103話 ランチタイムにバーガーを(2)
給仕に席を用意してもらってひと息つくと、私達はさっそくブランディーヌ嬢から話を聞き出した。どうやら先ほどの涙の理由は、家臣の娘が中心であるいつもの取り巻きたちに、陰で笑われているのを聞いてしまったかららしい。
「本人は薄っぺらいくせに親の権威と財力をかさにきて、自慢ばかりでうんざりするんですって……。でもみんなが褒めてくれるから、嬉しくって、わたくし、もっと見せたいなって思って……」
そう言って、ブランディーヌ嬢は再び涙を浮かべた。イイネがいっぱい付いたから、これがウケるんだと思って繰り返す。でも付けていた方は、義理のつもりだったということだろうか。いつの時代も、親世代の利害がからむ関係は大変なようだ。
「その点、フロランス様はいいですわね……戦場の天使と呼ばれ、家臣たちからも慕われているとか。かの『氷の女帝』を退け『紅蓮の若獅子』と謳われるほどの、頼れるお兄様もいらっしゃいますし……」
「わ、若獅子!?」
「ええ。吟遊詩人の語る戦記で、エルゼス侯爵閣下はそのように」
耳慣れない単語を聞いて、私は盛大に吹き出しそうになった。机に突っ伏すようにして、むせそうになるのをなんとか我慢する。
「大丈夫ですか!?」
心配するオレリア嬢の声に小さく手を挙げて応えると、私はなんとか息を整えて言った。
「だ、大丈夫ですわ」
おにい様のネタ、今そんなことになってるの!? あのおじい様ですら小鳥なのに、まさかの若獅子って……帰ったらからかってやろう。
「皆さま誤解なさっていますけど、吟遊詩人の語る戦記は誇張が基本ですから! 実際はそれほどでもありませんのよ」
慌てて否定する私に、オディール嬢は恐ろしい事実を教えてくれた。
「あらでも、吟遊詩人だけでなくベルガエ騎士団の皆様も同様におっしゃっていたわよ。今回は珍しく、皆さま長く王都にいらしたものだから。フロランス様がいらっしゃる前、今期の社交界はその話題で持ちきりだったわ」
魔王国との領土争いは、いつ全面戦争に発展するか分からない。だから北東部以外の貴族にとっても、その動向は常に注目の的だった。
そこに凱旋して来たのが、ベルガエ騎士団である。久しぶりに王都にある自邸へと戻った彼らが、情報に飢えた人々から質問攻めに合うのは……ごく自然な流れだった。
「騎士団の、特に治療術師の皆さまが、社交界で口々にフロランス様を誉めていらしたわよ? 吟遊詩人たちの方も今一番人気の演目らしいから、王都中の庶民にも広まっているんじゃないかしら」
「そ、そうなんですか……」
吟遊詩人とは、日本で例えるなら琵琶を弾きながら街角で平家物語を語ってまわる、琵琶法師みたいなものだ。建国神話を手始めに、戦記の英雄伝や悲恋物語などが人気の演目である。娯楽の少ない庶民も無料で楽しめる、今一番人気のエンタメなのだ。
ところがまともな報道機関のないこの世界で、遠方で起こった事件を伝えるのは主に吟遊詩人たちなのである。エンタメだから脚色が基本なのに、実話として語られるからなかなか厄介だ。
平家物語も合戦があった場所日付とかは合ってるんだけど、内容や経過とかはご時世に都合良く作られたフィクションだらけだって言うもんね……。
領地の後片付けに追われて、なかなか王都に来られなかったうちに……面白おかしく噂が誇張されたまま、すっかり拡散してしまったようである。まあその前フリのおかげで、心肺蘇生なんて無茶しても衛兵に斬り捨てられずに済んだのかもだけど……次の夜会が怖い。
「フロランス様は本当にすごいですわ。わたくし、隣領なのに何もできませんでした……。こうして無事にまたお会いできて、本当に良かったです」
しみじみと言うオレリア嬢に、オディール嬢が同意するようにうなずいた。
「ええ、本当に。そういえばうちの弟、エルゼス開戦の第一報を聞いたとたん『あの兄妹を失ったら人類の損失!』なんて急に兵を出すと言い始めたものだから、いつも穏やかな叔父様にこっぴどく叱られましたのよ」
「まあ……でも、お気持ちはとても嬉しいですわ」
「お気遣いありがとうございます。でも本来は、平常時からちゃんと各領の動きを、情報収集しておかなければならないのよね。叔父様から出兵に必要な準備がどれほどかかるかもこんこんと説かれて、おかげさまでようやく領政にも少しばかり興味を持ってくれるようになったわ」
そう言って盛大にため息をついてから、オディール嬢は思い出したかのように話を続けた。
「貴女がた兄妹が報告を兼ねて王都へいらしたと聞いて、リシャールも一昨日こちらに参りましたのよ。ちょっと馬車が使えないもので、体力があまりない方なのに騎馬で来たから時間がかかったけれど」
「騎馬が使えないという方はたまにおりますけど、馬車が使えないのは珍しいですね」
「実は事故で両親を亡くしてから、リシャールは馬車と血が大の苦手なのよ。あの子、両親が血塗れで事切れる瞬間を見てしまったらしくて。それも、笑っていたのですって。貴方が無事でよかった、と」
道路事情が劣悪なので、特に交通量の多い王都は馬車による事故が多発していた。現代日本は本当に『生きのびやすい』という点でかなり恵まれていたのだと、しみじみ思う。
それにしても、血が苦手だなんて大変そうだなーとか……軽く考えて悪いことしちゃったな……。
「馬車で乗り付ける必要がある集まりに出なさいと言いにくいのは、それが理由でもあるの。そんな感じだから、リシャールは若くして爵位を継いだという点でもアルベール様に勝手に共感しているみたい」
オディール嬢は苦笑いしながらお茶で喉を潤すと、改めて私の方へと体を向けた。
「そういえば、例の成人祝いというお題の時に着けて行った首飾り。あれ、わたくしのものもフロランス様と同じく母の形見だったのよ。婚約記念品として、父から贈られたものだったのですって」
「そう……だったのですね……」
しばしこのテーブルに広がった沈黙は、だが突然の鼻をすする音で遮られた。驚いて目をやると、いつのまにかブランディーヌ嬢がボロボロと涙をこぼしているではないか。
「わたくしっ……もしお父様やお母様がいなくなったらと思うと……ぐすっ……あのときはみなさまの気持ちも考えずに……」
良くも悪くも、彼女は自分の感情にどこまでも素直な性格なのだろう。泣き続けるブランディーヌ嬢を皆でなだめていると、オディール嬢の侍女が現れて時間を告げた。
「あら、そろそろ解散のお時間みたい。弟に何かお土産でも買っていこうかしら」
「それではぜひご挨拶に、わたくしから贈らせていただけませんか?」
給仕を呼んで用意を頼んだのは、店頭では未発売の琥珀糖でできたシルエットパズルである。男性向けのお土産として、ゲーム要素とかあったらウケるんじゃないかなと試作を進めているものだ。
これは四つの異なる形のピースを組み合わせて、何十パターンというシルエットと同じ形を作っていくというものだ。ミヤコの実家にあったもので、昔は各地の旅館やホテルに置かれていたのだという。単純なものだが一度やりはじめてみると、意外にハマってしまうのだ。
「あらフロランス様から贈り物だなんて、きっと弟も喜ぶわ」
「実はリシャール卿に新たに開発をお願いしたいものがありまして。近々お会いできませんか?」
「ええ、ぜひ!」
満面の笑顔でうなずくオディール嬢に、私は小さく頭を下げた。
「本当に申し訳ありません、いつもお願いしてばかりで」
「いいえ、望遠鏡には当家もかなり潤わせて頂いているもの。こちらとしても大歓迎よ」
軍事面で大いに使える望遠鏡は各家から注文が殺到していて、うちもライセンス料でかなりの恩恵を受けている。それを思い出してオディール嬢とニヤケ合っていると、横から聞きなれた柔らかな声が響いた。
「失礼いたします。ご要望の品をお持ちしました」
「ありがとう……って、ギィじゃない。どうしたの?」
「フロランス様へ、ご挨拶申し上げたく」
小風呂敷と季節の花で綺麗にラッピングされた小箱を銀のお盆に載せて持ったまま、商人はいつもの愛想の良い笑顔を浮かべた。
「いつも忙しそうなのに、わざわざ挨拶になんて来なくても大丈夫よ。来週打ち合わせで会うんだし、今さら業者を変更したりしないから」
「それでも居ても立ってもおられず、こうして参じた次第です。ご挨拶いたしますことを、どうぞお許し下さい」
片手で器用に大きな銀盆のバランスをとると、彼は芝居がかった仕草で胸に手を当て、会釈してみせた。
「相変わらず、調子がいいんだから」
「お褒めにあずかり光栄にございます」
私がクスクス笑いながら品物を受け取ると、ギィは再び軽く礼をして去って行った。本当に用事は挨拶だけだったらしい。
「今の者……モーリス・ヴァランタンの『最後の息子』じゃない?」
ボソリと呟いたのは、ようやく泣き止んだばかりのブランディーヌ嬢である。
「はい。よくご存じで」
そう軽く驚きを込めて言うと、彼女は珍しくシリアスな雰囲気で言葉を続けた。
「この喫茶室、ロートリンジュ前公爵夫人が出資しているのは有名だけど……オーナーはエルゼス侯爵、つまりフロランス様のお兄様よね?」
実質は私のものなんだけど、法制度上、この二号店のオーナーは兄の名前になっている。でも……。
「どちらでそれを?」
確かに、大伯母様には大いに宣伝にご協力いただいた。でも、うちの発案であることは積極的に発信はしてないはずなんだけど……。
私が訝しげに問うと、ブランディーヌ嬢は呆れたように言った。
「なぜって、店舗の入り口に掛かっている紋章の旗、その二家のものだもの。一目瞭然でしょ?」
――そうでした!
しまった、お店のメインデザインは、流行にあまり詳しくないからギィにほとんど任せたんだった……。オーナーの紋章を入れるのって、もしかしてこの国のセオリーだったりするんだろうか。まあ、厳密に隠してるわけじゃないからいいんだけど……どのくらいの人が気付いているのやら。
「もしや、この店を仕掛けたのは……フロランス様、貴女なのではなくて?」
「ななな、なぜそう思われたのです!?」
「ヴァランタンの最後の息子にあんな挨拶させておいて、よく言うわね」
ジト目で畳みかけるブランディーヌ嬢に、私は冷や汗をかきながら答えた。
「そういうもの、なんですね……」
さすが大市など開いて商業面の改革を進めていることで有名な、シャンパール伯爵の一人娘である。ご令嬢もその辺の嗅覚はかなり鋭いようだ。
そんなブランディーヌ嬢は急に胸を張ると、私の方へと手を差し伸べて言い放った。
「なかなか見どころあるじゃない。わたくしの友人にして差し上げてもよろしくってよ!」
「……友人なら間に合ってますかしら」
「え? そ、そう? わたくしと仲良くしておくと、いろいろとお得よ?」
「友人って損得でなるものではありませんわ」
「で、でも……」
ブランディーヌ嬢は口ごもると、目尻にじわりと涙を浮かべた。堂々と差し出されていた手が、自信なさげにへにゃりと曲がる。
……素直すぎか! って、面白いからってあんまりからかっちゃ悪いよね。
「そう、間に合っていますわ。だってもうすでに、私たちはお友達でしょう?」
「そ……そうよね! 当然よね! 忘れているようだから、ちょっと確認して差し上げただけだから!」
「あら、わたくしたちは?」
暗灰色のストレートヘアをかき上げながら、オディール嬢がニヤリと笑う。
「も、もちろんお友だち! ……よね?」
不安そうに小声で付け足すブランディーヌ嬢に、オレリア嬢がにっこり笑ってうなずいた。
こうしていつものお茶会に、新メンバーが加わったのだった。
お読みいただきありがとうございます!
2月から週3更新の予定でしたが、4日まで毎日朝7時更新を延長します。
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