113話 オネエとお手軽南米ツアー
第一の大きな目的を達成し、さらに予想外の収穫も得られた私は、オネエ様と南米ツアー……もとい、キナノキ捜索の計画を立てていた。
キナノキはジャガイモと同じく、スペインの征服者の手によってインカ帝国からヨーロッパへと持ち帰られたものだ。つまり、南米大陸の西海岸側、それもアンデス山脈の高度の高いあたりが原産だろう。
さらに兄情報によると、ゴムノキお持ち帰りの犯人も、どうやらコンキスタドールである。上手くいけば、両方まとめて手に入れられるかもしれない。
「その位置なら、やっぱりタワンティナねェ」
私の描いた逆三角形に毛が生えたような雑な地図を、オネエ様はなんとか理解してくれたようである。タワンティナとはここに来て何度か聞いた名前だが、インカ帝国の場所で合っているのだろうか。
「できれば私が自ら現地に赴きたいと存じますが、どのくらいの航海日数がかかるのでしょうか……」
今回おにい様と約束した滞在期間は、あと半月しか残っていない。どちらにしろ一旦エルゼスに戻って旅の準備が必要として、次は何日ほどかかるかくらいは、おにい様に報告しなければ。
魔族の持つ航海技術がどれほどのものかは分からないけれど、キニーネ発見のきっかけは、南米で熱病にかかったスペインの伯爵夫人を治すためだったと言われている。あの時代に貴族女性が南米に行っていた……というのであれば、私の残念な体力でもワンチャン海を渡れるのでは!?
だが私の心配をよそに、オネエ様はお気楽な様子で言った。
「ああ、船なんて使わないわ。界門を使うから」
「トーア?」
「人族で界門を渡るのは、おそらくアナタが始めてになるわねぇ。大丈夫、一緒に行ってあげるから」
そう言って、オネエ様はひとつウインクして見せた。
*****
「お待たせしました」
「あら、もう準備はいいのかしら?」
待ち合わせの部屋で先に待っていたらしい閣下は、そう問いながらノーメイクの顔をこちらに向けた。その服装は黒に近い深緑を基調としたビロード製で、袖口のレースを除けば軍装寄りのデザインの詰襟服である。いつもは下ろされている長い銀髪も、今は後頭部の少し低めのところで黒いリボンで一つに括られていた。
「オネエ様、今日は正装なんですね」
「まあ外国の魔王様に会うからねェ、たまにはキチンとしなきゃ」
「うちに来たときは着流しだったのに……」
「あらごめんなさいネ、実はちょっと反応を見たかったのよォ。まあいずれ公式に訪問することになったら、そのときは正装で行ってあげるワ」
そう言って閣下はウフフと笑うと、部屋から出るよう私をうながした。
「さて、秘密のお部屋にご案内しましょうか」
閣下の後をついて城内を歩くこと、しばし。やがて神殿を思わせるような、大理石に覆われた天井の高い部屋へと到着した。他とは少し異なる雰囲気の部屋に入ると……そのど真ん中に、それは鎮座していた。それは私の身長の三倍は優に超えそうな、大きな大きな鏡である。
だがよく見るとその鏡面は薄紫色の光を纏い、どこか不安定に……映すものを微かに揺らしている。鈍色の縁取りに刻まれた呪術的な文様には、ときおり滑るように白い光が筋を描いた。
「これが、界門……」
「そうそう。これが置かれている場所同士なら、いつでもこれをくぐって行き来ができるのよ。まあそう気軽に使えるものじゃないから、設置されてるのは主要都市の城くらいだけどね」
「私が知っている法術では、このような存在は説明がつきません……」
「そりゃあアナタたちの使う法術なんて、アタシたちの魔法のごくごく一部にすぎないんだもの。当然よォ」
今は繁殖力の差で魔族を押し返している人族だが、当初はあっという間に敗北してしまったのは……無理もないことだったのだろう。そして人族では考えられないようなあの高位魔族達の湧き出るようなフットワークの軽さは、こんな移動方法を持っていたからだったのか。
そんな私の心のうちを、ヴュルテン公は知ってか知らずか……にこやかにこちらに手を差し出して、言った
「さ、お手をどうぞ。迷子にならないように、しっかりつかまってるのよ?」
「え、まさか……この鏡? に、突入するということですか!?」
「その通りよ。大丈夫、怖くないから、ネ!」
「はい……」
私が恐る恐るオネエ様の手を取った瞬間。ぐいっと強く手を引かれ、輝く鏡面へと向かって引き込まれた。
ぶつかる……!
そう思った刹那。トプンと水につかったような感覚に包まれると、もう室内の景色は、すっかり変わってしまっていた。こちらは大理石ではなくて、壁は薄黄色の滑らかな岩肌に覆われている。
「あれ……もしかして、もう着きました?」
「ええ、着いたわよ」
もっとこう、四次元空間的なゾーンを通り抜けたりするのかなと思っていたから……ちょっと拍子抜けかも。
「こんなに簡単に、大陸を渡れるなんて……」
呆然として呟くと、閣下は苦笑しながら答えてくれた。
「まあ通行は簡単ではあるけれど資源を大きく消費するものだから、いつもはごく限られた魔人しか使えないものなのよ? 感謝なさい!」
「はい、それはもう!」
*****
到着してすぐに御目通りが叶ったこの国の魔王インティワタナ陛下は、よく日に焼けた肌にサラサラとした長い白絹の髪を持つ青年だった。もっとも、魔力次第で青年期の長さが決まるらしい魔人のことだから、実年齢は分からないけれど。
「タワンティナの白き神、王国の父たる魔王インティワタナ陛下に、姓はベンツァー、名はウルリヒより、ご挨拶申し上げる」
そう口上を述べると、起立のまま胸に手を当て、正装の魔公爵閣下は頭を下げた。この男性用の挨拶の姿勢は、この国でも西大陸でよく見るタイプとほぼ一緒であるようだ。
「ウルリヒよ、久しいな。今日は珍しい客人を連れてきたそうだが」
「はい。フロランス、ご挨拶を」
どうやら魔族の皆さんが全員フランクというわけではなかったようで。この国の魔王陛下はメル陛下とは違い、けっこう形式を重んじるタイプらしい。それをオネエ様からあらかじめ学んでおいた私は、西大陸とは大きく異なるタワンティナ魔王国式の淑女の挨拶の姿勢をとった。
スカートを膝下に折り込むようにして両膝をつき、魔王陛下に向かってまっすぐに両手を差し伸べる。そして頭を垂れて、初対面の口上を述べた。
「わたくしは父エドゥアール二番目の子。姓はロシニョル、名はフロランス。エルゼスの地に生を受け、十六年が経ちました。タワンティナの白き神、王国の父たる魔王インティワタナ陛下に、謹んでご挨拶申し上げます」
「よかろう、そなたの挨拶を受けよう。……ふむ、我が国の文化をよく学んでおる。ソツがなくてつまらんが……」
えええ、形式を重んじるタイプだったのでは!?
「まあかまわぬ、面を上げよ」
上げたままの腕が、自重でプルプルとし始めた頃――ようやくぞんざいな許しの声が、頭の上から降ってきた。私はほっとして、腕を下ろして顔を上げる。
心臓に悪いです……。
「さて書状によれば、この国に西大陸を悩ませる疫病の、特効薬となる薬木があるとのことであったな」
「はい」
「なぜ、そのような事が言い切れる。もう千年以上、西大陸から新たにこの地に踏み入れた人間など、おらぬはずなのだが」
値踏みをするような視線を受けて、私はごくりと唾を呑み込むと。慎重に、口を開いた。
「それは……私は、神託を受けたのです」
「神託……だと? あの、忌々しきフィリウス教の神のものだとでも言うのか?」
「それは『はい』であり、また『いいえ』でもあります。私達の法力の源が、魔人の祖先の魂だと知ったとき……私は気付いたのです。私達に法力を授けた『神』とは、すなわち古代を生きた魔人の祖先のことを指すのではないか、と」
「つまり、そなたの神託とやらは、古代の魔人からもたらされたものである……と?」
「仰せの通りにございます」
「ふむ、前例のないことではあるが……ウルリヒよ、そなたはこの娘の戯れ言を信じたのか?」
魔王陛下から顔を向けられて、閣下はいつになく低い声音で口を開いた。
「私は、神託とやらの存在を信じたわけではありませぬ。ただ、この娘は……神託を受けて創ったとのたもう疫病の予防薬の効果を、我らが目の前でその身を以て示したのです。私と我が女王陛下は、この娘に賭けてみたくなりました」
「……ウルリヒよ、他ならぬそなたとメルツェーデスが信用に足ると言うのなら、余は信じよう。フロランスとやら、その方に、かの薬木を探す許可を与える。ただし正式な交易品目とする場合、価格や量は別途交渉するとする」
「幸堪の至りに存じます!」
「このウルリヒよりも、魔王陛下に御礼申し上げる」
インティワタナ王の前でのオネエ様は、すっかり威厳のある魔公爵モードである。そんな閣下を前にして、なぜか魔王は呆れたように笑った。
「しかしながら……あの氷の女帝が、ヒトの小娘ごときにまたえらく肩入れしたものよ」
「だあってェ、この子ったら……まだ若いのに、イイ瞳をするのよォ」
突然オネエ言葉に戻ってニヤリと笑う閣下に、魔王は苦笑した。
「ハッ、そなたは相変わらずの変わり者よな。しかし遠き同胞、それも旧き友たっての願いとあらば、叶えてやらぬ訳にもいくまいて。捜索には出来うる限りの便宜をはかるよう、命じておこう」
「感謝するわ!!」




