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140話 早期リタイアも悪くない

 ようやく最後のル=マンディエ公爵領にも予防薬の普及が完了したころ、私は十九歳になった。まだそんな年ではないと思うんだけど、この頃時間が経つのが早すぎて驚いてしまう。


 珍しくほとんどエルゼスに戻れないまま王都で夏を過ごした私は、久しぶりに社交シーズンの幕開けを告げる初心舞踏会バル・デ・デビュタントに参加していた。だがそんな今年の初心舞踏会には、本来の主役である新成人(デビュタント)以上に目立っている人がいた。――仮面を外した、王弟殿下である。


 始めは、誰も気付かなかった。だが国王陛下と親しげに言葉を交わすその人が例の仮面の大公殿下であることに皆が気付き始めると、すぐにざわめきが広がった。親しい者の前では徐々に仮面がいらなくなっていた殿下だったが、これまで社交界では頑なに着用を続けていたのである。


「あのイケメン誰!?」という感じのヒソヒソ声がいくつも聞こえ、私は思わず、まるで自分の手柄かのように得意げな気分になった。それにしても、「手のひら返しすぎじゃない?」とは思うけど、これこそが彼女たちが無意識に持っていた恐れと偏見を、地道に薄めて来られた成果なのかもしれない。うーん、自画自賛すぎ?


 思わずニヤけそうになる口許を扇子で隠して立っていると、ふとこちらを向いた殿下と目が合った。「どうも」と言わんばかりに軽く目礼を送ったが、それが返されることはなく……どうやらこちらに真っすぐ向かって来るようである。


 殿下が近付くにつれて、周囲のざわめきはさらに大きくなっていった。だが私の前でその歩みが止まると、一転して付近はしん……と静まり返る。


 皆が固唾を飲んで様子を見ている中で、彼は躊躇いがちに手を差し出し、言った。


我が令嬢(マ・ドモワゼル)……一曲お相手願えますか?」


 緊張しているのか眉間に皺を寄せている殿下に……私は反射的に、安心させるよう明るく笑いかける。そして、差し出された手を取った。


「はい、喜んで!」


 途端に彼の表情が緩み、淡く笑みに覆われる。手を取り舞踏室の中ほどまで進み、一礼したところでちょうど次の曲が始まった。


 きっともう、この人は大丈夫だろう。

 私に期待された『役目』は、これでおしまい――。


 だが一曲終わったタイミングで手を離そうとすると、拒否するようにぐっと握り締められる。驚いてその顔を見上げると、真剣にこちらを見詰める黄玉(トパーズ)の瞳があった。


「もう一曲だけ、良いか?」


「えっ……」


 予定外の展開に、私が咄嗟に返事に詰まってしまうと。一転して彼は困ったように笑いながら……言葉を続けた。


「……随分と久しぶりだから、感覚を取り戻したいのだ」


「ああ、はい! そういうことであれば!」


 そのまま二曲目が終わったタイミングで、私はようやく、自分に周囲のご令嬢方の視線が突き刺さりまくっていることに気が付いた。これはよくない。


「ほら、皆さん殿下とお話ししたそうにしていますよ! ほら、いってらっしゃいませ!」


 すり抜けるようにさっと手を離すと、殿下の背を押すようにしてこちらを見ているご令嬢方の方へと送り出す。すると殿下はすぐにアクティーヌ公爵ドナティアン閣下に捕まって、その娘の公女や取り巻きの方々と話を始めたようだった。


 当代の社交界の華と呼ばれる公女たちが纏うドレスは、皆さん例のバッスルスタイルである。この頃すっかり流行が定着し、ライセンス料がなかなか美味しいことになっていた。どうやらヴァランタン商会はこちらの営業も上手くやってくれたようで、ありがたい。


 そんなことをぼんやり考えながら眺めていると、間もなく殿下の表情が固いものから困ったような笑みへと変わる。それに気付いた私は慌てて、明後日の方向へと目を逸らした。


 ――いやほら、これは、殿下が大丈夫か心配して経過観察していただけだから。でもあれだけの数のご令嬢方に囲まれて笑うことができるんだから……もう、大丈夫だろう。


 それにしても、これがギャップ萌えの威力というものだろうか。恐ろしげな仮面の下から出てきたまさかのイケメンに、皆さますっかり興味津々な様子である。


 まあ私は、元から知ってましたけどねー! と得意に思う反面、ちょっとだけ感じる寂しさも否定はできなかった。これまでは、あの仮面の下の笑顔を知っているのは私だけだったのに。


 ――これが同担拒否ってやつ? ……ちょっと違うか。


「良いのですか?」


「わっ!」


 再びぼんやりしていたところに急に声を掛けられて、ビクッと肩を震わせる。慌てて声の方へと振り向くと、そこにはよく見知った人がほぼ無表情で立っていた。


「ふぇ、フェルナン様!」


「本当に、良いのですか?」


「ななな、なにがですか!?」


「フロランス嬢……今、どんな気分ですかな?」


「……アイドルのプロデュースに成功した、Pの気分です!」


「はぁあ?」


 盛大に『何言ってんだこいつ』という感じに顔を歪められて、私は思わず手にしていた扇子を広げて顔を隠した。まあ実際、あえて何言ってるのか分からないように言ったんだけど。……なぜかニュアンスだけは伝わってしまったらしい。


「すみません、忘れてください……」


「全く、あなた方はどちらも本当に重症ですな……」


 ハァっと深くため息をつく音が聞こえて、私は扇子の陰で縮こまった。

 ――もうやだ、帰りたい。早く用事終わらせて戻って来てよおにい様!


「……ちょっと失礼。フェルナン、丁度いいところに!」


 相変わらず喧騒の中でもよく通る低音が聞こえたので、扇子の陰からチラリと向こうを覗き見る。するとフェルナン卿の存在に気付いたらしい殿下が、こちらに向かって来るところだった。


「おや殿下、私に何か?」


「……いや、すまん。あの場から逃げ出す口実にしただけだ」


「殿下……私ももうすぐ居なくなるのですから、ご身分を気にせず諫言(かんげん)してくれる相手を早めに見付けておくことですな」


「そなたは……最後まで言ってくれるな」


 苦笑いする殿下とフェルナン卿に交互に目をやりながら、私は疑問を口にした。


「フェルナン様、居なくなる、とは……」


「職を辞し故郷へ帰ることにしたのです。今日は、最後にフロランス嬢にも御挨拶をと思いまして。この調子であれば、ガリア国内から斑点病が完全に駆逐される日も近いでしょう。……これでようやく、私は胸を張って大事な幼馴染に会いにゆける」


「まあ、幼馴染に……モンベリエ領にいらっしゃるのですか?」


「ああ……きっと故郷で、ずっと()の帰りを待っている」


「フェルナン……まさか」


 それを聞いてなぜか顔色を変える殿下に、子爵は声を上げて笑った。


「ははは、殿下、ご懸念のことは予定にございませんので、どうぞご心配なく! ただ彼女の(かたわ)らで、一介の治療術師として静かに余生を過ごしたいのです」


「そうか……」


「殿下も、どうか後悔だけは、されませぬようにな」


「……ああ」



 *****



 ここ一年の間に馬痘の発見にも成功し、さらに安全性を高めていた斑点病(ヴァリオラ)の予防薬は、いつしか世間では疫病の大流行から世界を救った『神薬』とまで呼ばれるようになっていた。


 その『神薬』を神の啓示を受けて(つく)ったとされるエルゼス侯爵令嬢の名も同時に各国に知れ渡った頃。一年以上の長きに渡る審査をようやく終えて、いよいよ正式に聖女認定の儀を執り行うという通知が、カタロニアから届けられた。


 プロパガンダの効果を高めるためにとエヴァンドロ聖下より提案された二つ名は、『預言の聖女』である。この名称は、ガリアの建国神話で「神の声を聞いて初代国王を導いた」とされている『預言の乙女(ラ・ピュセル)』から、そっくりそのままいただくことにしたらしい。


 さんざん宣伝文句に使っておいて今さらながら気恥ずかしい感じもするけれど、新しい聖女の権威をさらに高めるためだと言われてしまったら、仕方のないことだろう。


 こうして私はフィリウス教の聖地にして首都でもある、聖都アラベラで近々行われる聖女認定の式典に向けて、準備を進めることになった。


 だがエヴァンドロ一世聖下が即位したとはいえ、まだ教会内部には対抗勢力が残っている状態であるらしい。聖下からの伝言を預かって来たビアンカ姐さんから『暗殺に気を付けるように』と言われて、私は戦慄した。この世界の『宗教家』って、一体……。


 だが気を付けろと言われても、協定によりカタロニアに軍勢を入れることは、いかなる国もできないのだ。特に聖都への入山は厳しい制限が設けられており、法術師の入山は一国につき同時に三名までと定められている。


「――ゆえに、同行者は個人戦闘力が高く、かつカタロニア貴族に舐められない程度に高位の貴族を連れて行くのが定石となっている」


 王宮にある一室で王弟殿下から聖都行きの説明を聞き終えて、兄は思案気に首を傾げながら言った。


「では一人はぼくで確定として、もう一人は……そうだ、ルイはどうかな?」


 だが兄の挙げた名を聞いて、私は心底げんなりとした顔をしてみせる。


「ええー……」


「そんなあからさまに嫌そうな顔しなくても……」


「だって、護衛なんて頼んだりしたら後でどんだけ恩に着せられるか分からないじゃないですか……」


「そうは言うけどルイなら家柄も充分だし、それにあれでけっこう強いよ? 他に適任者もいないし……」


「それでも、何とか他に心当たりはありませんか!?」


 私が兄に食い下がっていると、代案を出したのは殿下である。


「その護衛役、私では駄目か? 銀眼ほどの法力はないが、実戦経験だけなら豊富であると自負しているのだが」


「だ、ダメではありませんが……王族の方が臣下の護衛をなさるなど、お立場的に大丈夫なのですか!?」


 驚く私達に、殿下は苦笑しながら答えた。


「『聖女』の護衛ということであれば、何も問題はあるまい。では、他に異論が無ければ準備を進めよう」



以前投稿したフェルナンの過去編「少年の懺悔、少女の願い」に後日談を追加し、シリーズに追加しています。

悲恋からまさかのハッピーエンドになりました。

あのまま終わりでは悲しすぎると思ってしまったもので…。

ご興味のある方、どうぞよろしくお願いします。

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