教育と心理と音楽と
四ノ宮と彩乃は屋上から出て行った。
すると太陽も空気を読んだかのように居なくなり、俺を見つめるのは頭上の一番星だけとなった。
冷たいグレーのコンクリートの床に仰向けになり、一番星と見つめあう。
手を伸ばしても掴めない。そう、それは君が一番だから――
「あぁ! いたぁ! こぉんなところにいたんだねぇ!」
――うるさいなぁ。折角必死にかっこつけてたのに。
「氷花ちゃん、なに黄昏れてるのぉ? 床ばっちいよぉ?」
カッコつけて、星と語り合おうとする男が居たんですよ。なぁぁあにぃいい!? やっちまったなぁ!?
男は黙って……。
「ちょっと宇宙との交信を」
「えー、氷花ちゃんなにそれぇ」
霜平はヒールを鳴らして、俺の顔近くに立った。
タイトスカートから何かが見えそうで、俺は視線を逸らす。
「そういう電波発言は、天使にでも任せようよぉ」
「天使って……」
天使が登場する時点で十分アンタも電波野郎だぞ。
俺は上半身を起こし、片膝を立ててから霜平を見上げる。
「それで何か用ですか、先生」
「というかぁ、ここ立ち入り禁止なんだよぉ?」
「そうしたら先生も同罪ですね」
「私はいいのよぉ? なぜならぁ、先生だから! あははははぁ!」
いや何が面白いんだよ。まあ微妙に言い返せないけど。
「悔しかったら氷花ちゃんも先生になってみたら?」
「いえ、生憎教師にはあまりなりたくないですね」
「なんでー? 氷花ちゃんも頑張ればなれるよぅ?」
……そうですね。あなたみたいなアンポンちゃんがなれるなら、俺にもなれそうですね。とは口にはしなかった。内申点下げられそうだし。
「まあ、その辺は大学行ってから考えますよ」
「うんうん。そうそう! そのことで来たんだったぁ」
霜平は手にごっそりと持った書類の中から大きな封筒を一つ抜き出してから、突然俺に頭を下げてきた。
「氷花くん、ありがとう」
「?」
頭を下げたまま動かない霜平。何のこっちゃ分からんが、年上の、ましてや教師に頭を下げられるのは何となく気分がいいな。ぐふふ。
「棗ちゃんと、一ノ瀬さんを助けてくれて」
「…………ああ」
そのことですか。
別に俺は本当に大したことはしていない。
「別に、先生に言われたから動いたわけではないですよ」
「ええぇ、もう氷花ちゃんってば照れ屋さんなんだからっ!」
ぐわん! と視界が揺れた。頭を指で小突くなよ、脳細胞が減るだろ!
「そういうのじゃないですって。棗は、その、友達だし」
「でも、一ノ瀬さんは別に関わりなかったでしょ? それでも助けちゃうなんて、やっぱり流石恋愛マスターって感じよねぇ。ィヨッ!」
「バカにしてますよね?」
「うーん……半分?」
……殴っていい?
「そうそう、そのお礼ってことで、これ!」
霜平は言いながら俺に大きな封筒を渡してきた。
角型二号のやけに黄色い封筒で、表紙には既に宛先が印字されている。
「……聖応大学入試受付センター行?」
「うん! 願書だよぉ」
「聖応って……」
有名な私立の音楽大学じゃねえか。
俺には音楽のセンスなんかないぞ。鍵盤のドレミの位置も怪しい。
「うん! その大学が、凛ちゃんが推薦で行く大学!」
「はぁ……はぁ?」
「氷花ちゃんも行くでしょぉ?」
「いや行かないでしょ」
「ええぇ? なんでぇ?」
なんでぇ? じゃなくて。
なんでリコーダーのテストすら追試を喰らったことのある俺が音大に行かにゃならんのだ。というか行ける訳がない。
霜平は首を七十度程傾げて俺を見下ろしている。
「折角お礼に、凛ちゃんの行く大学教えてあげたのに」
「いやいや、教えられても……」
「願書受付、来週までだからちゃんと忘れずに持ってきてねぇ」
「だから、俺音楽とかできないですって!」
カスタネットならできるぞ? うんたんうんたん。
「わぁ、氷花ちゃんこわぁい。怒っちゃ、メッ、だよぅ。ぐすん」
殴りたい、その嘘泣き顔。
「うんとね、ちゃんと中身見てから怒ってほしいなぁ」
「どういう意味です?」
「というか、氷花ちゃんまだちゃんと志望校決めてなかったでしょ? もう、本当は決めてなきゃだめなんだよぉ? 感謝してよね! えっへん!」
腰に手を当てて胸を突き出す霜平。窮屈そうなブラウスは今にもボタンが飛びそうである。
すっかり辺りが暗くなった屋上で、折り目が付かないように封筒から中を取り出すと、願書の他にパンフレットが入っていた。
表紙を捲った瞬間に飛び込んできた文字に、俺は複数のクエスチョンマークを獲得した。
「教育学部。それと心理学部。音楽学部以外にもあるのよぅ? 知らなかったでしょぉ。感謝してよね?」
「何に感謝すればいいんですか」
「えぇ? これで凛ちゃんと一緒の大学に行けるんだよぉ?」
「あの……別にアイツと一緒の大学に行くつもりとかなかったんですけど」
「えぇ? あははは」
霜平はヒールの音を立てて、俺から数歩遠ざかった。
そして俺の方を見ないまま、こう言った。
「いや、絶対に行くでしょ。だって、氷花ちゃん、恋愛マスターだもんね」
◆ ◆ ◆
いや恋愛マスターって何だよ。
もう本当、高校生にもなってそういうのどうかと思うよね。
そんないかにも遊び盛りの小学生低学年が付けそうな称号で有名な生徒が一人、この拓嶺高校には存在するのだ。
……というか俺なんだけど。
しかしながら、実質俺が恋愛マスターとしてまともに行動したことなどほとんどない。
大抵の相談者には崩壊狙いのアドバイスしかしていないし、殆どの時間は助手と並んで読書をしているだけだ。
それに、本気で恋愛マスターらしく在ろうとしたのは彩乃の相談の一度きりだ。
しかもそれが果たして本当に彩乃にとって幸せな結末だったのかわからない。
結論から言えば、俺は彩乃に、彩乃の想い人である四ノ宮へ告白をする機会を与えただけだ。
シンプルな恋愛すらまともに解いたことのない俺が、彩乃の難解な悩みを正しく解決に導けているかどうかなど知る由もない。
そりゃ、それなりに俺だって考えたさ。自分の為でもあったしな。
それでも正解の分からない、模範解答すらない相談なんて俺が手に負えるはずもない。
結局のところ、彩乃が想いを告げる前と、告げた後では彩乃と四ノ宮の関係性は何も変わっていない。
四ノ宮が彩乃のお姉さまで、彩乃は四ノ宮を慕うままだ。
俺が彩乃にできたことは何もなかったのかもしれない。
何が恋愛マスターだよ、まじで。
結果、現状維持じゃないか。
「現状維持? いいえ、全然違いますよ」
「ぅわぁ!!」
今日の出来事を振り返りながらの帰路、もうすぐ家というところで電柱の陰からヌッと彩乃が現れた。
また待ち伏せかよ。マジでビビった。ちょっと漏れたかもしれない。
「ふぅ……え、俺今なんか口にしてた?」
「いえ特に、ただそんな顔をしていたものですから」
優秀を通り越してもうそれはペガ〇スもビックリのマインドスキャンレベルなのでは?
ゴール直前に厄介な敵にエンカウントして全滅する気分だ。全滅しちゃうのかよ。
「冬根さんから見たら、何も変わったようには見えないかもしれませんね」
「……現に、関係性は変わらなかったよな」
崩壊のリスクがあった以上、そうならなくてホッとはしたけどさ。
彩乃は直上の電灯を見上げながら、
「現状維持? 全然違います。だって、お姉さまが私の想いを知ってくださったんですよ?」
「……」
「それだけで、私にとっては全然違います」
彩乃の照らされた顔が、じわっと笑みになった。
「よかったのかな」
「よかったですよ。少なくとも、言えないよりは数段よかったです」
「そうかい。それならよかったけどさ」
「……まあ、稚拙な嘘で騙そうとしたのはちょっと残念ですけどね」
「何のこと?」
彩乃はニヤッとした顔のまま片眉を上げた。
「『もし俺なら、後先考えない馬鹿だから――』ってやつです。まあ冬根さんが私の為に言った嘘だと分かったので騙されてあげましたけど」
おうふ。そこまで見抜かれてるとか、もうどんどん俺赤っ恥獲得してこれ以上持てません、どれを捨てますか? って感じだ。さすがの優秀さに俺も苦笑してしまった。
「結果論ですが、冬根さんは意外と優秀でしたね。無能と言ったことはしょうがないからお詫びして訂正します」
「しょうがないは余計だ」
「……私、冬根さんとなら付き合えるかもしれません」
「は!?」
何言ってるのこの子!
そういうの良くないよ! 恋愛未経験の人にそういうこと言うとマジでうっかりいくぞ?
「……相変わらずキモチワルイ動揺の仕方ですね。冗談に決まってるじゃないですか」
「…………」
訴訟! 心の暴行罪! 法廷で会おう!
「まあでも、割と好きにはなりましたよ、冬根さんのこと」
彩乃は心底嫌そうな、苦い顔でそう言った。
「そんな顔で言われても」
「ふふふ。……まあお姉さまと比べれば月とダンゴ虫って感じですけどね」
「ダンゴ虫……」
せめてカッコイイ虫にしてよ。虫なのは良いのかよ。
俺が何も言えないでまごまごしていると、不意に彩乃は深々と頭を下げた。
「冬根さん、ありがとうございました。あなたのおかげで、報われました」
前も言っていたな。正当な親切には正当な感謝を、だっけか。
まあ今回に関しては親切って訳じゃない。何故なら――
「――俺は俺の為に動いただけだよ」
「そう、でしたね。ではその冬根さんの為に、私もできる事はします」
優秀で有能な彩乃を使う為にここまでやっただけだ。
……いや大変過ぎない? ヒト一人動かす為の代償にしてはマジで大変だったってば。それだけの価値のある優秀さなんだろうけども。
「ちょっと不本意ですが」
彩乃は俺の目の前で片膝を立て顔を下げて跪いた。
「何なりと、お申し付けください」
おお……おおお!
き、気持ちいい。普段怖くて生意気な奴を跪かせる、なんて気分がいいんだ。写真でもとろうかな。
と、あまりにも余韻に浸っていたら罵詈雑言が下から飛んできそうなので、目に焼き付けたくらいのタイミングで俺は口を開いた。
「ありがとう。それじゃ一つ依頼なんだけど」
お読みいただき誠にありがとうございます。
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久々にうざい顧問登場。
そして凛堂の行く大学を教えてくれました。この霜平教諭も、何かいろいろと見抜いてそうですね。
からの彩乃のお礼。
冬根君も珍しく真面目に考えた手前、報われますね。
そしてついに彩乃を動かす権利を得た冬根君! 上手く使えるでしょうか。




