第30話 油紙とエコラップ
厨房へ戻った私はセルジュに武器庫の扉を閉めるように頼むと、小さな亜麻布のハンカチを取り出した。口金が出来たなら、次は絞り袋だ。だがこの世界にはビニールなんて便利なものはないので、代わりのものを作る必要がある。
そこで私が考えたのは、昭和の医療現場でおなじみの油紙だ。防水紙として使われていたそれは、紙にアマニ油という乾性油を染み込ませて作られる。乾く油と言われてもイメージが湧きにくいかもしれないが、アマニ油は乾かすとツヤツヤサラサラの撥水コーティング剤になるのだ。
油紙と言われてもピンとこない人は、和傘を思い浮かべてもらえば分かりやすいだろう。和紙製の傘が雨に濡れてもフニャフニャにならないのは、このアマニ油でコーティングしているからなのである。
なお今回用意したのは紙ではなく布だが、なんでも明治時代には絹布にアマニ油を染み込ませて乾かした油布が、高級な雨合羽として欧米向けに輸出されていたらしい。
この国には撥水性のある布を使った合羽なんてなくて、雨具といえばレザーや毛皮が主流である。雨はそこそこしのげるが、水を吸うとずっしり重く、そしてなにより獣くさいのだ。
油布の製造に成功すれば、今回作る絞り袋に使えるだけではない。獣臭のない軽い素材で雨具が作れるようになるのだ。これは売れそうだ!
なおオメガ3脂肪酸でおなじみのこのアマニ油は、亜麻布と同じ亜麻から採れて、この地域では一番手に入りやすい植物油である。ただ残念ながら明治の油布に使われていたという絹は、高級品を通り越した希少品すぎて、おいそれと使える存在ではない。父が存命中で余裕があった頃の母でさえ、絹のドレスは一枚も持っていなかったのだ。
目が細かく滑らかな絹布に比べると、織目が粗く厚みもある亜麻布は明らかに防水面では劣りそうな感じだが……それなりのものができると良いんだけど。私はハンカチに刷毛でアマニ油を塗ると、風通し良く日も当たる窓辺に干すことにした。
いやー、今日は色々と頑張った!
私は夕食を作るエメの邪魔にならないように厨房の隅で小さな蝋板を取り出すと、今日の出来事を書き付けた。もっと色々と聞いてほしいことがあるのに、残念ながら紙面が圧倒的に足りてない。
「やっぱり、直接おしゃべりしたいな……」
私はぽそりとつぶやくと、おにい様の夕食のお盆に蝋板を添えた。そうして自身も夕食をとるべく、ヴァランタンの件で不機嫌度MAXだろうおじい様の待つ食堂へと向かったのだった。
*****
翌朝。
朝食を早々に終えた私は簡素な服に着替えて髪をきっちりまとめてもらうと、昨日仕込んだ油布のもとへと一直線に向かった。昨日の晩餐の席でおじい様から上手く活動許可を取りつけることに成功したので、しばらくは存分に動けそうである。明らかにぶちキレモードなおじい様はけっこう単純で、誘導が簡単で助かった!
そんなことを考えているうちに、私は油布を干している窓辺に辿り着いた。朝日に照らされたそれを意気揚々と手に取り、そして──
まだベッタベタじゃん……。
全然乾くそぶりも見えないんですけど!
私はガックリと項垂れると、ひとまず油布を使うのは諦めることにした。どうやら一朝一夕でできるものではないらしい。だが防水布が完成すれば、専売化でかなりの儲けが期待できそうだ。これからも地道に研究を進めるとして、今回は別の方法を試してみよう。
アマニ油に比べてかなり高価だから、できれば使いたくなかったんだけど……私はとっておきの蜜蝋でできたロウソクを取り出すと、厨房の隅に陣取ってナイフで小さく削り始めた。蝋の削りかすを清潔な亜麻のハンカチにちりばめて、私は竈から熱い火熨斗を取り上げる。
火熨斗で蜜蝋が温められるにつれ、ほのかに甘いハチミツの香りが辺りに漂った。融けた蝋を布面に薄く、かつくまなく塗り拡げてゆく。隅々まで蝋が行き渡ったら、みつろうラップの出来上がりである。
好きな柄の布で簡単に作れるみつろうラップは、洗って何度も再利用できるエコなラップとして令和の日本でも人気を集めていたハンドメイドだ。手の温度で温めるだけで簡単に形を変えることができるので、お皿に蓋するだけでなくバターや野菜を包んだりと、何かと便利なアイテムである。
私は完成したみつろうラップを円錐形に丸めると、先端に星口金をセットした。
うん、なかなか良い感じ!
私はひとつ頷いて席を立つと、エメのところへと向かった。