誰にも言わない
サイレンだ。
あの音を響かせるという事は、急いで何処かに向かってるんだろう。
呼ばれた場所に向かっているのかも知れないし、もしくは病院かも知れない。
よく聞く音だ。
至って普通で一日に何度も聞く時もある。
近くに救急病院があるからかも知れない。
サイレンが近くを通る時、太くねじ曲がった歪んだ世界の音に聞こえる。
そういうものだ。
だけど、とても気味が悪い。
どこか別の世界に入り込んでしまったような、そんな気持ち悪さを覚える。
でもそんな事、口には出さない。
何となく不謹慎だからだ。
だからきっとこれからも誰にも言わない。
あの中には、誰かが乗ってる。
人生に一度あるかないかという経験を、今この瞬間にしている人が、あの中にはいるのだ。
だけど私は、そのすぐ横で、ただまっすぐ道を歩いている。何の変哲もない、昨日と同じ。明日も同じ。
時間は静かに流れていて、何も変わらない。
あの中の人は、変わってしまった時間の中を今、流れ泳いでいる。昨日とも違う、明日とも違う。明日があるのかもわからない。
怖い。
だから、人も、車も、あのサイレンが聞こえたら避けるのだ。譲るのだ。
無事に辿り着ける様に。
いつもと同じ日に帰れる様に。
でもそんな事、誰も言わない。