助手?「リンドウ ルナ」
さて。
諸君らは女の子の部屋に入ったことがあるだろうか。
更に言えば、一人暮らしの女の子の家だ。
俺? 俺はある。
どうだね、俺は諸君らとは別の世界の人間へと昇華したのだ。はっはっはー。
って舌打ちしないで、殴らないで、そっと閉じないで!
冗談です。一番驚いているのは俺自身なんです。
しかもまさか凛堂から誘ってきたんだぜ?
据え膳うんたら……とまではいかないが、今の俺にそれを断る理由も勇気もなかったのだ。
凛堂の先導のもとオートロックのエントランスから凛堂の部屋に行く間、俺からは凛堂の後姿しか見えない状態だったので凛堂がどんな表情でどんな思いでいるのかは読み取れなかった。
それ以前に自分の呼吸を整然とさせることで手一杯だった。そのくらい興奮と混乱がごちゃまぜである。
八階で止まったエレベーターを降り、廊下の一番突き当たりの部屋の前まで歩く。
赤くなった手で制服のポケットから鍵を取り出して、扉の鍵を解く凛堂が、
「どうぞ」
と言って扉を開いたまま俺の顔を見た時にようやく顔が見えた。
いつもとあまり変わらないような、ちょっとだけ怯えてるようにも見える表情だった。
人工的な光も美しく取り込む青い瞳はいつも通りだが、いつにも増して頬が赤く見えるのは、やっぱり寒さのせいだろうか。
さてさて。
諸君らは一人暮らしの女の子の部屋に入ったことがあるだろうか。
俺? 俺はある――ってごめんもうこのくだり要らないよね。
違う、違うんです。
女の子の部屋に生まれて初めて入って、分かったことがあったんです。
予想できそうでできない、意外と納得の中間くらいの新事実を、全身で感じることができた。
ん? 何かって?
聞いて驚かないでくれよ?
それはな……。
女の子の部屋って、それはそれはもう、物凄い良い匂いがするんだぜ?
……。
どう? 俺の好感度マントルまっしぐらって感じ?
◆ ◆ ◆
今現在、俺は動けない状態だった。
正確に言うと、動かせない状態だ。
顛末を話すとこうだ。
部屋に着くなり凛堂はこたつの電気のスイッチを入れてから、「座って待ってて」と言って奥の部屋に消えて行った。
着替えに行ったのか御手洗なのか、それとも茶でも出すつもりなのか――などという思考迷宮で彷徨っていても仕方ないので俺は言われた通り座って待ってたのだが、その座り方がまずかったらしい。
ド緊張していた俺は謎の礼儀正しさを発揮して、こたつ前で慣れない正座をしてしまっていたのだった。
あまり辺りを見渡したりするのも失礼な気がして、こたつの上に置いてあるミニチュアのクリスマスツリーの置物をじっと見つめること数分。
案の定俺はいとも簡単に足が痺れてしまった。
感覚が無くなっていくタイプの痺れで、きっと正座を崩した瞬間尋常ではない痛みに悶絶することになる。
凛堂が戻ってくる前にそれを耐え抜いて痺れを抜くか迷っている内に、凛堂はコップ二つと大きめの飲み物の入った容器を抱えて戻ってきてしまったのだった。
「マスターお待たせ。どうぞ」
こたつを挟んで俺とは対面にお淑やかに座り、テーブルに音を立てないように素早く器用にコップと容器を置く凛堂。
とまあ大体こんな具合で、正座から動けない俺は、凛堂がコップに注いでくれた飲み物を飲むことしかできなかった。
「……っヴ……ッ」
――ってまっず!! なんだこれ!! 滅茶苦茶不味い!
そしてどこか懐かしい不味さだ。
「真似して作ってみた。どう?」
そう言いながら、凛堂は鞄から見たことのある黄緑色の缶を取り出して俺に見せるように小さく突き出した。
……おう、久しぶりですね、洋梨ココアさん。
「まあ、悪くないね」
鼻摘まんで一気飲みする分には、ね。
俺の精一杯の苦笑いにどう思ったのかはよくわからないが、凛堂は満足そうに口角を上げてから自分もコップに注いで飲み始めた。
二口ほど飲んで、不意に眉をVの字にして首をゆっくりと傾げていく。
流石に不味いって気づいたか?
「もう少し、酸味が必要?」
うん、そういうレベルじゃないのよ凛堂さん。
そもそもココアに酸味とか求めてないから。
なんとか凛堂特製洋梨ココアを飲み干すと気まずさを誤魔化す術もなくなった。
何も喋らない凛堂の代わりに、ここは何か話題を振ってあげるのが男だろうと思考を巡らすが、頭にふと浮かんできたのは何故かいつかの彩乃の赤い布地と琴美のメイド服姿だった。思春期かよ。
「マスターは、聖応大学を受験するの?」
情けないことに話を振ってくれたのは助手で、しかもクリティカルでタイムリーな話題だった。
「ああ、一応な」
「私も、聖応大学、内定している」
「らしいな」
「一緒の大学」
俺は痒くもない頬をポリポリと掻きながら「受かったら、な」と言った。
凛堂は慈悲深い女神のような顔で、
「大丈夫。マスターは受かる」
「……と、いいけどな」
「マスターは必ず成功する」
先程から凛堂の口から発せられる「マスター」という単語に胸がチクリとして、凛堂から目を逸らすと、部屋の壁に立て掛けてあるバイオリンに目がいった。
音楽専攻の大学である聖応大学。
一応最近になって心理学部と教育学部ができたらしいが、特段俺はそのどちらにも深い興味はない。
それでも、俺がその大学に行く理由――。
「なあ、凛堂。俺が聖応大学を受験する理由は何だと思う?」
「……?」
――それを、俺はこのタイミングで凛堂に訊いてみた。
下手をすればラストジャッジメントになりかねないこの問いに、凛堂は、
「恋愛研究サークルがあるから?」
「……は? そんなのあるの?」
「ある」
なんだその胡散臭いサークルは! 誰が入るかよ。
いやまあ、まだ受かってすらいないんだけど。
「恋愛マスターとして、そこに入るのは必然」
そんな必然あってたまるかよ。
まあでも、今は分かってなくてもいいか。
必ず合格して、その暁には本当の理由を告げるとしようか。
そう小さく心の中で決意して、俺は「あはは」と薄く笑っておいた。
「違う飲み物持ってくる。マスター、何が良い?」
凛堂は洋梨ココアの詰まった容器とコップを持って立ち上がった。
「俺も持つよ」
そして俺も自分のコップは自分で下げようとして、持って立ち上がった時のことだ。
「うわっ」
膝から下の感覚が皆無だった。
俺は立ち上がると同時に、視界がぐらついて斜め前方に倒れそうになった。
完全に痺れた脚は、全くいうことのきかない頼りない棒になってしまっていたのだった。
「あっ」
そして事故は起こった。
俺の手からガラス製のコップは飛び出し、吹っ飛んだ先の壁で劈く音を伴って砕け散った。
そして――。
「……ご、ごめん!!」
立ち上がった凛堂に抱きつくように、身体を委ねてしまった。
というかもう、抱きしめてしまった。
足に力が入らず、思い切り凛堂に上半身を預けて支えてもらう何とも情けない状態だ。
動けない焦りと、抱擁してしまっている困惑と、ガラスを割ってしまった罪悪感でどうにかなりそうな俺に、
「大丈夫」
と言って、凛堂は俺の背中に腕を回してきた。
凛堂の手からもコップと飲料入りの容器が落ち、ガラスは割れ、液体は絨毯にこぼれ出す。
最悪の失態の、それでいて生まれて初めての女の子との抱擁だった。
想像していたよりもずっと身体は細くて折れそうで、それでもしっかりと俺を支えてくれて、温かかった。
どのくらいそうしていただろう。
サンバキックを刻む心臓が落ち着いてきた頃合いで足の痺れも収まり、俺は凛堂の両肩を優しく掴んで離れた。
間近で見た凛堂は、表情こそいつもと変わらないが顔が真っ赤だった。耳までしっかりと紅潮している。
寒さのせい、なわけがないよな。
「ごめん」
「大丈夫」
何がごめんなのか、何が大丈夫なのか、きっとお互いによく把握できていないまま、俺達は割れたグラスと零れた液体の処理を始めた。
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おいおい。
独り暮らしの女の子の部屋に行くだけでもギルティなのに、なにラブコメしてんだよ、許さんぞ冬根(私怨)
足の痺れが原因ってところが冬根君らしくて情けないですね。
次回、ちょっとした問題が起こり始めます。




