独断専行のお詫び「ヨウナシココア」
先週の暖かさはきっと高気圧がまだ日本から離れたくないと駄々をこねていたに違いない。
土日の間にシベリア気団に宥められ、無事にどこかへ行ってしまった暖気のせいで、週明け月曜日の今現在の気温はいきなり一桁になった。
この温度差は良くない。ガラスなら割れちゃうよ?
何なら俺の心も概ねガラス製だからヒビ入るよ?
制服と同じようなピーコートを羽織り、家を出ようとしたところで、玄関に置いてあった黄色い封筒に目がいった。
――聖応大学入学願書在中。
調べてみれば、聖応大学の偏差値は現状の俺が到底太刀打ちできるようなレベルではなかった。
あの顧問が何を以ってして俺にこの願書を寄越してきたのかは分からない。
今週末が受け付け締め切り……そりゃ凛堂と同じ大学だったらちょっといいかもな、なんて思ったりもするけどさ。
髪の色が毛先以外金髪になっている凛堂の姿を思い浮かべ、心がざわつく。
『今日からお前は助手だ。マスターについて来い! そうすれば大丈夫。全てが上手くいくのだ! はははは!』
夏、浜辺で俺が凛堂に言い放った恥ずかしい台詞だ。
俺はこの言葉にどこまで責任を持てばいい?
もしも、高校生活が終わると同時に俺と凛堂の曖昧な関係が途絶えるのだとしたら、俺は凛堂に確認しなければならないことがある――。
それはちょっと自意識過剰で、半透明なナルキッソス感も否めないことで、それでいて凛堂の想いを無視、乃至は決め付けての確認である。
――もう、俺が居なくても大丈夫か。
まあこれは最悪のパターンの確認だけどな。
そりゃ、自分の発言に最後まで責任を取ることに越したことはない。しかしながらそのためには恋愛マスターであり続けなければならない。
でも今の俺は、恋愛マスターという称号を消しさりたい。
それしか、凛堂の本当の想いを確認する術がないからである。
さて、ではそろそろそのためにも俺の臨時下僕に動いてもらうことにしようか。
ちょっと態度も背も胸もデカい下僕だけど。
◆ ◆ ◆
「うわ、何ですかそれ、キモチワルイです」
うぐぐ……暴言は控えめにね、彩乃さん。
「まあちょっとわけがあるんだよ」
先週金曜日に、彩乃が跪いた時に「来週の月曜日に、動いてほしいことの詳細を伝える」と言っておいた。
その時に事前に、彩乃は月曜日昼休みは放送室に居ると教えられていたので、自分で昨日の余りものを詰めた弁当を持参してここ放送室に来たというわけだった。
機材や段ボールが大量の殺風景な放送室で、年下の女の子と二人きりのランチである。
ちょっとほら、字面だけなら甘酸っぱいよね?
「もう一度、言ってもらえますか?」
「だから……凛堂の行動を具に調べて報告して欲しいんだ」
「うわ、何ですかそれ、キモチワルイです」
「……」
同じセリフを二回言われた。容赦ないよなこの後輩。
彩乃は購買に売っていたであろう果肉入りのみかんゼリーを食べながら、俺に蔑視を向ける。
「私にストーカーをしろと言うんですか?」
「ストーカーとはちょっと違うだろ。やってること自体は似てるかもしれないけど、目的が違うんだから。俺がやると失敗しそうだから……彩乃そういうの得意だろ?」
「まあ……確かに冬根さん、隠密行動とか絶対向いてなさそうですね。冬根さんならすぐにバレて変態扱いか普通に停学とかになりそうですね」
ニヤケ面でつるんとゼリーを食べる彩乃。
俺はピーマンの渋みとは別由来の苦い顔を浮かべてしまいながら、
「その仮定はともかく、お願いできるか?」
「そうですねえ」
彩乃はスプーンを咥えたまま、俺の目を凝視してきた。
俺の目ん玉の奥の、心を読むかのような視線に、背筋がぞわつく。
「一つ質問に答えてください。そうしたら言う通りにします」
「なんだよ」
「何の為、ですか?」
何の為ってそれはもちろん……。
「えーと」
いやストレートに言えるわけがない。けどオブラートに包んだとしても有能な彩乃の事だからきっと真意に気付くだろう。
ただ何か言わないと動いてくれなさそうな――
「――ああ、もういいです」
「え?」
「大体わかりましたから」
俺まだ何も言ってないよ? マジで心読めるの?
冷や汗をかき始めた俺に、彩乃は今日一番の軽蔑の表情を浮かべた。
「冬根さんは最低ですね」
「なんでだよ!」
「分からないんですか?」
彩乃はテーブルに肘をつき、片足を投げ出しながら続けた。
「私には直接言わせたのに、冬根さんは間接的に動いているからですよ」
「なっ」
「他人には虚言を吐いてまで勇気のいる行動をさせておいて、冬根さんは自分の時は安全に動こうとしてる。これはもう最低としか言いようがないですよね」
「…………」
ドドドドド正論だった。ぐうの音も出ない。
この期に及んで「だって俺恋愛経験ゼロなんだもん」などという言葉は通用しない。
金平牛蒡の味が分からなくなってきた。
「まあ……冬根さんだからしょうがないから動いてあげますけど。冬根さんじゃなかったら、うっかり全校放送して社会的に殺しているところです」
怖いってば。
っぶねえ、俺冬根でよかったあ。何が良かったのかはよく分からんけど。
「それで、いつの行動を調べればいいんですか? 二十四時間以上は嫌ですよ?」
「まさか。調べる日も、また後で連絡するよ。だから連絡先教えてくれないか?」
「え、嫌です」
「…………」
彩乃と話していると俺どんどん凹む。
そんなに嫌がることないじゃん。俺にも心があるんだぞ。ガラスの。
「その悲愴な顔、最高ですね。気分がいいのでしょうがないから教えます。その代わり、二文字以上のメッセージ送ってきたらその時点で全校放送で冬根さんの正体を告知します」
「二文字って、挨拶もできないだろ!」
「……だって冬根さんから長いメッセージ来てログが残っても気分悪いですし」
俺は悲しい顔を作りそうになるのを必死で我慢した。
きっとコイツは、俺が困ったり悲しむ顔を見て喜んでいるはずだ。だから辛辣なことばかり言ってくる。
やっぱり年下、キライ、コワイ。
「わかったよ」
彩乃から達筆な連絡先のメモを受け取り、弁当を食べ終えた俺は放送室を脱出した。
昼休みが終わる前に俺は何となく購買で『洋梨ココア』を購入した。
禍々しい黄緑色の缶ジュース。忘れもしない、控えめに言って毒々しい味。
放課後になり、俺は音楽準備室に向かった。
既に座り読書をしている凛堂に、
「おっす、凛堂」
挨拶と同時に俺は『洋梨ココア』を差し出した。
「……どうしたの」
「んー、なんとなく?」
前に、凛堂の鞄の中にこれがあったのを覚えていた。きっと好きなんだろうと思い、お詫びも兼ねてのプレゼントだった。
「? ……ありがとう」
凛堂は読みかけの本を膝に置き、缶を受け取るとすぐにプルタブを引いた。
空気を吸い込む音を聞きながら俺も定位置に座る。
横目で見た凛堂は、綺麗な青い目でしばらく黄緑色の缶を見つめてから、くくっとそれを飲んだ。
吐息を吐く凛堂がちょっぴり色っぽくて謎に興奮していると、凛堂は不意にこちらを見て、
「飲む?」
と言いながら『洋梨ココア』の缶を突き出してきた。
いやいや、いやいや!
色んな意味で飲めるか!
美味しくないのは置いといて、それは、か、かか間接なんちゃらに、なっちゃうだろ!(鼻息荒)
脳内葛藤エキシビジョンで俺が肉体的に硬直していると、唐突に凛堂は缶を引っ込めて窓際のスペースにそれを置いた。
直後、音楽準備室のドアがノックされた。
「どうぞ」
返答できない俺の代わりに凛堂が力強く発声すると、ドアが開かれた。
現れたのはこれまた背の低い女子。リボンタイの色は一年を示していた。
「あの、恋愛マスターさんに、相談があってきたんですけど」
またである。これで相談者は累計二十人は超えたであろうか。
どいつもこいつも、他力本願甚だしい。どの口が言ってるんだって話だけど。
いつものように淡々と凛堂が相談を受け、最後に俺がアドバイスをする。
「それじゃ、明日の放課後、その横山君のコートを着てしれっと帰ってみて。呼び止められて返せって言われても、無言で首を傾げ続けて」
「……そんなことで、本当に上手くいくんでしょうか」
「大丈夫。恋愛マスターの言葉、信じてよ」
うわあ、いつもながら俺詐欺師っぽくてキモチワルイ。
そして他の相談者同様、半信半疑の表情をくれた相談者一年女子はぺこりと頭を下げて出て行った。
さて。
凛堂も間違いなく聞いていた。コイツが影の功労者なのだとしたら、きっと何かしらのアクションがあるはずだ。
お詫びにしては少し安いしいろんな意味でまずかったかもしれないな、と斜め背後に鎮座する『洋梨ココア』の缶を見つめて心の中で呟いた。
「飲みたいの?」
缶を見つめる俺を見て、凛堂は俺に問う。
飲みたいような、飲みたくないような、三歩進んで二歩下がる葛藤を感じながら俺はスマホを取り出す。
「いつか、もらうよ」
「? ……そう」
意味不明な返しをしながら、俺は彩乃にメッセージを打った。
『明日』――しっかりくっきり、二文字である。
二十秒もしないで返信が来た。
『しょうがないですね。でも冬根さんの為に動くのは今回限りです。お忘れないように』
……お前は普通に文章打つのかよ!
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さて、凛堂の調査を彩乃に無事(?)に依頼した冬根君。
心苦しさからか、ジュースなんかを奢ったりなんかして。回りくどい男は嫌われるぞ!
それにしても洋梨ココアって……絶対合わないですよね。意外と美味しかったりするのかな。
お菓子ならありそうですがジュースって。