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俗念の昇華「アリア」

 暗闇の中、フローラルな香りが鼻に届く。

 どこか懐かしいような、それでいて嬉しい匂いだ。


 緩やかに浮上する意識とともに、優しく目蓋を開ける。


 そこには知らない天井があった。


「マスター」


 そして左耳に聞き覚えのある声が届く。

 首だけ左に動かすと、そこには向こうを向いて正座する金髪おさげの女の子がいた。


「ん。凛堂か? なんでここにお前が……」


 上体を起こして眼を擦る。

 何がなんだかよく分からないのは、このほわほわする良い匂いのせいだろうか。


「マスター、それは私の台詞」

「え?」

「どうしてマスターが私のベッドに?」

「……え!?」


 一瞬で眠気が宇宙空間までぶっ飛んだ。

 両腕を抱えるようにしてそっぽを向く凛堂の耳が真っ赤なのを見て、俺は全てを思い出した。


 や、やっちまったああああああああああああああああ!!


 馬鹿じゃねえの? 俺、馬鹿じゃねえの?

 よりにもよってあんな究極の場面で寝落ちとか一番やっちゃいけないヤツだろ。


「や、あの違くて! 凛堂が寝ちまって、それを俺が起こしちゃって、凛堂がその、寝起きがあまりよろしくないって聞いて」


 大量の単語が竜巻のように頭の中で逆巻いて自分でも何を言ってるのか分からない。

 そんなしどろもどろな俺をちらと見て、凛堂はこう訊いてきた。


「何か……した?」

「何もしてない! 何もしてないよ! するわけないだろ!」


 疑いの眼に、俺は身振り手振りで否定をアピールした。

 本当に何もしてません! ちょっと、その何かが触れていた気はするけど。


「……そう」


 凛堂は寂しそうな声でそう言うと、ふらっと立ち上がり俺が声をかける間もなく寝室を出ていった。

 取り残された俺は、ただその場で頭を抱えて眠ってしまった自分を責めることしかできなかった。


 しばらく考えを巡らせてから寝室を出て、俺はちょっとした異変に気付いた。

 凛堂の姿がどこにも無かったのだ。


 間抜けな声で凛堂の名前を呼びながら家中を練り歩いたが凛堂は見当たらない。

 仕方なくリビングに落ちているピーコートを着て玄関まで行き、じんわりと嫌な予感が広がっていく。


 もしかしたら俺は大きな選択ミスをしたのではないか……そんな思いだけが広がる。


 玄関には、凛堂のいつも履いている靴が無かった。


 ◆ ◆ ◆


 冬の浅い日差しを感じながら凛堂を探して二十分程経過した。

 大きく走り回りながら、結局見つけられずに駅に着いてしまった。


 気温は一桁なのだが、身体が火照っている。琴美(ピノコ)式移動術も防寒対策には悪くない。

 しかし肝心の凛堂が見当たらないのは酷くまずい。


 いやしかし、凛堂を見つけて俺はどうするんだ?

 無罪の弁明を強調するのか? それとも凛堂の寝起きの有耶無耶な行動を一切明かして俺の正当性でもアピールするのか?


 自分でもどうしたいのかは全く分からないが、ただ今すぐに凛堂の元に行かなければ取り返しのつかない溝になりそうな気がしてならない。

 ……そりゃそうよね、寝てる間に自分のベッドに人がいたら驚くだろうし不可解だ。


 白い息を漏らしながら、この辺りをもう一周するか悩んでいる俺に、


「あ、冬根君!」


 陽気な声がかかった。

 声の主は四ノ宮だった。ゲッ。


 四ノ宮は無理のあるストライドで鼻息荒く俺に近づいてくる。


「おう、四ノ宮」

「冬根君! あなたに言いたいことがあるの!」


 くいっと眼鏡を上げながら四ノ宮は俺を見上げてそう言う。


「いや、すまんがちょっと急いでるんだ、またな」

「ちょっと! 待ちなさいよ!」


 さすがに酷いと分かりながらも四ノ宮を無視して踵を返すと、進もうとした俺は後ろからの物理的引力で止まった。

 俺のピーコートを四ノ宮が握り締めていたのだ。


「すまん、マジで今お前に構ってる暇は――」

「ヒトの話はちゃんと聞きなさい! 凛堂さんのことでしょ?」

「……え」

「凛堂さんならさっき何かを持ってあっちの方向に真っ直ぐ走って行ったわよ!」


 四ノ宮はムスッとした顔で人差し指をとある方向に向けた。

 そっちは――川のある方向だ。


「ありがとう! 恩に着るよ!」

「ええ、同じ真実の愛の志を持つ仲間だもの。当然よ!」

「はは……」


 偉そうに腰に手を当ててポーズする目の前のポニテ眼鏡に乾いた笑いを送ると、四ノ宮は「ところで」と顔色を変えて訊いてきた。


「冬根君はどうして凛堂さんを追いかけてるの?」

「んー、真実の愛の為かな」

「え! どういうこと!? 冬根君詳しく教えなさい! 私もあなたの同志なのよ!? ちょっと! 待ちなさい!」

 

 荒ぶる貧乳を笑顔で放置して、俺は改めて走り出した。

 久々に聞いたな、真実の愛。そういえば四ノ宮はそんな痒い信条を信じてやまないやつだったが、それと同時に非常に会話がしやすくて話していて楽しい人間だった。


 今日のお礼に、また甘味でもおごってやるか。エクストリームな奴は勘弁だけどな。


 そんなことを考えながら走っていると、川が見えてきたくらいで聞いたことのある音色が耳に入ってきた。

 これは……そう、G線上のアリア。美しいバイオリンの音色だ。


 音の源に近づいていくと、河川敷の石段に金髪の女の子を見つけた。

 鳴り響く弦の音に身を寄せながら、俺は凛堂の背後からゆっくり歩み寄る。


 俺が凛堂のすぐ背後に来た時に、凛堂はちょうど演奏を終えてバイオリンを下げた。

 制服しか着ていない寒そうな凛堂に、俺は後ろから自身のピーコートを脱いで掛けながら声をかけた。


「なんか、心が洗われる気がするよ」


 何故か、先程までの焦りや気まずさがどこかに行ってしまっている。バッハに感謝だ。

 俺の言葉とコートに凛堂は驚いて振り返ったが、やがて流れる川に視線を移した。


「美しい曲」

「弾くの、難しいのか?」


 俺は何故か口から自然と言葉が出てきながら凛堂の隣に腰を下ろした。


「正確に弾くのは指の位置が結構難しい」

「そっか」


 俺も模様を変えるせせらぎに目を落としながら、深呼吸をした。

 今なら、冷静に喋れそうだ。そう思った。


「まず、寝ちゃった凛堂にそうやってコートを掛けたんだ」

「?」

「それから、電話が来ちゃってさ。喋ってたら起こしちまった」

「……そう」


 凛堂はバイオリンを手に持ったまま、俺の隣に座った。

 いつもの場所の、定位置くらいの距離になった。


「寝起きの凛堂は、ちょっと新鮮だったな」

「ごめん」

「なんで謝るんだよ。良いものが見れたよ」


 俺は凛堂の方に首を向け、こう続けた。


「ちょっと、アホっぽくてさ」


 凛堂はゆっくりと眉を降下させてから、手に持つ弓で俺の胸を叩いてきた。痛い。


「アホは冗談として、それから今にも寝そうだったもんだから、寝室に連れて行ったんだ」

「……そう」

「言っておくが、本当に何もやましい考えは無かったぞ?」


 凛堂は優しい風に金髪を揺らして、小さく頷く。


「そんで、布団に入った凛堂が、その……一緒に寝よう? って言ったんだ。覚えてないかもしれないけど、本当に言ったんだぞ?」


 そう言うと、凛堂は徐々に頬を赤らめていった。


「本当ごめん。嫌だったなら謝るよ」

「言ったのは私。私が悪い。それに……」


 凛堂はバイオリンのネック部分をギュッと握ってから、


「それに、ちょっと覚えてる」

「お、ぼえてる?」


 おいおい、霜平さん。話が違いませんか?

 あっぶねぇよ! どうせ覚えてないからって変な事しなくて良かったー!


「その……く、く」

「く?」


 凛堂は目も当てられないくらい真っ赤だった。


「くっついたこと」

「くっ……」


 俺の顔にも熱が帯びてくる。

 一緒のベッドで、お互いの温もりを感じたことを覚えてるとか、それはもうなんというか、神様ありがとうというか。

 表情を見る限り、嫌そうには見えなくて安心する。


「マスター」


 凛堂は立ち上がり、スカートのおしり部分を掃ってから青い瞳を座る俺に向けた。


「何?」

「絶対に合格して」

「合格? 大学?」

「そう」


 凛堂は傍に置いてあったバイオリンケースにバイオリンをしまいながら、いつもの表情で言葉を継ぐ。


「私はマスターの助手。大学に行ってもそれは変わらない。マスターが同じ大学に居れば……とても便利」

「便利って」


 なーんか引っかかる言い方だが、凛堂がそう望むなら仕方がない。

 これじゃまるで俺が一ノ瀬にさせたことの二の舞だ。自覚しつつも不思議と気分は悪くない。


「まあ、わかったよ。絶対受かる。任せろ」


 三日月のヘアピンにちょうど日光が反射して俺の目を突き刺してきたので良く見えなかったが、俺の意気込みに凛堂は優しく笑ったように見えた。


「そのかわり、一つ良いか?」

「何?」

「受かったら、ちょっと訊きたいことがあるんだ」


 今は辞める術を失ったマスターとして、ではなく、冬根氷花として。

 ってそんなカッコイイ話じゃないんだけどね。


「何?」

「まあ、受かってから訊くよ」

「……そう」


 今のこの中途半端な、密接とも疎遠とも言えない関係が、もしかしたら一番居心地がいいのかもしれないなどと、経験不足なりに想定で思った。

 でもそれも終わらせに向かわなきゃならない。どっちにしても。


 差し当たり、死んでも受からなきゃいけないくなっちまった。

 頼むぞ、霜平。


「私ももう少し努力する。『何もするわけないだろ』なんて言われないように」

「はい? どういう意味?」


 凛堂は自身の体を一瞥してから、何故かムスッとした顔で俺から顔を背けた。


「分からないならいい。……とにかく、マスターは聖応大学に受かって。そして一緒に恋愛研究サークルに入る」

「……それはちょっと入りたくないな」

「恋愛マスターとして、そこに入るのは必然」

「いやだからそんな必然があってたまるかよ!」


 というか恋愛研究サークルって何だよ、マジで。

 そこの人らが本気で研究しているんだとしたら、恋愛経験ゼロなのに恋愛マスターなどという哀れなピエロな俺はきっと、格好の研究材料(モルモット)だろ。ぷいぷい。

お読みいただき誠にありがとうございます。


もしも、「続きが気になる!」「面白い!」と感じて頂けましたら、

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~・~・~・~・~・~


何かいろいろと引っかかる回ですね。

何が、とは敢えて書きませんが、引っかかります。(書いてるのお前だろ)


にゅるんと冬根君がやる気になったところで、次話……ええ、突き落としてやりましょう。笑

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