128話 ブームはいつも美人から
翌日。日課の参殿から帰邸した私は、急いで厨房へと向かった。頼んだ通りの調理が進んでいることを確認したら、次は食堂のチェックである。
もちろん大伯母さまの前でも粗相することなど出来ないが、今夜はあのジャン=ルイも来るのだ。ツッコミどころがないように徹底的に潰しておかなければ、どんな嫌味を言われるか分かったものじゃない。だがあまり時間がない今、使えそうな手は全て使っておくに越したことはないのだ。
参殿用の昼会服から気軽な晩餐会用の服に着替えて、待つことしばし。昨年勇退したクレマンの後任を務める執事が、来客を告げた。
玄関ホールに現れた二人に、私は完璧な淑女の礼をとる。すると今年七十五歳を迎えたマリヴォンヌ大伯母さまは、優雅な、だが未だ澄んで張りのある声と共に、私を抱きしめた。
「フロル! 今晩は、お招きとっても嬉しいわ。お次はどんな新しいものを見せてくれるのか、昨日から楽しみでたまらなかったのよ?」
「ありがとうございます。ご期待に沿えると良いのですが」
「なんだ、自信がないのか? 忙しい身であるこの僕や、おばあ様をわざわざ自邸まで呼び付けておいて……大層なご身分だな」
あの、謙遜って言葉知ってます?
私は内心イヤミで反論しながらも、心配そうな顔を作りつつ言う。
「なにしろ、ジャン=ルイ公子ほどの確かな味覚をお持ちである方を、晩餐にお迎えするのです。そう思うと、昨夜から不安でたまらなくて」
すると、このところ結構チョロいことが判明しているジャン=ルイは、満足そうにうなずいた。
「なんだ、殊勝な心がけではないか。で、アルベールはどうした?」
「大変申し訳ございませんが、東部領主連の会合が長引いているとの連絡がございました。終わり次第急ぎ戻りますので、失礼ながら先に召し上がって頂けましたら、と」
「……それは仕方ないな。では、本題の食事をいただくとするか」
*****
「鱒とほうれん草のグラタンです。熱いうちにお召し上がりください」
説明と共に給仕の並べた器にさっそく匙を差し入れながら、ジャン=ルイが言った。
「ふむ、初めは一皿しかない食卓に、何だこの侘しい有様は、と思ったが……次々と供されることで、料理が冷めないのは良いことだな」
「ほんとうね。どれも温かいうちに食べられて、とっても美味しいわ!」
「ありがとうございます」
私は二人に礼を言うと、自らも匙を口に近づけた。まだあつあつのベシャメルソースは、薄塩仕立てでも十分美味しく食べられる。ちなみにグラタンと言ったらマカロニが入っているものなんだと思っていたら、この国では表面をこんがりさせた料理全般のことを指すらしい。
本来この国の食事は、一斉にテーブルに並べられるのが基本だ。パーティーなどであれば後から追加が来ることもあるけれど、基本はテーブルいっぱいにお皿が並んでいるのが贅沢とされている。
しかしここパリシオルムの冬は、エルゼスとほぼ同じ、札幌並みの寒さである。いくら部屋を暖めていても、一気に全部並べたらどんどん冷めてしまうのだ。そこで今回、コース料理の形式をとってみたのである。
この国の贅沢料理には、クリームやバターをたっぷりと使うものが多い。だが今回のソースは牛乳をベースにとろみは小麦粉でつけるので、見た目はしっかりとしたクリーム系だが、いつものメニューと比べたら随分と軽いものだ。
他に用意した献立も、どれも出汁をしっかり取って塩分やカロリーを控えるレシピとなっていた。元々は私のダイエットとおじい様の血圧のために料理長のエメと少しずつ作っていたレシピ集から妊娠中に良くない食材を抜いたものなんだけど、これが今回は効果を発揮できるだろう。
そもそもこの国は位置的にフランスあたりにあるためか、美食に興味のある人が多い。だから食事でもデザートでも、どれも気合いを入れて改良されてきた美味しいものばかりだ。出汁だけでもフォン、ブイヨン、そしてジュ……と日本よりカテゴリが多いし、ソースに至れば多種多様で覚えきれないくらいである。
だがこれが貴族の場合、ひとつだけ問題があった。この世界は全体的に栄養不足な人が多いからか、ハイカロリーなものこそが身体に良いと信じられている点である。実際に庶民であれば全くその通りなんだろうけど、充分な食事が手に入る貴族であってもハイカロリーを良しとしてしまうのが問題なのだ。
そのため年配層には危険なほど太っている人や、こってりした食事をお腹が受け付けなくて逆に不本意に痩せてしまっている人もいるのだが……大伯母さまはどうやら後者だったようである。
「このごろはちゃんと食べなきゃと無理をしていることも多いけれど、どうしましょう、今夜は食べすぎてしまったわ」
ニコニコしながら手巾で口許を押さえる大伯母さまを見て、私もつられて笑みを浮かべた。大好きな大伯母さまには、ずっと元気で長生きしていてほしい。
「このあと、デザートもご用意しておりますわ」
「まあ! でも食べたいと思ってしまうなんて、不思議だわ。いつも食事の終わりはもうたくさん! って思うのだけれど……ふふふ」
食事のラストとして目の前に運ばれてきた小ぶりなアイスクリームを見るなり、大伯母さまは驚きの声を上げた。
「これは……クレームグラスね。ロシニョル家は火術師ばかりよね。水術師の方を呼んだの?」
首を傾げる大伯母さまの方を見て、私は得意げに笑った。
「いいえ、冬の寒さを利用したのですわ」
氷結系の呪文が使えなくても、氷と塩水があればアイスクリームは作れるのだ。夏場でも北国のエルゼスなら氷室で氷を保管しておけば作れるんだけど、冬場のアイスもなかなか乙なものである。
「まあ、そうなのね! でもこれだけお部屋が暖まっていると、逆に冷たいものが美味しいわ」
どうやら大伯母さまにもその良さが伝わったようで、バニラが香るアイスを少し掬っては口に含むたび、頬に手を当て幸せそうな笑みを浮かべた。
「それにクレームグラスは何度か食べたことがあるけれど……これはなんてとろけるような、とっても甘い香りがするわねぇ。素晴らしいわ!」
「お褒めにあずかり光栄です」
実はバニラの甘い香りは、追加カロリーなしで「甘いもの食べたー!」という気分をアップしてくれる、ダイエットアイテムだ。これなら充分、大きなケーキを食べたくらいの満足感が得られるだろう。
それにしても、こんなに美味しそうに食べてもらえるなんて、色々と考えた甲斐があったというものだ。嬉しくなって大伯母さまとニコニコ笑い合いながら小さな匙でちょっとずつアイスを口に運んでいると、ジャン=ルイが口を開いた。
「今日の晩餐は特別な利点がある献立を紹介したいとのことだったが、つまりおばあ様にも食べやすいということか?」
「はい。ただ、それだけではありませんわ。脂肪分の削減で吹き出物が出にくく、塩分の削減でお顔の輪郭が浮腫みにくくなります!」
「ほう……それは興味深いな」
深くうなずくジャン=ルイを見て、私は内心ガッツポーズをとった。ありがとうナルシスト!
「まさかあの公子が、そのようにすんなりと効果を信じてくださるとは思いませんでしたわ」
苦笑しながら思わず本音を口にすると、ジャン=ルイは軽く眉間に皺を寄せる。
「あの公子とは、どういう意味だ? ……まあいい、以前のお前ならば何を馬鹿な事をと思っただろうが……ここの所、まあまあ使えるようになってきた様だからな」
「それは……ありがとうございます」
驚いて顔を上げると、一瞬ぱっと目が合った。だがすぐに、彼はついっと明後日の方向に視線を逸らす。
「フン、ロートリンジュ公の血を引く者ならば、このくらい出来て当然だ。まあ味の方も、新鮮な要素もありなかなか悪くない。ちょうど代わり映えのしない献立に飽き飽きしていたところだからな!」
「それはようございました。実は日々の献立から来客用のものまで、この料理法を一冊の献立集にまとめておりますの。よろしければ大伯母さまのお友だちの方にも、この献立集をおすすめして頂きたいのです。公子に心酔するご令嬢方にも、おすすめ頂けませんでしょうか?」
なお綺麗な献立集に最速でまとめて印刷まで回してくれたのは、王都に最新の印刷設備を持っているボルゴーニュ侯爵家、つまりオレリア様だ。今回は急ぎだったのでこの国で一般的な献立集と同じ文字だけのものだが、第二版からは挿絵も入れて、料理人だけでなくご令嬢方が読んでも楽しめる本に仕上げる予定である。
「構わないが、献立集などどうしたのだ、急に」
「実はご高齢の陛下や妊娠中の妃殿下には、塩味が強すぎたり、滋養のありすぎたりする食事は、健康を害する恐れがあるのです。ただわたくしから直接ご提案するのは難しい状況なので、流行りの献立集として遠回しにおすすめできましたら、と」
「滋養のあるものがいけない、だと?」
「はい。シンアの故事に『過ぎたるはなお及ばざるが如し』とございますように、偏った滋養がありすぎるのも良くないのです。栄養はそれぞれのつり合いこそが重要なのですわ。もちろん美容のために効果的なのも本当です。どうかお二方の周りの方にも、その献立集をお勧めいただけませんでしょうか」
「ええ、もちろんよ。本当に気に入ったから、言われなくてもおすすめしていたところだわ!」
「おばあ様がそう仰るのであれば、僕も手を貸してやらんでもない」
「ありがとうございます!」
この二人を押さえておけば、シニア層と若い女子層の支持ゲットはほぼ確実だろう。美容や健康に良いと言いながら、美人が食べている――それこそが、最強の広告になるのだ。
「ただいま! もうみんな食べ終わっちゃったかな?」
そこへようやく現れたのは、まだ外套を羽織ったままのおにい様である。
「おかえりなさいませ! すぐにおにい様の分を用意させますわ」
「いや、皆終わってるのならいいよ。ルイ、遅くなってごめん! 悪いけど、囲棋は軽く食べながらでもいいかな? セルジュ、後で僕の部屋にラーメン持って来て」
またそんなので夕食を済ませようとするなんて、絶対にダメです! ……と言おうと、私が口を開く前に。
「アルベール……お前、さては僕だけ満腹にさせて頭の回転を鈍らせ、勝とうという魂胆だな!? 最近少しばかり勝ち越しているからと、僕に負けるのが怖いのだろうが……そうはさせんぞ。勝負は僕と同じ分量の食事を取ってからにしろ!」
「ええっ!? でもめんどくさ……」
「駄目だ! そんな小狡い手は断じて認めんぞ!」
ちょっと方向性は違うけど、今回ばかりは私もジャン=ルイに加勢することにした。
「公子、もっと言ってやってください! おにい様はこのところ、めんどくさいとか言ってジャンクフー……もとい、軽食でお食事を済ませてしまうことが多いのです! このままでは身体を壊してしまいますわ!」
「なんだと!? しっかり食事を摂っていないなど……お前は脳を衰えさせる気か!?」
「うるさいなぁ……君らが思うより健康だよ……」
「「ダメです(だ)!」」
同時に二つ雷が落ちて、おにい様は首を竦めた。
「わ、分かったよ……」
「分かってくれたなら、ちゃんとした食事を召し上がってください!」
「はーい……」
兄はしぶしぶ侍従のセルジュに外套を預けると、晩餐のテーブルに着く。そうして間もなく運ばれてきた緑黄色野菜たっぷりのポタージュを匙で掬いながら、げんなりとした表情で言った。
「なんかさぁ、最近フロルとルイって似てきてない?」
「おにい様……この世には言って良いことと悪いことがあるのですよ?」
私が額に青筋を立てながら、不穏な笑顔を兄へと向けると。
「あ、ごめん! 冗談にしても悪いこと言っちゃったね」
「分かってくださったなら良いですわ」
慌てたように手を振る兄に私が深く頷いていると、ジャン=ルイが不機嫌そうな声音で言った。
「お前達……それはどういう意味だ?」
「意味だなんて、わたくし如きがあの公子様と似ているなどと、失礼でしょうと申し上げただけですわ。それともジャン=ルイ公子は、それ以外に何かお心あたりでも?」
私が小首を傾げてニッコリ笑ってみせると、ジャン=ルイは深くため息をついて言った。
「……もういい。いいからさっさと食べろ、囲棋を打つぞ!」
私は内心「勝った!」などとバカなことを思いつつ……一連のやりとりを、どこか嬉しそうに笑いながら見ていた大伯母さまとの会話に戻ったのだった。




