追跡調査「ピノコ」
というわけで、個人的に『パステルズ・ヘブン』という名について調べたところ、すぐに見つかったのがこのメイド喫茶だった。
いかがわしい店とかじゃなくて本当よかった。もしそうだったら俺には手に負えそうにないしな。
ここに『ピノコ』という従業員がいるらしい。
そしてそいつは凛堂に何かを依頼されている可能性がある。
「ふう。酷い目に遭ったよ。氷花くん助けてくれないなんてひどいよ」
私服姿に戻って俺のもとに帰ってきた棗に、俺はちょっぴり落胆した。
いや、その私服の大きめパーカーも十分可愛いのだけども。
「似合ってたし、いい経験ということで」
「ええ……まあ、それなら、許すけども」
ちょろい。『いい経験』という言葉の万能さは特許出願レベルだな。
「ってまさか氷花くん、この為だけに僕を誘ったの?」
「違う違う」
俺が棗を誘ったのは……はい、一人でメイド喫茶に入る勇気が無かったからです。
ヘタレでチキンでごめんなさい。
しかしである。
どうやら、本日は『ピノコ』なるメイドさんは居なさそうだった。
メイド長も、カウンターの数人のメイドさんも、ネームプレートに書いてあるのは違う名前だ。
腕時計に目を遣ると針は十七時ちょうどを示していた。
土曜日の本日、いつもより早めに帰ってくる姉の為に俺は夕食を作らなければならないので、そろそろ帰ろうかと思索した時だった。
「お帰りなさいませご主人様~」
キッチンがあるであろうカーテンの向こうから、一人のメイドさんが現れた。
パステルグリーンのメイド服、今日初めて見る色だった。
背が異常に低く、切り揃ったショートボブのその子は、ふらっとした動きで俺と棗が座るカウンターの目の前にやってきた。
頭に赤い大きなリボンを付けたそいつは見た目は十代くらいで、ネームプレートは……『ピノコ』だ。居た!
ピノコなる女の子は俺と棗の顔を交互に見てから、俺に話し始めた。
「お隣の方は、彼女さんですかー?」
舌が回っていないような、甘ったるくぽわぽわとした口調だった。
「そうです、彼女です」
「氷花くん!? どうしてしれっと嘘つくの?」
棗が俺の肩を優しく叩きながら怒ってきた。もっと叩いてぇ。
「間違えました。彼女だったらいいなぁと思っている人です」
「氷花くん!!」
――パンッ! 俺の肩を叩く優しい破裂音が鳴り響いた。
「あはははぁ。面白いですねー」
ピノコが笑う。俺もはははと笑う。棗は赤くなって怒っている。
やや、愉快愉快、メイド喫茶は楽しいなぁ。
「お二人は学生さんですよねー?」
さっきの二十代半ば――と思わしき――の『えり』というメイドさんと同じ質問をしてきた。
接客マニュアルってやつだろうか?
「そうです」
「部活とか何かしてるんですかー?」
やっぱりマニュアル通りな接客だった。
……とかメイド喫茶の接客について考察している場合ではなかった。何普通に楽しみ始めてるの俺。
俺には目的があったじゃないか。
「あの、ピノコさん」
「はいー?」
「ちょっと訊きたいことがあるんですけど」
俺の言葉に、ピノコは両手の人差し指で×を作って、
「連絡先はだめですよう? それ以外ならどうぞー」
営業スマイルと思わしき笑顔でぽわっとそう言った。
俺は棗の困惑をよそに、目の前のピノコに問う。
「凛堂を知っていますよね?」
「リンドウー?」
一瞬眉がピクリとしたのを俺は見逃さなかった。
俺もこれ以上、彩乃に無能などと言われたくない。ここぞという時くらいは、神経を研ぎ澄まそうと決めていてよかった。
「凛堂月です。あなたと面識があるはずです。できれば詳しく話がしたいのですが」
「えー。メイドさんにあまりにもプライベートなことを訊くのは禁止ですよう。そんな事より、ほら! 何か頼んでくださいよ! 一生懸命作りますからぁ」
ピノコはそう言って俺と棗の間くらいに小さなメニュー表を置いた。
棗は「わあ」なんて言ってしっかり眺めてやがる。俺はそれどころじゃないんだけどなぁ。
「それじゃ、僕はこの『きゅんきゅん★クリームソーダ』ってやつください!」
「ありがとうございまーす。で、そこのお兄さんはー?」
ニカッとしたピノコの笑顔は「いいから黙って注文しやがれ」と言っている気がして、俺は若干怯みながら、
「……じゃ、この、あ、『あいちゅこーひー』で……」
「はあい。少々お待ちくださいませー!」
注文を受けたピノコは奥に消えて行った。
あいちゅこーひーって……二度と口にしたくない。しかも七百円もする……某コンビニならくじが引けちゃうぞ。
どんだけ高級な珈琲なんだろうと思っていると、カーテンの隙間から見えたピノコは冷蔵庫からパックの珈琲をグラスに注いでいた。
おい、それスーパーなら一リットル百五十円位のやつだろ!
いろんな思いがぐっちゃぐちゃになっているところに、ピノコは飲み物二つを両手に携えて戻ってきた。
「おまたせしましたー! きゅんきゅん★メロンソーダとあいちゅこーひーでーす」
口調の割にはテキパキと、それでいて丁寧に紙ナプキンをテーブルに敷いてから、俺と棗の前に飲み物を置いた。
「わあ。いただきます!」
棗はニッコリと笑みを漏らしてストローで飲み始めた。お前はいいなあ、何でも楽しめて。
そして俺もあいちゅこーひーを……。
「ん」
俺の前に置いてあるあいちゅこーひーのグラスの、下に敷かれている紙ナプキンの隅っこに、小さく何かが書いてあるのが見えた。
顔だけ近づけてみると、そこには『22:10』という数字と、その横に電話番号と思わしき十一桁の番号が可愛い丸文字で書いてあった。
改めてピノコに視線を向けると、無言で俺の顔を見つめながら一つ頷いた。
どうやら、そういうことらしい。
俺はあいちゅこーひーを一口飲みながら、紙ナプキンをズボンのポケットにねじ込んだ。
残念ながらやっぱり市販の安いコーヒーの味だったが、なんとなくいつもよりも美味しく感じた気がする。
◆ ◆ ◆
会計の金額に目玉と樋口さんが飛んだあと、棗に礼を言ってから俺は一旦家に帰った。
帰宅すると既に姉がリビングでぐでーっとしていた。
「氷ちゃんおそーい。お腹空いたよー」
案の定文句が出たので、俺はそそくさと夕食を作り始める。
というか、たまには自分で料理したらどうなの。
数日は持つであろう量のカレーを拵え、姉と一緒に食べ終わると俺はすぐに自分の部屋にこもった。
机の上の目覚まし時計は二十時過ぎを表示している。
あと二時間。
あのピノコなる女子がどんな存在なのか分からないが、あと二時間で立ち向かう準備と精神統一をしておいて損はないだろう。
俺はベッドの上で座禅を組む。
「氷ちゃーん、お風呂沸かしてー」
リビングの方から姉の大きな声が鳴った。
まだ一分もしていない座禅を中断してリビングに戻ると、姉はソファの上で寝そべっていた。
食べてすぐ寝たら牛になりますよ。
「今日、姉ちゃんが風呂の当番だろ?」
「お姉ちゃん仕事で疲れてる~」
「今日土曜だしいつもより就業時間短かったんじゃないのかよ」
「長さは関係ないの。要は中身なの。今日は疲れたの。お願い~」
内心イラッとしながらも、俺は風呂場に向かった。
そして風呂掃除を始める。
姉の将来の為にも甘やかしてはいけないと思いつつ、こうしてなんだかんだで許容してしまうのは、姉の仕事が本当に大変な事を知っているからである。
姉が黒々しい深淵に入り込んだような絶望的な表情をしているところを何度か見てしまったことがある。
俺がまだ知らない、知ることができるかも分からない世界だ。
とは言っても、家族としては俺ができることなど特にない。
いつも通り、変わらないでいることが一番だと思う。
甘やかしすぎとか過保護とか言われても、俺はこれでいいとも思っている。
俺が幼い頃は、今とは逆で姉によく甘やかしてもらったものだからな。
こんなことで恩返しになるなら安いものだ。
……いややっぱり時折イラッとするけども。当番くらいは守ってほしいよね。
一通りの掃除を済ませ、湯張り設定のボタンを押すと軽快な機械音声が流れた。
姉に一声かけてから自室に戻り、精神統一の続きをしていると、今度は俺の携帯がバイブした。
彩乃からのメッセージだった。
『ピノコさんには会えましたか? もし会えたなら私のおかげなので、見返りを要求します』
いや、ストレートに『見返りを要求します』なんて生まれて初めて言われたぞ……。
『月曜日昼休み、放送室に来てください』
……まあ行かないと後が怖いので行きますけどね。
行ってもいろいろと怖いんですけどね。彩乃コワイ。
更にスクロールすると、もう一文メッセージがあった。
『冬根さんが有能なら、そのピノコさんを上手く使えるかもですね』
上手く使う……わけわかんないよのさ!
俺は一度にたくさんの事を処理できるほど頭良くないわのよ!
ともあれ直接関わる機会を無駄にするわけにはいかない。
凛堂の企業秘密的部分の解明の糸口であることは間違いなさそうだからな。
今日のメイド喫茶でのできごとを復習しているとあっという間に二十二時を過ぎて、俺は事前に机に置いておいたくしゃくしゃの紙ナプキンを広げて、書いてある十一桁に架電した。
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あいちゅこーひー……きっとそれは700円以上の価値のある素敵な何かが入ってるんだよ、うん。
というわけでメイド喫茶で働く『ピノコ』と接触した冬根君。
彩乃からの不穏なメールも引っかかりますが、先ずは『ピノコ』さんの情報が欲しいですね。




