119話 廃棄の塩はピンク色
――翌日。今日は丸一日、領内の視察をする日ということにしたらしい兄と共に、私はモルコ村へと向かった。モルコ村を治める郷士であるエルヴェ・モルコ卿は、節目のイベントのたびに質の良い葡萄種子油を贈ってくれる大変有り難い御仁である。私の髪のツヤはモルコ村に支えてもらっているようなものなのだ。
「これはお館様! お話は伺っておりますぞ。こちらにご用意いたしております」
エルヴェ卿は従者に一抱えほどもある麻袋を持ってこさせると、目の前の地面にドサリと置いた。その衝撃でほんのりと、袋越しに湯の花っぽい臭いが漂ってくる。
「代金は充分に用意したつもりだけど……こんなに多量に分けてもらって問題はないのかな?」
「はい。今年の新酒も完成し、ちょうど予備がだぶついていたところですので。そしてこちらは、よろしければ姫様へ」
エルヴェ卿から手渡された小さな布包みから出てきたのは、親指の先ほどもある大きさの、色鮮やかなビタミンイエローの石である。
「これって……宝石!?」
「これは、硫黄の結晶でございます。稀に見る綺麗な個体がございましたので、ぜひ姫様にご覧いただこうと」
「硫黄って……こんなにも大きくて綺麗な結晶なのですね! もっとチクチクした感じのものだと思っていたのですが」
「ああ、硫黄は温度で結晶の形が変わるんだよ」
「へぇ……」
私は黄色く透き通った結晶体を、指で摘まみ上げた。想像していたような硫黄臭は全くなくて、宝石として使われていないのが不思議なくらいだ。
「この結晶、エルヴェ卿さえよければエヴァンドロ司教猊下への献上品にさせてもらえないかしら?」
「もちろんですとも。そういえば、猊下は珍しい結晶をお集めとのことでしたな。硫黄自体は珍しいものではありませんが、この美しさのものは滅多に見られないものでしょう」
「ありがとう! ちょうど明後日お会いするから、これはいい手土産になりそうだわ」
「手土産になさるということでしたら……そういえばミュリーズ村で最近出た食べられない塩が、なんでも桃色で美しい結晶体を持っているそうですよ」
「ミュリーズ村……この近くにある先住民の村か」
「左様でございます」
「領内で採れる『高純度の塩』、だが『食べられない』か……興味あるな。フロランス、少し様子を見に行こうか」
「はい!」
兄はミュリーズ村に先触れの使者を出すと、少しだけモルコ村の住民たちの様子を視察してから行くとのことだった。今年の収穫予想など何やら難しそうな話が始まったが、どうやら私はそっち方面にはあまり適正がなかったらしい。ならばせっかくの空き時間は、有効活用しておこう。そう考えた私は兄と別行動を取って、村を見て回ることにした。
すると間もなく数人の男の子たちがワラワラと寄ってきて、私の周囲を取り囲む。
「わぁ! お姫さまだ!」
「お姫さまって、うまいもんくれるんでしょ!?」
「ねぇ、オレにもちょーだい!」
手を差し出してくる子ども達を見ながら、うまいもんくれるって何だろう? と一瞬考えたが……そういえばワークショップの話でも、母や姉などから聞いたということだろうか。
「こら、お前たち、やめろ!」
護衛に付いてきてくれていたステファンが、すかさず制止の声を上げる。
「いいのよ。よかったらこれ、まだ試作品なんだけど……」
そう言いつつポーチのふたを開けて、おやつ用に持って来たバニラが香る焼菓子の袋を取り出そうとしていると。だがそれを見たステファンは、制止するかのように静かに手をかざした。
「姫様のご厚情を賜り、深く御礼申し上げます。しかしここは、私にお任せください」
驚きつつも頷いて、私が手を止めると。ステファンは自分のウエストバッグから、騎士達に支給している携行食の包みを取り出した。そして包みを開くと、周囲の子どもたちへと一つずつ配ってゆく。
当家で支給している携行食は、干した葡萄とナッツ類をたっぷりと練り込み堅く小さく焼きしめた、栄養満点で保存が利くパンのようなものである。
「ステファンさま、これすっごいウマいね!」
受け取ってすぐにその場で食べ始めた子どもたちを見て、ステファンは少しだけ恥ずかしそうにこちらへ目礼を送る。そして改めて子どもたちの方へと向き直ると、言った。
「大人になったら兵士として、立派にロシニョル家にお仕えするんだぞ。そうすれば、これを毎日食べることができる」
「毎日!?」
「ああ。腹いっぱいもらえるぞ」
「うわー! オレぜったいなる!」
「オレも!」
大騒ぎする子どもたちと別れて少し歩いたところで、ステファンが小声で言った。
「当家の村民が大変お見苦しく、失礼いたしました」
「ステファン、ごめんね……私の分をあげて大丈夫だったんだけど」
「僭越ながら……それはなりません。姫様が食べていらっしゃるようなものを、彼らの親は買ってやることができません。二度と食べられないのなら、味を知らない方が幸せということもあるのです」
「そんな……」
困ったように笑うステファンを見て、私は恥ずかしくなって項垂れた。何だかんだ言って、私はまだまだ世間知らずなのだろう。
「ごめんなさい、私、気付かなくて……」
「いえ、姫様のご温情に差し出がましくも意見してしまいまして、本当に申し訳ございません。下々の意見を真摯に受け止めてくださる主を持ち、我らは幸せにございます」
ステファンは立ち止まって笑うと、右手を胸に当て頭を下げた。
手の届く範囲の子どもに、お菓子をあげるのは簡単だ。だけど、その後は? ……安易な施しではなく領全体を豊かにすることこそが、領主の背負う使命なのだろう。私にも、何か手伝えることはあるだろうか。
「フロル、そろそろ行くよ」
顔を上げると、道の先でおにい様が手を振っている。
「はい!」
私は笑顔で駆け寄ると、共に村を後にした。
*****
馬を歩かせること、十数分ほど。ミュリーズ村に到着すると、すでに数名の村人たちが村の入り口で待っていた。領主が急に訪問したら村人は大変なんじゃないかと思ったが、兄によると知らせから日を置くと逆に気を遣わせて、接待の準備をされてしまうことが多いらしい。
それにいつフラっと来るか分からなかったら、適度な緊張感と同時に、逆に親しみを感じてもらえるということだった。領主をやるのもいろいろと気を遣うことが多そうで、本当にお疲れ様である。
私たちはさっそく村人の案内を受けて、村の裏手にある低山へと向かった。そこにあったのは、一度採掘しかけたものの捨てられたといった雰囲気の洞穴である。
村人は岩肌を指し示してから、手のひらに以前に採れたのだといういくつかの結晶を広げて見せた。
淡いサーモンピンクが半透明に光る結晶もあれば、白・橙・茶がマーブル模様を描いているものもある。大小様々な結晶がそれぞれ個性的な集合体を作っているが、その一粒一粒の結晶の形は……よく見るとどれも綺麗な立方体ではないか。立方体というといかにも塩の結晶って感じだけど……どうなんだろう。
「これがあの岩場から採れた、『廃棄の塩』と呼ばれとるもんです。純度も高うて簡単に採れるけんど、苦うてまともに食えたもんじゃあのうて。面倒でもあっちの山で溶かし塩を作っとるんです」
味見用にと差し出された欠片を受け取り、ほんの少し舐めてみると……ちょっとだけ心当たりのある味がする。
「あ、ほんとだ。しょっぱいけど、なんだか苦いですね。なんか『にがり』みたいな」
それにしても見た目はそっくりそのままヒマラヤのピンク岩塩なのに、食べられない塩なんてあるんだな……残念。
「それでも溶かし塩の製塩は面倒じゃと、これを塩がわりに食うとった者もおったんですが……吐き気や手足のしびれが出るんで、やめたそうです」
「待てよ、にがりみたいな味のする岩塩って……シルビンじゃないか?」
「シルビン……って、何ですか?」
「カリウム岩塩だよ」
「カリウム!?」
「ああ。もしこの予想が正しかったら……」
「電解質だ!」「肥料になる!」
同時に違うことを叫んで、私達は顔を見合わせた。
「そういえば、この塩を食べ続けた人に出たという、手足のしびれに吐き気……高カリウム血症の症状に似ていますわ」
「なるほど。それなら恐らく当たりだろうけど、もらって帰って検証してみようか。例えばカリウム単体なら炎色反応はピンクになるけど……たぶん純粋なカリ塩じゃなくて、ナトリウム塩と混ざったものだろうなぁ。正しく使うためにも含有率とか分かればいいんだけど」
ひと言で塩といっても、いろいろな種類がある。よく食塩と呼ばれるのは、ナトリウム塩のことだ。いつも塩として意識しつつ食べるのはそのナトリウムの塩だけど、カリウムも人体にとって重要な物質である。足りないと低カリウム血症を引き起こし、逆に多すぎると高カリウム血症を引き起こすのだ。
もっとも、普通に野菜とか食べていればカリウム単体で不足にはなかなかならないけれど……近々想定される普通じゃない状況を考えると、重要アイテムとなってくるだろう。
「でも分析器もないのに、どうやって含有率を調べるんですか?」
私の問いに、だが兄も思案顔である。
「うーん、今思いつくのはさっきの炎色と、あとは比重くらいかなぁ……。ちょっと考えてみるよ」
「お願いします!」




