132話 悪疫は、起こるべくして
その第一報は、いつものように産後のアウロラ様を訪ねていた最中に、パリシオルム宮殿へと届けられた。お茶会を終えオレリア嬢と一緒に大回廊を歩いていると、慌ただしく走り回る官吏たちとすれ違う。違和感を感じていたところに見知った顔を見付けて、私は声を掛けた。
「ジャン=ルイ公子!」
「なんだ、お前か。今忙しいから後にしろ!」
「どうしてお忙しいのですか!?」
「だから説明している暇は……ああこのっ、王都に体液病らしき者が出た! 以上!!」
ジャン=ルイは叫ぶようにそれだけ言うと、足早に去って行く。
「ありがとうございますっ!」
その背中に向かって礼を言うと、私はオレリア嬢に慌ただしく非礼を謝ってから、一人で再び元来た道を駆けだした。――そうだ。元はといえば、この日のために私はコツコツと王族の方々に顔を売ってきたのである。
私は地道に築いたコネをフル活用して再びアウロラ様にお目通りを願い、その御夫君であるベルトラン王太子殿下、さらに国王陛下へのとりなしを頼む。そうして宮殿で働く官吏たちによって開かれた緊急の会議へと、もぐり込む事に成功したのだった。
*****
あれから喧々囂々たる会議が、どれほど続いただろうか。小さめの階段教室のようになっている会議場にぎっしり詰めかけているのは、この宮殿勤めの男性官吏たち、そして陛下を始めとした成年王族の御三方である。そんな出席者たちの顔にもやがて疲れが滲み始め、新しい意見も疎らになってきた――そんなところを見計らい、私はすっと右手を挙げた。
「偉大なる国王陛下、発言をお許しください」
「エルゼス侯爵令嬢フロランスの発言を許す」
こちらもお疲れの様子の陛下が、ジャン=ルイの背後の席にひっそりと座っていた私の方を見て、小さくうなずいた。するとようやく私の存在に気付いたらしい官吏の一人が、声を上げる。
「何故ご令嬢なんかが、この重要な会議の場に!」
「余が許可したのだ」
「は……」
疲れが滲んだ声で、うんざりしたように言う陛下の方へと顔を向け、官吏の男は首を竦めて席に座り直した。
「エルゼス侯爵令嬢、発言を続けよ」
議長を務める王太子殿下に促されて、私は口を開く。
「はい。結論から申し上げますと、体液病の伝染が急拡大している原因はセージュ川です。今すぐ川からの水の汲み上げ、及び堤防内部への立ち入りを全面的に禁止してください」
「セージュ川だと?」
疑問符を浮かべる王太子殿下に対し、私はうなずいて続けた。
「はい。皆様ご存知の通り、体液病は悪い水によって病毒が伝染します。現在セージュ川は、その悪い水によって汚染された状態にあると考えられます」
「何を根拠にそう判断したのだ?」
「それは――」
――ここ王都パリシオルムの生活排水、つまり汚水は、道路の中央に向かってくぼむように作られた排水路へと、まとめて流される。それは雨水と混じり合いながら張り巡らされた水路を辿り、やがて王都の中心を貫流するセージュ川へと、流れ込んでいくのだ。
ところが、このおまるの中身まで平気で流されている、下水道状態であるセージュ川の水を……多くの庶民が生活用水に利用しているのである。実は手食文化圏の人々には、意外なほどこまめな手洗いの習慣がある。しかしせっかく手洗いで見える汚れを落としても、こんな水では逆に見えない菌が付着してしまうのだ。
『華の王都になぜ井戸がないのか?』と、疑問に思う人もいるかもしれない。だがここは世界有数の人口を誇る大都市、パリシオルムなのだ。当然のように井戸はあるし、それだけでなく上水道までしっかりと張り巡らされている。そのおかげで街中のいたるところにある給水栓から、無料で水道水を汲むことが可能となっているのだ。
しかし問題は、計画時の想定から何倍にも膨れ上がったその人口にあった。まともに使えるほど充分な給水栓が用意されているのは、邸の数に変動の少ない貴族街区や、一部の富裕層が住まう庶民街区ぐらいのことで……下町など多くの庶民が暮らす街区では、給水栓を使うためには長い長い行列を待つ必要があった。
『水のために何時間も並ぶくらいなら、そこにある川の水をさっさと汲んでしまえばいい』
結局、多くの人々がその結論へと達し、水瓶や桶を手にセージュ川へと向かった。たとえそれが、明らかに汚い水であっても……日々を生きるのに精一杯の人々にとって、水汲みにかける時間を惜しむのは無理からぬことだったのである。
「――よって、今すぐ警備兵を動員し、セージュ川からの水の汲み上げを用途を問わず厳重に禁止する必要があります。同時に、自宅と異なる街区への人の出入りを禁止してください。特にすでに患者の出ている街区からの人流を、徹底的に制限することを提案いたします」
「確かに、セージュ川を感染経路とする話の筋は通っている。しかし出入り禁止となると、当家の使用人には庶民街区からの通いの者も多いのだが……」
不安げな声を上げたのは、別の官吏である。私はそちらを向くと、穏やかに言った。
「それで体液病が貴家に持ち込まれてもよろしいのであれば、ご自由に」
「そ、それは……」
官吏は言葉に詰まったが、だがその後を引き受けるかのように、目の前に座っていた再従兄がこちらを振り向いて言った。
「しかし水の汲み上げを禁止すれば民は渇き、人流を制限すれば日々の糧を失い飢えるだろう。それは如何とする」
「もちろん、行動制限中の給水と物資の支援は必要です。また制限により失った収入については、国庫から補助金を出すことで対応いたしますれば」
「国庫から民へと炊き出しなどを通して物資の施しを行った実績は数多あるが、金銭を援助した実績はないぞ?」
そう疑問の声を上げたジャン=ルイだけでなく、議場全体に聞こえるように、私は努めて声に張りを持たせながら答えた。
「補助金の給付方法については、後ほど我が兄エルゼス侯爵より『エド』という東方の街で実施されている『臨時御救』の事例をもとに、詳細を提言いたします。なお事態の可及的速やかなる鎮圧には、法術師の力が必要です。水術師による安全な水の供給、地術師による街区間の物理的封鎖、火術師による除染、風術師による情報の周知徹底を提案いたします」
「我々法術師に対し、庶民などのために働けと言うのか!? そもそも小娘が、なにを分かったような口を!」
叫ぶように答えたのは、再従兄ではなく別の官吏である。
――こっ、怖っ! なんかものすごい睨んでくる人だらけなんですけど!?
だがここで怯んで見せたら、誰も私の言葉を信用してなどくれないだろう。すでに議場には、再びのざわめきが広がりかけている。私は内心のビビりをなんとかぐっと押し込めて、冷静そうな顔を保つと。さらに強く、だが低めに声を張った。
「とにかく、感染の拡大を防ぐことが急務なのです。体液病が王都全域に拡がった場合の損害に比べたら、補助金や法術師の労力など、微々たるものでしょう。過去には体液病の蔓延で、遷都を余儀なくされた都市の事例もございます」
「ぬう、確かに遷都となると……」
「しかしいくら禁止しても、庶民どもが簡単に言う事を聞くとは思えんが……」
「我ら法術師についても、わざわざ庶民を救うなどのために体液病に近付きたい物好きなんておるまい……」
やはり貴族が庶民のために働くことには、皆さん抵抗感があるのだろう。参加者が思い思いに考えを口にする中で……事態を前に進める口火を切ってくれたのは、今日は仮面姿の王弟殿下だった。
「それは、ベルガエ騎士団で引き受けよう」
だがそれを聞いた陛下は、軽く首を傾げて問いかける。
「団員達の同意が得られる目算はあるのか?」
「は。防衛戦争に参加した者達は皆、エルゼス侯爵令嬢の実績を信頼しております」
頷きながら答える殿下に続くように、ジャン=ルイが言った。
「ならば、ロートリンジュからも人員を出しましょう。現在王都にいる家臣の中には、エルゼスで参戦していた者もおります」
「ありがとうございます!」
私が思わず二人に向かって深く頭を下げると、国王陛下が苦笑しながら言った。
「王都の民のことを、まるで自らの領民のように想ってくれるのだな。余も施政者として、エルゼス侯爵令嬢を見習わねばならぬ」
しまった、自領でもないのに、出過ぎた態度を取ってしまった……。
「きょ、恐悦至極に存じます……」
我に返って小さくなる私に、再び陛下よりお声が掛かる。
「では、決まったな。今回の体液病対策については、ベルガエ騎士団、エルゼス侯爵家、およびロートリンジュ公爵家を中心に進めていくとする」
「「我らが主君の、御心のままに」」
まだ納得のいってなさそうな顔をしている人もいたが、ならばお前が何とかしろと言われたら困るという結論に至ったのだろう。官吏達はみな諾々と頭を下げて――その日の会議は、ようやく終了したのだった。
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