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【書籍化】ナイチンゲールは夜明けを歌う  作者: 干野ワニ
十四章

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124話 疫病対策は草の根っこから

 晩秋のエルゼスに未だ残っていた瘴気病患者は、キナ皮の処方で劇的な改善が見られた。その効き目はまさに『特効薬』で、大きな手応えを感じられるものだった。


 その効果に弾みをつけられるように、行政府では治水計画の立案が本格化していた。統計データを元に図を示しながら、工事期間、予算、人員などの見積もりをすり合わせ、工事の優先順位を決めてゆく。


 この検討会のメンバーには、初めの頃は私の意見をまともに取り合ってくれなかった人も多く含まれている。だが今は、全員が真剣に聞いてくれていた。私の持ち込んだ統計データの収集と解析は、今は保健統計だけでなく、戸籍や収穫データの管理にも用いられている。


 常に領民による開墾を推奨しているエルゼスは、これまでは日々増加する農業用地の完全な把握が追い付いていない状況だった。だが兄の行った検地で実像が詳らかになり、以降、統計学を使ったデータ解析が行われ、農業の効率化や課税、減免の決定などに役立っている。


 こうしてエルゼスでは、蚊取り線香や蚊帳を用いた蚊の駆除に加え、とうとう発生源の治水工事に着手することになった。このまま計画が進めば、来年の夏には瘴気病の新規感染者数もピーク時からの大幅な減少が見込めるだろう。感染者への速やかなキナ皮の処方についても、伝達の仕組みが整いつつあった。


 さらに斑点病(ヴァリオラ)の予防薬についても、魔王国で接種が始まったことにより研究が大きく前進していた。ある一つのテーマを研究するとき、結果は二つ以上のグループで出すことが重要である。方程式を立てるには、式が複数必要なのだ。



 *****



 頭上から光が降り注ぐ暖かい部屋の片隅で、私は大きな蝋板とじっと睨み合っていた。蝋板に書き写されているのは、ガリア全体の白地図である。私は目ぼしい領地に印を付けると、移動に必要な手段と日数を書き込んでいった。


「はいお茶。さっきから何難しい顔してるの?」


 はっと気が付くと、目の前にカップが差し出されている。私はそれを礼と共に受け取ると、両手で包み込みながら答えた。


「年が明けたら次の社交期ですから……。今年こそ他領に斑点病の予防薬を広めたいと考えているのですけど、その輸送方法について検討しているのです」


 実は今日も、おにい様の部屋に入り浸っての作業である。この間エアコン用の石板(タブレット)を貰ったのに、まだここにたまっている理由は……なんとなくだ。ほら、エアコンは一か所に集まった方が省エネになるって言うし!


 私が聞かれてもいないのに心の中で言い訳していると、おにい様が言った。


「輸送か……そういや現地に接種法を伝えるときは、薬と手順書を渡すだけというのはやめておいた方がいいよ。多少時間がかかっても手元で人材を育ててから、スタッフと予防薬はセットで送った方がいい。この世界の度量衡(どりょうこう)は、まだまだ未発達だから」


「度……なんですか? それ」


「計量の基準のことだよ。例えば同じ一モディウスでも、領によっては一割以上も体積が違うことがあるんだ。だから現地の基準で分量を量らせると、こちらの意図する分量とは異なる場合がある。いずれ標準器とか制定して、せめてうちの領内くらいではしっかりとした基準を整備したいと思ってるんだけどね」


「単位が存在するんだから、当然ちゃんと統一されてるものなんだと思ってました! そんなに違うなんてこと、あるんですね……」


 私が取引の殆どを依存するヴァランタン商会の内部ではそこそこ統一されてるっぽいし、魔王国との交易はあちら独自の単位だから気づかなかった。計量カップのサイズが地域によって違っているなんて、驚きである。


「そう。だから少なくとも専用に作った計量器とセットで、理想は経験者を指導役に送った方がいいってこと」


「なるほど、分かりました! ……って、あれ」


 一瞬、得心の行ったように頷いた私だったのだが。


「ん、どうしたの?」


「いえ……そんなに計量の基準に差があるのなら、換金率の高い商品を単純に動かしただけで、差分で儲けが出せそうだなって」


「ああ確かに……って、そっち!?」


「とはいえ輸送コストを超えられなければ意味ないですけれど、何かのついでなら……そうだ、商人に検討を持ち掛けてみようかしら? ああでも、とうに知っていることかしら……」


「相変わらず、金策には余念がないね」


 苦笑する兄に、私は軽く口を尖らせながら言った。


「だって、治水工事を進めるには予算はいくらあっても多過ぎる事などありませんわ」


「もちろん、エルゼスの守護聖人(パトロン)にはいつも本当に感謝してるよ。ありがとう」


 私は胸に手を当てると、わざとらしくドヤ顔を作る。


「どういたしまして。今後も期待して頂いてよろしいですわ!」


「ははは、よろしくね!」



 *****



 そうこうするうちに、やがて年が明け。今年度の社交シーズンが始まって早々、私と兄は王都に移動した。まずは友人たちの領から予防薬接種を広められないか、動き出すことにしたためである。


 アントワーヌ伯爵領、そしてシャンパール伯爵領は、当主を始めとして合理主義者が多い土地柄で、統計データを交えて説明したらさっそく乗ってくれた。二領共に行商人の行き来が多く、疫病が入り込みやすい土地柄ということも影響したようだ。


 こういった事への理解が早いロートリンジュ公爵領のポール卿も、そんなことをやっていたのかと呆れながら、一定の理解と前向きな姿勢を示してくれた。



 そして、ある日のボルゴーニュ侯爵邸――。


 応接室に通された私は、兄と共に一通りの説明を終えたのだが。兄の向かいに座っていたアンリ卿は、難しい顔をしたまま首を振った。


「疫病を予め防ぐことが出来る薬が存在しうるなんて……思いもよらなかったよ。僕としては信じたい。だが、公に前例のない物に父上の了承を得られるとは、とても……」


「でもお兄様、このお二人の仰ることなのですから、きっと大事なことなのですわ。それにアントワーヌ領やシャンパール領でも、話が進んでいるのですよ」


 傍らの(アンリ)を見上げて、オレリア嬢が執り成すように言う。だがアンリ卿は困ったように、僅かに眉尻を下げた。


「しかし、オレリア……」


 ――その時。


「アンリ、ちょっと二人だけで話がしたい。オレリア嬢、フロル、申し訳ないけど席を外してもらえないかな」


 静かに、だが否定のし難い雰囲気で、(アルベール)が言った。


「ああ、僕は構わないが……」


「では、フロランス様はわたくしの部屋へいらっしゃいませんか?」



 *****



 オレリア嬢の部屋に着くなり、彼女は勢いよく頭を下げた。


「フロランス様、申し訳ございません!」


「ど、どうなさったのですか!?」


「実は……アウロラ王太子妃殿下にわたくしたちの筆名がバレてしまったのです。問い詰められたら、白を切り通すことができなくて……本当に、ごめんなさい!」


「ああ、あれが……」


 私がミヤコの記憶をもとに原案を出しオレリア嬢が執筆している説話集は、すでに数冊を数えていた。特にオネエ様から聞いた話を元に『かぐや姫』をハッピーエンドにアレンジした『月の姫君と六人の貴公子』は、発行直後から大人気であるとオレリア嬢から聞いていたのだが。


 それらの説話集は、オレール卿とフロラン卿の共同名義で発行されている。この国では良家の女性が作家をするのはあまり歓迎されないので、どうせ偽名だし男性作家っぽくしたのだが……。


『ボルゴーニュ侯爵が発行しているこの作品、男性名義だけれど……この作風は女性のものという気がしてならないの。ところで、貴女は()()()()ス様と仲が良いらしいわね。ねぇ、()()()ア様?』


 そう妃殿下に詰められて、つい答えてしまったらしい。


「まあ、ちょっと名付けが安直すぎましたよね……」


「ですね……。それで実は、一度フロランス様と共に遊びにいらっしゃいとのお言葉を賜っているのです。知られたくないとおっしゃっていたのに、本当に申し訳ないのですが……ご都合のよろしい日取りを……」


 小さくなりながら言うオレリア嬢に気にしないでと告げて、二人で手紙を書いて王宮に使いを送った。考えていたよりも時期が早いけど、王家の方と個人的な面識を強化できるなら、それに越したことはない。


 だが次にオレリア嬢の部屋の扉をノックしたのは、返事を持った使いではなく、話し合いを終えたらしい兄とアンリ卿だった。


「お待たせ、フロル。アンリも協力してくれるそうだ」


「本当ですか!?」


 一体どういう話をして、協力してくれることになったのだろう。私が軽く首をかしげていると、アンリ卿が言った。


「ああ。アルベールの作った物だ。父は必ず説得しよう」


「ありがとう。ただ一つだけ訂正しておくと、予防薬を作ったのはぼくじゃない。フロルだよ」


 それを聞いた彼は目を見開いて私の方を見ると、少しだけ困ったように笑って見せる。


「ああ、そうだったね。君たち兄妹は……二人共、『特別』なんだな」


「別に特別なんかではありません。私達はいつだって、ただやりたいことをやっているだけですわ」


 私の言葉に兄が同意するように笑ってうなずくと、アンリ卿は今度は吹っ切れたように笑った。


「ははっ、そうか、『やりたいこと』か! ……僕も君たちに負けないように、やりたいことを見つけるとするよ」


 その日は結局、王宮からの返事は無いまま――ボルゴーニュ侯爵邸での会合は、お開きとなった。



 *****



 こうして四つの領で次々と、予防薬接種の開始が決定した。実はエルゼスからこれらの四領とは、地続きの位置にある。南隣のボルゴーニュは言わずもがな。そして西隣のロートリンジュを挟んだ向こう隣りに、シャンパールが。さらにシャンパールの北にアントワーヌがあるという位置づけである。


 近隣の領で流行が抑えられていれば、自領へのキャリア流入も抑えられるという訳だ。これらガリア北東部に集中した領地で同時に対策が進められていることは、大きな相乗効果を生むだろう。


 ――そう聞くと、予防薬の普及はとても簡単にいっているように聞こえるかもしれない。だがこれには、カラクリがあった。それは、接種の対象としてお願いしているのが、一部の層の民……ひと言で言えば『路地裏の民』であるという点である。各領の下町で開かれた接種会場に炊き出しを併設してもらうと、すぐに接種を希望する人々が集まった。


 そうでもなければ、『予防薬』などという前例どころか考え方自体が存在しなかったモノを……病気でもないのにわざわざ接種してくれようという人なんて、滅多に存在しないのである。生まれてすぐにワクチンの恩恵を受けながら育つ現代日本人とは、それに対する信頼度自体が違うのだ。


 とはいえ、黴菌(バイキン)の存在と、その予防接種の有効性を世界に知らしめたルイ・パスツールのように、動物を使った大々的な公開実験をやることは……現状では不可能だ。そんなことをして目立った瞬間、教典を否定する悪魔の実験だとか言われて、カタロニアから異端審問官がすっ飛んで来るだろう。


 特に現法王であるマルコス一世法王聖下の周囲を固めるメンバーは、ものすごく真面目で原理主義的な皆さんの集団だ。そんなマルコス派の異端審問官なんて、説得も懐柔も絶対に無理な人たちだろう。この世界の情報伝達のショボさを最大限に活用し、気付かれないようコッソリやるのが最善策なのである。


 だがそんな状況でも、あえて最初のターゲットを下町に絞り、なんとか水面下で接種を推し進めようとしているのには理由があった。近年この国の都市部で起こった疫病蔓延の初期段階は、人口が密集し、不衛生で、栄養も不足しがちな……下町から始まることが多いためである。


 逆に言えば下町での急激な感染爆発さえ防いでしまえば、少なくとも初動を緩やかに抑えることができるだろう。疫病で最も怖いのは、感染の集団発生(アウトブレイク)なのだった。


アウロラ妃殿下を掘り下げる短編「嗤われた王女は婚約破棄を言い渡す」を先ほど投稿し、シリーズに追加しています。

後の話の中でその話題に少し触れますが、読まなくても支障はない程度です。

タイトルを見て興味がありそうな方、よろしくお願いします。

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