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130話 王都に癒しの雨が降る

 私がせっせと宮殿に日参していた、この数ヶ月の間に。パリシオルム大教区担当大司教の後援で、パリシオルム大聖堂の敷地内に、ル・マンディエ公爵夫人による無料の施療院が開設された。


 施療院の開院初日。大司教の声がけでパリシオルム大聖堂前の広場いっぱいに集まったのは、ケガや病気に悩む数百名の市民とその付添いの人々である。


 教会のバルコニーに立った公爵夫人は、その美しく着飾った姿を見せるなり銀の瞳で天を仰ぐと。聖杯を捧げ持つ姿とも言われる祈りの手を、高く空へと差し伸べて……人々の上に癒しの雨を降らせた。


 さらさらと霧雨のように降り注ぐそれに触れると、傷はたちまち塞がり、骨は再び繋がったのだという。病人たちは全快こそしなかったが、再び病と戦う体力を得て、喜びながら帰って行った。


 こうしてル=マンディエ公爵夫人ベランジェーヌは、一気に民衆からの名声を不動のものとしたのだった。


 パリシオルム大司教であるフェデリコ大司教猊下は、現法王マルコス聖下の就任と共にパリシオルム大司教に着任した、生粋のマルコス派である。エヴァンドロ司教とは相克の間柄、つまり天敵だ。


『フェデリコの奴、ワシの担当するエルゼスの関係者が「天の御使い」などと呼ばれて王都で名を上げておる状況が面白くなかったのだろうよ。大聖堂の敷地を貸してまでの開院は、エルゼスを嫌うフェデリコとル=マンディエ公爵の利害が一致したというところかのぅ』


 ――というのは、王都まで定期の情報収集にやって来たビアンカ姐さんがついでに教えてくれた、エヴァンドロ司教の見解である。


 それからも、銀眼の公爵夫人が営む施療院には、治療を求める市民たちが殺到し続けた。やがて人々はこぞってベランジェーヌ夫人こそが次の列聖に相応しい存在だと噂するようになり――吟遊詩人の新たなる演目『銀色の聖女』が人気を博するようになったのである。



 *****



 ある王宮で開催された、夜会の場。今日は兄のエスコートで会場を歩いていた私は、向こうから近付いてくる一組の男女を見付けて僅かに身構えた。


 その男女……ル=マンディエ公爵夫妻は私たちの目の前で足を止めると、黙ったままこちらを見下ろすように顎を上げる。格下である私たちが先に型通りの挨拶を述べると、公爵は満足そうに頷いて言った。


「近頃王都で流行している歌の事を、君はもう聞いたかね? かの銀色の聖女とは、我が妻のことなのだが」


「はい、存じております。とても素晴らしい歌であると、聞き及んでおります」


「その通り、我が妻は下々への慈悲の心も忘れず、まこと聖女のようだろう? それに引き換え近頃の君はといえば、平民共には目もくれず、王太子妃殿下の元へと日々せっせと通ってご機嫌取りに余念がないらしいではないか! ああ、哀れなる平民共は君をあんなにも慕っていたというのに、肝心の君は妃殿下との繋がりができた途端に下々になど目もくれてやらないとは……なんと薄情なことだろう。なぁ、ベランジェーヌ?」


「ほんとうに、なんと薄情なことでしょう」


 公爵に名を呼ばれ、相変わらずの同意マシーンぶりで夫人が頷くと。


「お言葉ですが……!」


 これまで黙っていた兄が、そこで一歩前に出た。だが私は寸でのところで、兄の肘に絡めた腕にぐっと力を込めて引き留める。咄嗟に顔をこちらに向けた兄に向かい、私は静かに首を横に振った。おにい様の気持ちは嬉しいけれど、今は反論しない方が得策だ。


「貧しき民のため施療院を開き、自らの手で日々治療なさっている公爵夫人など、全く前例がございませんわ! まさに民から聖女と慕われるに相応しい、わたくしにはとても真似の出来ない、素晴らしい取り組みです!」


 私はニコニコとした笑みを顔に貼り付けると、少し大げさなほどに夫人を褒め称えた。


「フフン、身の程をよく弁えておるではないか! 愚民どももようやく目が覚めたようであるし、これからは正しき者に正しき評価が下されるようになるだろう。まあ、せいぜい妃殿下に媚を売っておくのだな! どうせ治療術師でもないお前に出来る事など、それくらいしかないのだから」


「全く以て、仰る通りにございます」


 どうやら私が全く反論しないことを、論破できたと捉えたようで。満足したらしい公爵は、妻を連れて得意げに笑いながら去って行った。



 *****



 その夜の帰り道。傾きかけた満月に照らし出された王都の街並みを、私は馬車に嵌まる窓ガラス越しにぼんやりと眺めていた。今日この街角で皆が耳を傾けた歌は、きっとあの『銀色の聖女』のものだろう。


 あの夫妻が何をやろうがどうでもいいことのはずなのに……なんだろう、すごくモヤモヤするのだ。ついこの間までは夜会で会うたび私を持ち上げていた人達も、今日はあっちを持て囃している。


 強力な治療呪文の恩恵を無料で受けられる庶民が増えるのはいいことのはずだし、おこぼれ目当てで不自然に持ち上げてくる人達がどこへ行こうと別に構わないはずなのに……なんでこんなに、モヤモヤモヤモヤしてしまうんだろう。


 自分が欲しくてたまらないものを持っている彼女が、羨ましい。自分が頑張っても出来なかったことが、簡単に出来てしまう彼女が、妬ましい。


 あの時、あの戦場で、私にもし治癒の力があったなら。あの人も、その人だって……みんな、救えていたはずだったのに。


 私には、なんで治療呪文が使えないんだろう――。


「どうしたの? なんか元気ないけど……」


 なんでもない……一瞬そう口を開きかけて、私は素直に話してみることにした。おにい様なら、きっと笑わずに聞いてくれる。


「おにい様……わたくしにはなぜ、治癒の力がないのでしょう。彼女の持つ才能(チート)が妬ましくて、羨ましくて、たまらないのです。こんないくら考えたところで時間のムダでしかないこと、考えたくもないのに!」


 ほんの少しの労力で、あの人は簡単に結果を手に入れる。別に賞賛が欲しくてやっているわけじゃないはずなのに、なんでこんなに「ズルい!」と思ってしまうんだろう。攻略本片手にゲームしてるも同然の自分だって、他の人から見たら充分「ズルい」はずなのに。もっと、もっとと思ってしまうのだ。


 ……あのイヴォン卿も、もしかしたらこんな気分だったのだろうか。彼はこの焦りを、妬みを、相手の弱みを見付けて叩く行動へと転化してしまった。

 では、私は――


 だがそんな私の葛藤を知ってか知らずか、兄は穏やかに言った。


「きみに才能がないなんて、ぼくは思わないよ」


「……おにい様は銀眼だから。才能があるからそう言えるのですわ」


 私は兄から表情が見えないように俯くと、そうボソボソと答えた。今自分は、どんな顔をしているのだろう。想像するだけで嫌になる。


「いや、君には才能があるよ。世界を変える才能がある」


「世界? そんな、大げさな……」


 気を遣わせるような事を言っているのは自分なのに、いざ気遣う事を言われたら、皮肉に感じてしまうなんて。私は自嘲の笑みを浮かべたが、兄は真剣な顔で続けた。


「治療呪文が使えても、自分の手の届く範囲の人しか救えない。でも君は、まだ顔を見たことすらない人々を、未来に渡って救い続けようとしているんだ」


「そんなこと、別に私じゃなくても誰にでも……」


「そうだね、誰にでも出来る事なのかもしれない。でも、これまで誰もやらなかったんだ」


 馬車の向かいに座っていた兄は揺れる車内で席を立つと、私の横に座り直した。そして私の背にそっと手を当てて、トントンと、まるで幼子をあやすようにゆっくりたたく。


「その結果は、君だけのものだ。他人と比べるようなものじゃない。君だけの、成果だ」


「おにい様……」


「実はあの頃、ぼくが部屋から出られなくなった理由はね……アンリの持つ社交の才能を、妬ましく思ったからだったんだよ」


「えっ、アンリ卿を!?」


 私は驚きの声を上げると、ふと傍らの兄を見上げる。するとこちらに向けられていた優しいグレーの瞳へ、吸い寄せられるように視線が重なった。


「うん」


 兄は私と目が合うと、噛み締めるように頷いてから、言葉を続けた。


「アンリと自分を比べては、自分で自分に失望して、その現実から目を背けたくて逃げ出した。でも、やめたんだ。仮にアンリよりぼくが優れていたとして、それで得た充足感に何の意味があるんだろう? ぼくが本当に守りたいものは、そんなものがいくらあっても守れやしないんだから」


「そう、だったのですね……」


「でもね、そう考えていたのは、ぼくだけじゃなかったんだよ。この間アンリと二人で話をさせてもらった事あったでしょ? そこで初めて知ったんだけど……アンリも子どもの頃、ぼくが銀眼なのをズルいと思っていたんだって」


「あのアンリ様が、ですか!? まさか!」


「うん、まさかだよね。でも彼ほどのデキた人間でも、ぼくが療養を理由に社交界から消えたとき、心配しつつも少しだけ安堵したそうだ。これでもう……周りから比べられなくて済むと」


「そんな……」


「それでもね、ぼくらはお互いを尊敬してたんだ。自分に無いものを羨みながら、同時に憧れていたんだね」


 そこでいったん言葉を切ると、兄の穏やかな瞳は一転、鋭い物へと変化する。そうして私を真剣に見据えると、口を開いた。


「ねぇフロル、ぼくは君のやってきたことを、ぜんぶ知ってる。見えない努力も、評価されにくい実績も、ぜんぶ知ってる」


 珍しく兄はぐっと眉尻を上げると、腹の底から響かせるかのように……語気を強めて言い放つ。


「他人のことなんて、気にするな。君は君だろう? フロランス、自分の信じた道を()け!!」


「おにいさま……」


 いつも穏やかな兄の耳慣れぬ声音に、私は一瞬、驚きと共に目を見開いてから……兄の真似をするかのように眉をきゅっと引き締めて、強気な笑みを浮かべた。


「わたくし、目が覚めましたわ。もう他人と自分を比べるのは、やめにします。自分の信じた道だけを、まっすぐに進みますわ!」


「それでこそぼくの妹だ。って言いたいところだけど……あんまり無茶はしないでね?」


 苦笑しつつ今更なことを言う兄に、私は不敵に笑いかけた。


「善処いたしますわ!」


「あー、やっぱ元気づける方向性間違ったかも……」


 ちょっと遠い目をするおにい様を見て、私は思わず笑い声を漏らす。そうして、ようやく吹っ切れた私は――いろいろと気にしないことにした。



 *****



 あれから数日が経ち――今日も王宮で日課の散歩に出ていた、その時。とうとう王太子妃殿下の陣痛が始まった。途端に中庭は騒然となり、多くの侍女、侍医たちが、次々と庭へと集まって来る。それでも妃殿下の傍で、うずくまる彼女の腰をさすっていると。怒りの形相を浮かべたジュール卿が忌々しそうに言った。


「いつまでそこにいるつもりだ! 素人が邪魔だ、向こうへ行けっ!」


 ここで食い下がったところで、さすがに分娩用に準備されている部屋までは連れて行ってはもらえないだろう。諦めた私が立ち上がろうとすると、だがそれを引き留めるように、弱々しく袖を掴む手があった。


「フロランス、行ってしまうの……?」


 不安げに見上げるアウロラ様に、私は優しく微笑んだ。


「安心して下さい。すぐそこに居りますわ」


「ええ、フロランス嬢が離れる必要はありません」


 そこに聞き慣れぬ声が響き、私たちはそちらを向いた。以前ちらっと見かけただけだが確かこの人は現在の侍医長で、治療術師界の名門モンベリエ伯爵家の当主だったはずである。


「ジョスラン卿! しかし……」


 抗議の声を上げるジュール卿を一瞥して黙らせると、侍医長は妃殿下の方へと向き直った。


「不安を感じておられる妃殿下にとって、親しいご友人の存在は心強いでしょう。如何でしょうか、アウロラ様」


「わたくし……フロランスにそばにいて欲しいわ」


「かしこまりました。ではよいな? ジュール卿」


「は……妃殿下の仰せのままに」


 妃殿下の一言ですんなりと引き下がったジュール卿、そして侍医長のジョスラン卿を交互に見比べながら、私は言った。


「本当に、居てもよろしいのですか?」


「ええ、兄からお噂はかねがね伺っております。どうぞ、このまま妃殿下についていて差し上げてください」


「……兄?」


「ああ、ベルガエ騎士団のフェルナンですよ」


「フェルナン卿の御実家は……あのモンベリエ伯爵家だったのですか!」


 モンベリエ伯爵家の開祖は、建国戦争で初代国王をその治療呪文で助けたことで有名な家柄だ。所領はそんなに大きくない伯爵位だけれど、その辺の侯爵なんか目じゃないくらいの格と歴史を持つお家柄である。そんな実家を捨てただなんて、一体何があったんだろう。


「はい。兄は私なんかよりも治療術師としては遥かに優秀なのですが……当主としては、少々資質に問題がありまして」


 だが資質に問題があるなどと言いつつも、ジョスラン卿は優しい目のまま苦笑した。たとえ家を出ていても、きっとお互いを信頼し合っているのだろう。


「とはいえ、その兄が本物であると認めた方であれば実力に疑いようはないでしょう。どうぞ、よろしければ侍女達と共に準備をして、お立会を」


「はい!」


 全員から褒められなくても、こうして認めてくれる、見ていてくれる人はいる。


 ――私は緩みそうになる頬を、ぐっと強く引き締めると。

 再び妃殿下の、柔らかな手を握りしめた。


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