余熱は百℃でって、温度計もない世界でどう伝えたらいいんだろう!?
「お嬢さま?」
「ええと……いつものメレンゲ菓子を作るときより、温度は低くして欲しいの。焼くというより、窯の中で時間をかけて水分を飛ばしたいと言った方が、分かりやすいかしら」
計測機器の数字の存在が当たり前になっていた私にとって、温度を言葉で伝えるのはなんて難しいことだろう。だがどうにか表現を絞り出すと、なんとエメは少ない情報から何かピンと来ているようだった。
「なるほど。やってみましょう」
エメがオーブンに向かっている間に天板を作業台に広げると、私はその上にむにゅむにゅとお花を絞り出していった。
星口金をくるりと捻りながら絞ったバラは、簡単なのにとっても可愛らしい。対してバラ口金を使って花びらを一枚ずつ絞り出したものは、手間はかかるがリアルさが別格で甲乙付けがたい仕上がりだ。
調子が出てきた私は丸口金も併用しながら様々な花や小鳥、そしてハートやリボンのモチーフを次々と絞り出してゆく。
そうして何枚かの天板をいっぱいにすると、余熱の終わったオーブンに差し入れた。あとは一定の時間ごとに天板を一枚ずつ取り出して、最適な焼き時間を探るだけである。
私はひと休みするよう腰を下ろすと、今のうちに昼食のパンを摘まんでおくことにしたのだった。