114話 便利な物は皆既に使ってる
キナノキはあっけないほどに、すぐに見付かった。樹皮が解熱剤になると既にあちこちで栽培されて、便利に使われていたからである。ならばなぜキナノキが瘴気病の特効薬だと気付かれていなかったのかというと、単純にこの大陸にはまだ瘴気病が上陸していないからだった。
さらに皇帝から協力者として紹介された植物に詳しい呪術医から、ゴムノキの情報まであっさりと得られた。さっそく呪術医から聞いた村へと向かうと、なんと村の入口付近で子どもたちが小さなゴムまりを投げて遊んでいる。そこまでの弾力はないけれど、子ども達にスーパーボールが人気なのはどこの国でも同じようだ。
では他にどう使っているのかを見学させてもらったら、なんと行われていたのはゴム引きの防水布作りである。これは改良していけば、防護服やゴム手袋などが作れそうだ。
「こんなに簡単で、良いのでしょうか……」
ゴムの村からインティワタナ王の宮殿へと戻り、庭園に向かうテラスで午後のお茶を頂きながら……私はなぜか物足りなさを感じて、眉をひそめた。
「もっとこう、アンデスの険しい山中とか、アマゾンの深い密林とかを探検して、やったー新発見! ……的なものを期待、もとい覚悟していたんですが……」
「何よアナタ、わざわざ苦労したかったの? アタシならゴメンよォ、そんな苦行」
テーブルの向かいに座るオネエ様が、呆れたような顔をする。
「そりゃあ、私も苦労なんて、できるだけしたくないですけど……なんか拍子抜けしてしまって。でもそんな便利なもの、千年以上地元に住んでる人なら既に使ってても不思議はないんですよね……」
「そりゃあそうでしょうよ。まあ目的は達成できたんだし、もう明日には帰るのよね? タワンティナで過ごす最後の一日、楽しみましょ!」
「はい……」
まだ納得のいかない顔を崩せないまま、私はオネエ様の差し出す黄金色のゴブレットを受け取った。
「お、重たっ! まさかこれ……純金!?」
「そうよ。この国は金が豊富に産出するからねェ」
ああそっか、インカといえば黄金の国だもんね……なんてことを考えながら、ほんのり甘い香りとスパイシーな香りが不思議に混じり合う金杯に、私は口をつけた。
「あれ、甘くない……」
「ああ、ショコラトルの甘い香りは、バイナっていう香辛料のものよ。だから匂いは甘そうだけど味は甘くないの」
「へぇ、香辛料の……」
私は再び温かい坏に口をつけて、まろやかで、だがどこか苦酸っぱい液体を味わった。しかしその苦味や酸味は嫌なものではなくて、どこかクセになるお味である。
「これって、なんだか不思議な飲み物ですね。身体がポカポカしてくるみたいです」
「疲労回復や滋養強壮に効く薬湯よ。ホントか分からないけれど、媚薬効果があるなんてことも言われているわねェ。貴重品だから基本的に高位の魔族しか飲めないものだけど、精神高揚作用もあるから戦士が戦いの前に飲んだりもするみたいよ」
「へぇ……」
私は改めて、手の中の飲み物を覗き込んだ。茶色く濁り、どこかトロリとしたその質感は、なんだかココアを思わせる。甘くないけど……って、そうだ、この香り……色々と混ざって分かり難いけど、ココアパウダーの香りだ!
そういや味の方も、純ココアを間違ってミルクココアのつもりでそのまま飲んだら「何これ!?」ってなったときのクセを、何十倍にも強化した感じじゃない!?
「これって、どうやって作っているのですか!? もしかして、こんな変な感じに生る木の実の種から作ってはいないでしょうか!?」
私はドレスの隠しポケットから、いつも持ち歩いている蝋板をゴソゴソと取り出すと。枝ではなく幹に直で鈴生りになっている、ラグビーボール型の木の実を描いて見せた。
「あら、なんで知ってるの? 確かにカカオの実の付き方は特徴的よね」
あれ、名前もまんまカカオなんだ。そういやここって南米だし、確定じゃん!
「やはり……これも、この国で採れるのですか!?」
「いいえ、メシカ魔王国よ」
「それって、どのへんでしょうか!?」
点火で蝋面を均してから、私は次に、少し傾いた逆三角形を描いた。だがオネエ様が指差したのは、それの少し上である。
「メシカは……確かこのへんかしら」
「え、では」
私は上にくっつくように、もうひとつ逆三角形を描く。
「これだと、いかがですか?」
「ここね」
オネエ様の綺麗な長い爪が、南米ではなく北米大陸の下の先の方を、ツンツンとつついた。ええと確かこのへんは、メキシコとかだったかな?
そういやカカオの産地のイメージは、なんとなく南米だったんだけど……。北米っぽいのは意外だったかも。
「メシカ魔王国に伺うことはできないでしょうか? このカカオをぜひ、輸入したいのですが」
「あそこは今の魔王様が保守的だから、ヒトの法術師の訪問は難しいわねェ。ただ、ウチの国が交易を中継することならできるわよ。カカオじゃないものだけど、ウチを通してパルシアと交易してるものが少しあるから」
「メシカが……パルシアと!?」
「ええ。それとタワンティナの産品もね」
ゲルマニアとパルシアの間で密かに交易が行われているのは知っていたが、まさかパルシア商人が中南米にまで手を伸ばしていたとは……うーん、それに対抗するには、こっちも商人を連れてくるしかないかしら!? たとえ教会を敵に回しても、ヴァランタン商会なら利益次第で協力してくれるかも……。
私が考え込んでいる間も、オネエ様は続けた。
「ただしカカオは、通貨代わりとして使われるくらいの貴重品なのよねェ。仲介手数料抜きでも相応のお値段がするわよ?」
「大丈夫です!」
もしカカオからチョコレートの開発に成功したら、他業者には絶対に真似のできない目玉商品の爆誕だ。ほんの少しを珍重そうにお出しする程度の量で、むしろ希少性を煽っていけばいいだろう。
「じゃあメシカの方には、アタシから話を通しておくわ」
「ありがとうございます。これで野望に一歩近付くことができますわ!」
私が満面の笑みで礼を言うと、オネエ様は苦笑混じりの表情で言った。
「お次は一体、何を思いついたのかしらネ。良いモノができたなら、またご相伴にあずかりたいわァ」
「もちろんですわ。楽しみにしていてくださいね!」
私は上機嫌で笑うと、前のめりの姿勢からゆったりと座り直して、ショコラトルを口に含んだ。ようやく景色を楽しむ余裕ができて、ガリアとは大きく異なる植生を持つ庭園を見渡してみる。
そこに赤く可愛い実をつけた植物でできた生垣を見つけて、私は驚いた。王宮にある庭園で野菜が栽培されているなんて……珍しいけど、まさか。
「庭園のこんな目立つところで野菜を作るなんて、珍しいですね。あの赤い実は、なんという名前でしょうか?」
「トマトゥルのこと? なら野菜じゃなくて、観賞用だけど」
トマトゥルって……やっぱり、まんまトマトじゃん!! むしろトメィトゥより、さらにトマト寄りじゃん!!
……なのに観賞用って、どういうことなんだろう。
「あんなに立派な実を、食べないのですか? ……もしや毒があるとか」
「毒はないけどねェ、なんでも青臭くて食べられた物じゃないみたいよ。でも見た目が可愛いから、観賞目的で人気なの」
「なるほど……」
私は後ろに控えていた小鬼族の給仕さん経由で庭師さんにお願いすると、ミディトマトサイズの赤い実を一つ洗ってきてもらった。
ナイフで実の一部を削ぎ取ると、途端に青い臭いが漂ってくる。さっそく口に入れようとして私は寸前で思いとどまると、点火でよく加熱してから断面を舐めてみた。
うーん、異様に青臭い上に、酸味もすごい……正直言って雑草ぽくて、食べ物とは思えない感じだ。そういやミヤコのお母さんが、子どもの頃はトマトは青臭くて嫌いだったけど、今はまるで果物みたいよねとか言っていた。これはさらにそれ以前の、原種ということだろうか?
品種改良は専門外だし、すぐには活用できなさそうだけど……とりあえずいつか余裕ができたら観賞用で輸入してみようかな。
私は脳内お土産リストの中に、カカオとトマトを追加したのだった。